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三十一話『私はそんなの望んではいない!』

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 王都にあるアゼリア子爵家の所有する屋敷は貴族達の住む区画の外側に位置している。
 
 王城に距離が近いほど爵位が上がる様に貴族街が作られているため、子爵家は必然的に外側に屋敷を構えることになるのだ。

 ガタリゴトリと揺れる馬車の中でこれから何が起こるのだろうかと不安が押し寄せてくる、そう……市場へ売られていく子牛になった気分だった。

 目の前にいる父の機嫌が良すぎるのも私の不安を煽っていく。
  
「随分と不安そうだな?」

「お父様は随分とご機嫌ですね?」

「それはそうだろう、『聖女』の父親として振る舞えるのだからな」

 あぁ、どうやら先日の交流会であったアクシデントをどこからか聞いたらしい。

「さぁ、私にはなんのことだか理解できません」

 正直『聖女』とか言われても困るんだよね、あの時は死にかけたレオナルド殿下を救うことしか頭に無かったし、慣れない能力を貰って力加減が出来なくて、止め方もわからずに無秩序に癒やしだか浄化だかの力を垂れ流しただけなのだ。

 もう一度同じ事をしろと言われたところでできる気がしない。

 しかもあまり良い記憶のないアゼリア子爵邸へ戻るのも嫌だ。

 馬車が屋敷へ到着したため、仕方なく父に続いて一人で馬車から降りる。

 この父に馬車から降りるエスコートなど期待するだけ無駄なのだ。

「おかえりなさいませ旦那様、ユリアーゼお嬢様」

 出迎えてくれたのは家令や数人の使用人だけだ。

 出迎えた面々をぐるりと見廻して父ははフンッと鼻で嘲笑う。

「あれらは居ないのか?」

「あれら、が奥様とアルベンティーヌ様でございましたら昨日からバックランド伯爵の別邸へお出かけになられております」

 どうやら継母は父が居ないのをいいことに愛人であるバックランド伯爵の所へお泊りデートに行ったようだ。

「おい、すぐにユリアーゼを風呂に入れて浄めろ、王都でも評判の仕立て屋を呼びドレスを作らせねばならぬ、いや……すぐに着ることができるものも数着必要だな、とりあえず何着か流行のドレスを持ってこさせろ!」

「は、はい! すぐに手配いたします……アルベンティーヌ様や奥様が贔屓にしている仕立て屋でよろしいですか?」

「いや、あれらのドレスは品に欠ける、王家や公爵家のドレスを扱っている店だ」

「旦那様、王家や公爵家の御用達の仕立て屋は家格に釣り合いませんが……」

「構わぬ、国王陛下へ拝謁するために『聖女』が着るのだから他の家門など気にするな」

 執事の忠言を取り合わず父が本邸へと入っていくのを見送り、自室のある使用人部屋のある別館へ向かうべく踵を返す。

「ん、何をしている早く入らぬか」

「いいえ、私の自室は本館にはありませんので」

「なに? アゼリア子爵令嬢なのに本館に自室がないだと、あれらの仕業だな……自室が整うまで客室を使用しなさい」

 どうやらここに来てやっと私を子爵令嬢扱いするつもりになったらしいが、喜ばしいと感じるよりも今更かと心の中で皮肉る。

「ユリアーゼお嬢様こちらへ……」

 戸惑いながら継母の専属侍女が私を案内していく。

 豪華な客室での湯浴みよりも今は狭い別館の自室で眠ってしまいたい。

 手荒に服を脱がされて十分に熱が入っていないぬるい湯船に浸けられる。

 足を入れた瞬間から冷たいと感じる湯船は湯浴みというよりも水浴びだ。

 不満を隠しもしない侍女の様子に嫌でもアゼリア子爵家へと帰って来てしまったのだと思い知らされる。

 すっかりと冷めてしまった湯船の水が冷たくて気持ちがいいと感じるのは熱が出てきたせいかもしれないなと思いながらタイルで装飾された天井を見上げる。

 湯船から上がりこれまで使用したことがない肌触りがいいタオルで水気を吸い取り用意されていたドレスに身体を通す。

 この家に残っている私の服はほぼ使用人達の仕事着で数着しかない私服はすべてラフィール学園の女子寮にある。

 肩幅が余り胸元がきつく、ウエストがブカブカのドレスはよく見れば新しく作ったものの袖を通す前に着られなくなったからとアルベンティーヌが癇癪を起こして投げ捨てた物だ。

 来客を告げるノックが聞こえて、継母の侍女が対応に出ると執事が部屋へとやってきた。
 
「仕立て屋が到着しましたのでお通ししてもよろしいでしょうか?」 

「はい」

 私が返事をするより早く継母の侍女が入室の許可を出してしまった。

 私の返事を待たずに次々と見本として既に出来上がっていて修正が容易なデザインのドレスやオーダーメイドでドレスを仕立てるためにサイズを図る道具などが部屋へと運び込まれる。

 熱でふらつく私を侍女が立っていろと言わんばかりの態度でドレスの後ろを掴んだ。

「お初にお目にかかります、私はグランローズ商会の筆頭デザイナー、ルアンヌ・グランローズと申します」

 自己紹介に侍女たちが気色ばむ、それもそうだろう……グランローズ商会は王家や公爵家へ納めるドレスを一手に引き受けている老舗店で下位貴族である子爵家がそうやすやすと呼べるような商会ではないのだから。

 続いて入ってきたのはたしかアルベンティーヌのドレスを扱っている商会だが、一緒に呼ばれたグランローズ商会にすっかり萎縮してしまっている。

 朦朧とする私の様子に気が付いたのだろう、ルアンヌは一緒に来た針子に指示を出して侍女から私を引き剥がし衝立で仕切った空間へ連れ出してくれた。
 
「大丈夫でございますか?」

「ありがとうございます……少し目眩が」

 すぐに長椅子が用意され座りこむ。

「このままでサイズを測らせていただきますがよろしいでしょうか?」

 もはや声を出す気力すらなくて小さくコクリと頷いた。

 針子たちの介助を受けながらサイズの合わないドレスの胸脇の糸が器用に外され布を足されまち針が付けられていく。

 余っていた肩とウエストがまち針で詰められるとドレスを脱がされた。

 多分私の背中にある古傷が目に入ったのだろう、ルアンヌが僅かに息を詰めたのがわかる。

 しかし何も聞いてこないのはさすがプロといったところだろうか。
  
 脱がされたドレスはすぐさま持ち込まれたワイヤートルソーと呼ばれるマネキンに着せられ下着になった私は座ったままで器用にサイズが測られていく。
    
「あなた達、そのサイズの合わないドレスを急いでお嬢様に合うように直して頂戴、首から下へ足し布をして露出を抑えて、それからその胸元のリボンは外しなさい……お嬢様には似合わないわ」

「はい!」

 手際よく動く針子たちをぼんやり眺めているうちに測定が終わったらしい。

「お疲れ様でございます、ドレスのお直しが終わるまでおくつろぎくださいませ」

 そう言って触り心地がいい大判のガウンを身体の上にかけられた。  

 すぐに着れる服があればよかったのだが、急ぎで直してもらっているドレスが出来上がるまでガウンで過ごすしかなさそうだ。
 
「お好きなお色や形はございますか?」

「特にありません」

「では当店のオススメの品をご覧頂いてもよろしいでしょうか?」

 流行の色も形も、自分に似合うドレスがどのようなものなのか、全くと言っていいほどにわからない私にとってルアンヌの配慮がすごくありがたい。
 
「はい、よろしくお願いいたします」
   
 ルアンヌは次々と持ち込まれるドレスと椅子に座り込んだ私を見比べながら手早く右と左により分けていく。

 ピンクブロンドの髪に合わせた同系色の暖色系のドレスや白を貴重にした物など様々だ。

「お嬢様は容姿が華やかでいらっしゃいますから、こちらのような濃いお色もお似合いになりますね」

 そんなルアンヌの話を聞きながらも、体調は悪化するばかりでなんとか頷くことしか出来ない。 

「ちょっと! 私はアゼリア子爵家の長女よ! 道を開けなさい!」

 ざわざわと廊下から怒鳴りつけるような声がこちらへと近付いてくる。

「アルベンティーヌ様御機嫌いかがでしょうか」

「トルソー、私の専属である貴方がなぜ私が留守であるのにここにいるのです!?」

 あぁ、どうやらアルベンティーヌが帰ってきたらしい。

「邪魔よ! そこをどきなさい!」

「キャァァア」

 バタンと何かが倒れるような音と複数人の悲鳴が上がる。

「お嬢様、落ち着いてくださいませ!」

 継母の侍女が宥めようとしたようだが、アルベンティーヌの突進には叶わなかったようで乱暴に衝立が払い倒された。

 ルアンヌはすかさず私を背後に庇うようにしてアルベンティーヌとの間に立つと、アルベンティーヌに向け優雅に礼をする。
 
「お初にお目にかかります、私はグランローズ商会の筆頭デザイナー、ルアンヌ・グランローズと申します」      
   
「グランローズ商会ですって? 王家御用達の老舗店がお母様や私が居ない屋敷に何の用?」

「アゼリア子爵様からドレスのお仕立てのご連絡をいただきお伺いいたしました」

「誰に? まさかそこの泥棒猫のため……ではないわよね!?」

 ルアンヌの隙きをついてアルベンティーヌの手が私のピンクブロンドの髪へと掴みかかる。

 ギリッとした鋭い痛みとブチブチと髪が抜ける音を聞きながら私はアルベンティーヌの足元へと転がされた。

「あら下着姿なんてはしたないこと、そのような姿で誰を誘惑にいくのかしらッ!!?」

 うつ伏せで床に転がった私の髪を鷲掴み引き上げながら嘲るようにこちらを睨めつけるアルベンティーヌと目があった。

「その目はなに!? 生意気な!」

「アルベンティーヌ様、おやめください!」

「うるさい!」  

 ブンと振り上げられた手が私の頬へと何度も振り下ろされる。

 口の中が切れたのか、口の中に鉄の味がしている。

「一体何の騒ぎだ!」

 どうやら使用人が呼んできたらしく、父が部屋へとやってきた。

 その後ろから継母のカレンデュラに続いてバックランド伯爵と三男のフロレンシオ様が入室して来る。
 
 私を地面に引き倒したアルベンティーヌの凶行に怒りをあらわにした父がアルベンティーヌの前に立ちふさがる。

「お父様! これは一体どういうことでっ」

 アルベンティーヌが言い終わるより早く、バチンと大きな音を立てて父の右手がアルベンティーヌの頬へと当たる。  
     
 力が強かったのだろうアルベンティーヌが私の髪をつかんだままバランスを崩し床へと倒れ込んだ。

 そのせいでさらに数本ブチブチと髪が切れる音と激痛が走る。
  
「アルベンティーヌ! おまえは一体なんてことをしてくれたんだ!」

「お父様ッ」

「あなた! アルベンティーヌになんてことを!」 

 アルベンティーヌは私に手を挙げることはあっても、自分が殴られたことはないはずだ。

 初めて殴られたことがショックだったのだろう赤く腫れ上がった左頬を押さえるアルベンティーヌにカレンデュラが駆け寄り守るように抱き締めながら父を睨み上げる。

「ユリアーゼ様、大丈夫ですか?」

 そんな父とアルベンティーヌ達のやり取りを無視して私の側にやってきたフロレンシオ様は、自分の着ていた上着を素早く脱ぐとパサリと私の背中に被せた。

「まさかアルベンティーヌ様が妹君にこのような狼藉をなさる方だったとは……」 

 ベタベタとこちらを触ってくるその手が気持ち悪くて力が入らない手でなんとか押しのける。

「申し訳ありませんが、私に触らないで……」

「まさか家族で妹君を虐待していたとはアゼリア子爵家には失望しましたぞ」

 それまで黙って様子を見ていたバックランド伯爵が弱みを握ったとばかりに発言し始めた。

「このような家庭環境にユリアーゼ嬢をおいておくわけには行きませんな」

「何が言いたいバックランド伯爵」

 父の怒りの矛先がバックランド伯爵へと向かう。

「いやはや、アルベンティーヌ嬢のように苛烈な女性をフロレンシオの妻としてバックランド伯爵家へ迎えるわけには参りませんな、婚約者の交換を要求する」

「ふざけるな! その娘は大事な財産だ! そんな話を私が受け入れる道理はない!」

「フロレンシオ様、なぜその女によりそっておられるのですか!? このあばずれ! 泥棒猫がっ! フロレンシオ様から離れなさい!」

「アルベンティーヌ、落ち着きなさい!」

 半狂乱になってこちらへ手を伸ばした私とフロレンシオ様を引き離そうと暴れるアルベンティーヌを継母が必死に抑え込もうとしている。

「悪いが君との婚約は破棄させてもらうよアルベンティーヌ」
 
 立ち上がったフロレンシオが婚約破棄を告げたことでアルベンティーヌは顔を真っ赤にして激高していく。

 あぁ、もう全てを投げ出してしまいたい……フロレンシオどの婚約も、アゼリア子爵家の跡継ぎも、私はそんなものを一切望んではいないのに!

「お嬢様、こちらへ……」

 混沌とかした室内でそれまで静かに成り行きを見守っていたルアンヌに助けられ、衝立の中に移動すれば声は聞こえるものの醜く争う姿が視界から消え少しだけ胸を撫で下ろした。

「おまたせいたしました、先程お召になっていらっしゃったドレスのお直しが整いましたので身支度を整えましょう」

 どうやらこの内輪揉めの中でグランローズ商会のお針子さん達はドレスを直してくれたらしい。

「ご迷惑を……おかけいたします……」

「いえ、仕事ですから御気に病まないでくださいませ」

 なんとかドレスを着せてもらえたものの、心労と体調不良から私は衝立の中で意識を手放してしまった。
         
  
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