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かわいそうな本と図書館のかみさま
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するりと水っぽい鼻水が垂れてきたから鼻を鳴らした。顔はもう涙でべちゃべちゃなのに、鼻水を垂らすのはなんとなく恥ずかしい。
時計の針は長いのが十一と十二の間、短いのがぎりぎり三に近い。もうママのところに戻らないと怒られるし、ひょっとしたらおやつ抜きになるかもしれない。
それでもわたしはただ膝をかかえて引きこもるしかなかった。
図書館の本棚はわたしの背丈と同じくらいの高さで、こうして見上げるとわたしが大きな動物になって檻の中に座り込んでいるようだった。
思い出すとまた涙がでる。
動物園の動物がでてくるかわいそうな本。
絵本といったら可愛い絵で楽しいお話ばかりなのに、なんであんな悲しいお話があるんだろう。ママが読んでくれたのはちょっと前。お話がおしまいになってちょっとしてからじわじわモヤモヤがお腹の中に広がってきて、絵本を探してくるなんて言い訳でひとりで泣ける場所まで逃げてきたんだ。
すん、とまた鼻を鳴らす。膝をかかえたまま、肩からさげたポーチを手探りするけれど、ポケットティッシュの袋はぺちゃんこだった。
「どうぞ」
しらない女の人の声。かさかさと、ビニールの袋とティッシュの擦れる音がする。
本を借りるところでお仕事をしているお姉さんがわたしを見下ろしていた。襟がぴしっとしたブラウスとか膝のところまであるしゅっとしたスカートは幼稚園の先生とはまた違った『お仕事してる大人のひと』っぽい。耳で揺れるイヤリングは今の時期の、春が終わって夏の手前の青空とお揃いだ。
もう年長さんなんだから、赤ちゃんみたいに泣いてるのは恥ずかしい。ママやパパ以外の大人に見られるのはもっと恥ずかしい。逃げようとしたところでタイミング悪く鼻水が落ちてくるからお姉さんのティッシュを借りるしかなかった。
「悲しいお話は嫌いですか」
顔を拭ったティッシュを小さなごみ袋に入れながら、お姉さんがそんなことを言う。なんでママの選んだ本を知っているのか分からないけれど図書館のお仕事だからなんでも知ってるのかもしれない。
「好きくない。楽しいのばかりがいい」
かわいそうな動物がいたのは本当の事らしい。わたしやママが生まれるよりもっとずっと前だっていうからテレビの中の出来事とそう変わらない感じだけど、かわいそうなお話はわたしまで悲しくなるからいやだ。
「かわいそうでも、なんとかしてあげてって思っても、なんにもならないもん。そんなのなくてもいいじゃん」
悲しいというより悔しいのかもしれない。
わたしが悲しくなったらママがぎゅっとしてくれる。お友達が悲しくなったらわたしが手を繋いであげられる。でもお話の中とか、遠い外国とか、昔々の悲しいはどうにもできなくってただただ悲しいだけだ。
「なくすのはできません。それも世界の一部ですから」
お姉さんは難しい言葉で、それでも真面目にわたしに応えてくれる。イヤリングとお揃い色のネイルが唇に当てられてちょっと考えるみたいな間をおいて、「ですが」と言葉が続いた。
「これからはどうでしょう」
お姉さんと手を繋いでママのところに戻るとやっぱり叱られた。でも家に帰ったらママはわたしをぎゅっとしてくれて一緒におやつだって食べてくれた。
また来週図書館においでと、あのお姉さんが言っていたらしい。
そのとおりにしたわたしを待っていたのは手作りのポスターだった。
『おはなしのつづきをかんがえて おえかきしよう』
かなしいおはなしの向こうにたのしいおはなしがあったらいいね。
たのしいおはなしの向こうにもっとたのしいおはなしがあるとわくわくするね。
あなたの好きなおはなしの、おしまいのむこうがわを考えてみよう。
わたしはもう一度、かわいそうな本を開いてみる。
かわいそうな動物とその周りで泣いている人たちがいる。お話はそこでおしまいだけれど、この人たちだって夜はおうちでご飯を食べて寝て、朝になったらまたおはようっていうのかもしれない。
夢の中で動物といっぱいあそべるかな。朝ごはんに好きなおかずが出たらうれしいかな。
一生懸命考えて、わたしはクレヨンを手に取った。
時計の針は長いのが十一と十二の間、短いのがぎりぎり三に近い。もうママのところに戻らないと怒られるし、ひょっとしたらおやつ抜きになるかもしれない。
それでもわたしはただ膝をかかえて引きこもるしかなかった。
図書館の本棚はわたしの背丈と同じくらいの高さで、こうして見上げるとわたしが大きな動物になって檻の中に座り込んでいるようだった。
思い出すとまた涙がでる。
動物園の動物がでてくるかわいそうな本。
絵本といったら可愛い絵で楽しいお話ばかりなのに、なんであんな悲しいお話があるんだろう。ママが読んでくれたのはちょっと前。お話がおしまいになってちょっとしてからじわじわモヤモヤがお腹の中に広がってきて、絵本を探してくるなんて言い訳でひとりで泣ける場所まで逃げてきたんだ。
すん、とまた鼻を鳴らす。膝をかかえたまま、肩からさげたポーチを手探りするけれど、ポケットティッシュの袋はぺちゃんこだった。
「どうぞ」
しらない女の人の声。かさかさと、ビニールの袋とティッシュの擦れる音がする。
本を借りるところでお仕事をしているお姉さんがわたしを見下ろしていた。襟がぴしっとしたブラウスとか膝のところまであるしゅっとしたスカートは幼稚園の先生とはまた違った『お仕事してる大人のひと』っぽい。耳で揺れるイヤリングは今の時期の、春が終わって夏の手前の青空とお揃いだ。
もう年長さんなんだから、赤ちゃんみたいに泣いてるのは恥ずかしい。ママやパパ以外の大人に見られるのはもっと恥ずかしい。逃げようとしたところでタイミング悪く鼻水が落ちてくるからお姉さんのティッシュを借りるしかなかった。
「悲しいお話は嫌いですか」
顔を拭ったティッシュを小さなごみ袋に入れながら、お姉さんがそんなことを言う。なんでママの選んだ本を知っているのか分からないけれど図書館のお仕事だからなんでも知ってるのかもしれない。
「好きくない。楽しいのばかりがいい」
かわいそうな動物がいたのは本当の事らしい。わたしやママが生まれるよりもっとずっと前だっていうからテレビの中の出来事とそう変わらない感じだけど、かわいそうなお話はわたしまで悲しくなるからいやだ。
「かわいそうでも、なんとかしてあげてって思っても、なんにもならないもん。そんなのなくてもいいじゃん」
悲しいというより悔しいのかもしれない。
わたしが悲しくなったらママがぎゅっとしてくれる。お友達が悲しくなったらわたしが手を繋いであげられる。でもお話の中とか、遠い外国とか、昔々の悲しいはどうにもできなくってただただ悲しいだけだ。
「なくすのはできません。それも世界の一部ですから」
お姉さんは難しい言葉で、それでも真面目にわたしに応えてくれる。イヤリングとお揃い色のネイルが唇に当てられてちょっと考えるみたいな間をおいて、「ですが」と言葉が続いた。
「これからはどうでしょう」
お姉さんと手を繋いでママのところに戻るとやっぱり叱られた。でも家に帰ったらママはわたしをぎゅっとしてくれて一緒におやつだって食べてくれた。
また来週図書館においでと、あのお姉さんが言っていたらしい。
そのとおりにしたわたしを待っていたのは手作りのポスターだった。
『おはなしのつづきをかんがえて おえかきしよう』
かなしいおはなしの向こうにたのしいおはなしがあったらいいね。
たのしいおはなしの向こうにもっとたのしいおはなしがあるとわくわくするね。
あなたの好きなおはなしの、おしまいのむこうがわを考えてみよう。
わたしはもう一度、かわいそうな本を開いてみる。
かわいそうな動物とその周りで泣いている人たちがいる。お話はそこでおしまいだけれど、この人たちだって夜はおうちでご飯を食べて寝て、朝になったらまたおはようっていうのかもしれない。
夢の中で動物といっぱいあそべるかな。朝ごはんに好きなおかずが出たらうれしいかな。
一生懸命考えて、わたしはクレヨンを手に取った。
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