なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで

戸波ミナト

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06.I hope to see you, "my dear".

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 スカイ様、はやくお会いしたいです。お話したいことがたくさんたくさんあるのです。
 わたくしが人間界に降りてから数日経ちました。
 普段はお役目がなければ人間界に降りませんから、こんなにも長く、しかも人間の間で生活するのは初めてです。天界から見下ろすだけでは分からない事がいっぱいあるのですね。
 人間が生活するには必要なものがたくさんあるそうです。アネットさんという方と、キースさんの仲間だという人が服や靴を譲ってくださいました。天使に人間の食事は要らないのですが、正体がばれないためのカモフラージュとして食器一式も。
 皆さんとても優しくて、それからキースさんにいつもお世話になっていると言っていました。
 ご家族と離れて暮らすアネットさん。しっかりしていらっしゃるのでいつも他の子どもたちのまとめ役をされていますが、キースさんにはちょっと甘えられるそうです。
 食堂というところで働くおばさま。キースさんはまったく料理ができないと呆れつつ、キースさんが世話を焼いてくれるおかげで地下にこもりきりの博士達がちゃんとごはんを食べるようになったとおっしゃっています。
 ……わたくしも料理というものに挑戦してみましたが全然ダメでした。人間の食事が必要ないモノだからしょうがないですよ、ね?

 スカイ様。
 皆さん、キースさんには不思議な力があると言うのです。
 マリアさんという方は他の皆さんが使う言葉が話せず、普通科の皆さんとも特別科の皆さんとも仲良くできておりませんでした。
 ルクレツィアさんは声の調子や仕草が『あくやくれーじょー』に似ているそうなのでマリアさんや普通科の皆さんに怖がられておりました。
 だけどキースさんが間に入るとお二人はちょっとだけ仲良しになるのです。言葉の違いや仕草など、意志疎通を阻むものをキースさんが和らげてくれているのです。そうすると色々お互いに気づくこともあるみたいで――マリアさんの出身地の言葉は古代語ととてもよく似ているからと、ルクレツィアさんが古代語のお勉強を頑張っているのは秘密です。
 言葉の壁を乗り越えて対話するなどわたくしたち天使にとっては当たり前の事です。
 けれどわたくしたちはそれを死の間際の人間にしか使いません。だからキースさんが皆さんを繋ぐのを見ると、やっぱり不思議な力があるんだなあと思います。

 スカイ様。
 わたくしが導いた妹さんは今安らかでしょうか。
 あなたが救ったお兄さんは今幸せでしょうか。
 お兄さんが遺した日記は今の人間たちに読まれ続け、同じような境遇の人間の心を僅かでも救っています。
 わたくしはあなたにお会いしたいです。
 謝らなければならないのです。
 本当に、心から。
 でもあなたはそれをお許しになるでしょうか。
 わたくしはどうしたらいいのでしょう。
 スカイ様。スカイ様。



 草のにおいを含んだ風が金色の髪をもてあそぶ。お下がりのエプロンはサイズが大きすぎるから肩紐を途中で縛って調節していた。料理はキースに『僕も大概アレだけどきみがアウトなのは分かる』と
禁止令を出されたから、部屋の掃除を頑張り中だ。
 上から下へ。隅っこから中央へ。天界ではまずやらない動作だけれど地道にコツコツやれば結果が出てくるから楽しい。
 部屋の主が喜んでくれるといい。髪も目も土の色だけれど、やっぱり彼に誉められると胸の中がほわほわする。
 くるくるとハタキを振り、ぱたぱたと足音を立て、やがて少女は立ち止まる。

「何をしている」

 部屋に突如として光の玉が生まれ、それはやがて青年の姿の天使へと変わる。金髪と空色の瞳はシエルと同じだがその眼差しは氷のよう。
 シエルはハタキを放り出してその場に平伏した。
 指先が震える。視界に入れなくても分かる圧倒的な存在感が喉を締めつける。けれど問われたなら答えなければ。

「き、キースさんの、お側に」
「いつになったら役目を果たすのだ」

 舌打ちとため息。そういうものを浴びせられるのは初めてではないはずなのに目尻に涙がにじむ。
 シエルは落ちこぼれだった。天界で安らぎを得られるのだから生きているうちの苦しみなど些事だと皆言っているのに、どうしても放っておけなくて、ぐずぐずと役目を果たすのを引き延ばして。
 スカイだってシエルに構わなければもっともっと多くの魂を導けたのに。
 鼻を鳴らすシエルの耳に硬い靴音が届いた。

「やはりお前では無理か」

 シエルはやっぱり落ちこぼれ。だからここでべそをかいていればいい。彼に任せておけばきっとキースを導いてくれる。
 ぼやけた視界にふと空の色が映った。
 ベッドの側に落ちたクッションは真ん中が不自然にへこんでいる。ひとつきりのベッドを譲った家主が、床にじかに座って寝ると腰が痛いからと下敷きにした痕だ。
 彼がこの世からいなくなる。

「お待ちくださいティエン様!」

 気づけばシエルは顔をあげていた。床にへたりこんだまま震える声で、大天使の片割れを呼び止める。
 今から言おうとしているのはとんでもなく罪深い、恥知らずな事だ。黙れと引き留める理性を追い払うように頭を振って続ける。

「キースさんはここで、たくさん人を助けています。それならそれで良いのではありませんか」

 ぐずぐずと引き伸ばすのではなく、彼を死なせないために行動しよう。
 彼がいなくなれば彼が繋いだものすべて失われてしまう。
 素直になれない娘は悪役令嬢のまま。面倒見のいい娘は甘えられる場所を失い。言葉の通じない娘は己の殻に閉じこもり続ける。
 ささいなすれ違いの積み重なりが魂を汚していき、苦しみに満ちた生涯を送るのを何度も見てきた。皆はどうでもいいと言っていたけれど、ただひとりスカイだけはシエルの話を聞いてくれた。
 だから。
 キースを奪って周りの魂の汚れに見て見ぬふりするなら恥知らずでいい。
 シエルは流れる涙を拭いもせず床に頭を擦り付ける。

「もういい。頭を上げろ」

 のろのろと体が動くーー自分の意思に反して。
 涙でぐしゃぐしゃの顔を見てもティエンは怒りも笑いもせず、ただ手のひらをかざした。
 それきり、シエルの意識は途切れた。


 
「キースさん。お役目についてお話があります」

 そう告げられて青年は立ちすくんだ。
 少女は風にあおられた金髪が視界を塞いでも手を動かすどころかまばたきすらしない。 

「ついてきてください」

 シエルは食堂のおばさん手作りのドーナツに目もくれず、空っぽな笑みを浮かべていた。

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