なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで

戸波ミナト

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07.She never looks back.

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 シエルは決してこちらを振り返らなかった。よそ見もせず、背筋を伸ばし、よくできた人形のように歩く後を、僕は唇を噛みしめてついていく。
 彼女はもともと僕を連れていくために現れた殺し屋みたいなもの。一緒にいるのがどれだけ心地よくても、のほほんとした日常がいつか終わるのは分かっていた。
 ただこんな形で終わりが訪れるとは思っていなかっただけ。
 教室から二人の女子生徒が連れだって出てきた。黒髪の少女は拙い共通語で、金髪縦ロールの令嬢は同じくらい拙い古代語で言葉を交わしている。僕らに気づいた令嬢がちょっと照れくさそうにそっぽを向いた。
 黒髪の少女は軽く頭をさげかけ――中途半端なお辞儀の姿勢で硬直した。見開かれた目にも色を失った頬にも恐怖がありありと現れている。僕はきっと酷い顔をしているんだろう。
 シエルは彼女たちに目もくれず歩いていく。

「ルクレツィア嬢、マリアさん。ちょっとこいつの用事に付き合ってきます」

 無理やり笑顔を作って会釈し、彼女たちを背後に置き捨ててシエルの後を追った。
 校舎を出て、人のいないほうへ。木々生い茂る小規模な森は、どこかのクラスが実技演習をやった名残を残している。いつものシエルなら幹の焦げ痕に目を丸くするだろうに、彼女はただひたすらに歩いていく。
 散らばった葉を踏みしめる足音はふたりぶん。
 振り返ってもついてくる人影はない。
 大袈裟に舌打ちしてみせても誰もなにも反応しない。
 視界が開けた。
 バカみたいに青い空。日の光がシエルの髪を輝かせる。

「キースさん、」
「いるんだろうクソ天使様。出てこい」

 シエルの言葉を遮ってあげた声が空に吸い込まれる。相変わらず辺りに僕ら以外の人影はないけれど視線ならもうひとりぶん、今もずっと僕にへばりついている。
 台詞を遮られた少女はうつろな笑みのまま立ち尽くしていた。地下室の博士いわく、強い天使は自分より弱い天使を従えられるという。シエルの様子がおかしいのならそれは、より強い天使に操られているということだ。

「このポンコツが遊んでるから尻拭いに来たんだろ。慰めてやるから出てこいよ。それともコソコソ後ろから刺すような臆病者か?」

 肩甲骨のあたりにぐっと力を込めて、言い慣れない毒を吐く。かたかたと震える両手は拳を握ってごまかした。
 シエルを操るのが強い天使ならきっと僕はここで死ぬ。いつばっさりやられるか分からないと思えば逃げ出したい気持ちが胸に沸き上がる。
 ただやり方が気に入らない。
 ポンコツで優しいひとりの少女を、その心を押し潰したままで、僕の命を奪えると思うな。

「どうした。こっちは丸腰だぞ。ひとりじゃ何もできねーのか甘ったれ!」

 は、と、怒りを含んだ息づかいが耳に届いた。
 振り返るのと何かが振り上げられるのはほぼ同時。下がろうとしたけれどそれが僕に叩きつけられるほうが速い。
 とっさに頭を庇った両腕に衝撃が走り、息を吸う暇もなく胸にも一撃が入る。倒れたところに腹を踏みつけられてみっともない悲鳴が漏れた。
 ばかみたいな青空に金色が翻る。

「その姿で騒ぐな。見苦しい」

 冷たい声とともに剣の切っ先が突きつけられる。僕を見下ろす青年はシエルと揃いの金髪に青い瞳。
 庇ったはずの頭がずきりと痛み、まぶたの裏に火花が散った。痛みは頭の奥底、無意識と呼ばれるところから涌き出てくる。
 そこに蓋があった。
 ずっとあったはずなのに、男天使の姿を見るまで気づかなかった。彼の金髪が日の光にきらめくのを見たとたん蓋がひび割れ、封じられていたモノが溢れてくる。
 なぜ僕に記憶がなかったか。
 なぜ僕はなんとなく言葉の壁をのりこえられたか。
 なぜシエルが側にいることを当たり前のように受け入れられたのか。
 シエルはやっぱりポンコツだから最初に口を滑らせていたじゃないか。今まで気づかなかった僕も大概だけど。

 一緒に天界に【帰りましょう】、って。

「……ティエン……」

 僕に名前を呼ばれると天使は一瞬痛みをこらえるみたいに顔を歪めた。
 僕は髪も目も土と同じ色、天使のように美しくはない。
 違うのは色だけ。
 天使と僕とは色を除けばそっくり同じ姿形をしていた。
 溢れてきたのは過去の……僕が「天使スカイ」だった頃の記憶だった。



「マリアさん! どうなさいましたの!?」

 隣にいるはずのお嬢様の声が遠く響く。萎えた足は体を支えきれず、しゃがみこんだ弾みで擦った肘の痛みがわずかに現実に引き戻してくれる。頭を満たす耳鳴りが吐き気を誘うけれど少女はぐっと奥歯を噛み締めた。
 足には革靴と、硬い石の感触。故郷で踏みしめていた草原の柔らかさは欠片もない。王都から遠く離れた村で山々を眺めながら薬草を採っていた田舎娘が魔法学校の生徒として認められたのはひとえにその才能ゆえらしい。
 彼女の魔力を感知する能力は、大きすぎる力を確かに捉えていた。
 存在そのものが規格外。人間では決して持ち得ない力を感じ取った体は本能的に恐怖し萎縮する。自分で自分を抱き締めたくらいでは到底震えを止めることなどできない。
 それでも。それでも。
 マリアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で令嬢を見上げる。
 片手に開いた手帳は古代語の文法だか翻訳を書き付けたものだ。これと首っ引きでマリアと会話を試み、話してはまたなにかを記していく。そんな面倒を背負い込んでまでマリアとの会話を続けてくれた。
 高飛車で人の気持ちの分からない人だなんてとんでもない誤解をしていた。
 それを解いてくれた人が今、とんでもないモノにつきまとわれてどこかに行った。このまま怖じ気づいていてはきっともうあの人に会えない気がする。
 マリアはたどたどしい共通語で叫ぶ。

「キースさん! あぶない! さがす!」


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