なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで

戸波ミナト

文字の大きさ
5 / 8

05.This basement always smells musty.

しおりを挟む
 地下にはいつも黴と紙のにおいが立ち込めている。くしゃみ防止で鼻から下を布で覆い、僕は目の前の紙を眺めていた。アネットにシエルを任せて、甲斐性なしはしっかりバイトをするのである。
 角が磨り減って丸くなった書き物机には紙束や巻物がところ狭しと散らばっていた。黄ばんだ白衣の爺さんたちが辞書と虫眼鏡をお供に古文書の解読にいそしんでいる。古代の知識どころか自分史さえあやふやな僕は場違いもいいところだけれど、彼らのように紙を覗きこむといつも不思議な感覚に襲われる。
 なんとなく分かるのだ。
 どんな文法、どんな発音かも分からない言葉が語りかけてくる。専門用語だとさっぱり分からないけれどそうでなければだいたいテンションで読める。僕の数少ない特技だ。

「博士、これ違うくないです?」

 丸眼鏡の爺さんを呼び止め、目の前の巻物を指差す。三角形を四本の横線で区切り、それぞれの中に古代文字を書いた図だ。爺さんからは『昔の身分制度だと思う』と聞かされたけれど僕には違うものに見える。

「感情の……なんか悲しい気持ち? の説明、みたいな」

 一番下の土台は『受け入れられない』。その上に『怒り』が乗っかり、『取引』が続く。天辺とそのひとつ下は掠れていて分からない。
 爺さんは丸眼鏡をぎらりと光らせ巻物に飛びついた。枯れ枝のような指が文字をなぞっていると他の博士たちも集まってくる。ハゲの博士が辞書をひもとき、前職は冒険者でしたかみたいな筋肉男が追加の書物を机にぶちまけた。

「ああここ、ここじゃ、誤訳しておった!」

 仕切り直しだと叫ぶ博士達。今まで悩んでいたのがまったく検討違いだったのに、解読の糸口が見つかったおかげで皆どこか嬉しそうだ。
 こうなると僕にできることはない。僕の特技は『なんとなく分かる』程度で、正確に解読したりその背景を明らかにするのは文法だの歴史だのに通じた博士達の専門だ。
 時計を見ればそろそろ昼食の頃合い。仕事にかかりきりの爺さん達に代わって食事を調達するのは僕の仕事だ。

「何か食べたいものある人ー?」

 一応訊くが答えはない。つまり片手で簡単に食べられるものをご所望だ。またサンドイッチか……なんて内心で嘆息しつつ、僕は書き物机を離れた。
 地下書庫の出入り口にほど近いソファにはクソダサい服の上に白衣を引っかけた爺さんが寝転がっていた。奥で子どもみたいにハシャいでいる一団とは専門分野が違うとかで休憩状態である。彼の側をそっと通り抜け――思い直して声をかける。

「あのー、古い書物に天使の話とかありましたっけ」
「金の髪と空色の瞳。空にまつわる名。そして三つの力を持つと言われておる」

 爺さんは両目をシワに埋もれさせたまま即答してきた。
 魔法や神話の研究者だという爺さんいわく、天使の持つ能力は三つ。
 ひとつ、あらゆる人間と意志疎通できる。
 ひとつ、負の感情を鎮める。
 ひとつ、強い天使は己より弱い天使を服従させられる。
 天使とは宮廷魔術師でさえめったに召喚できない、言葉のとおり雲の上の存在だが、偉大な天使の姿を目撃したという記述はいつの時代の史料にもあるらしい。

「王国全土が焼け野原となった五百年前、戦士たちを天界に導いた双子の大天使。スカイとティエン」
「シエルって名前はある?」
「おお、それも空を表す言葉じゃ。文献にはないがのお……」

 語尾がだんだんふにゃふにゃになってきた。本格的に居眠りを始めた爺さんにそっとタオルケットをかけ、僕は息を殺して階段の一段めに足を乗せた。



 こき使われたりパシられたり、合間にシエルの日用品を集めたりしていたらあっという間に日が沈んだ。
 ひとつしかないベッドには空色のパジャマを着たシエルが転がっている。

「いけません……キースさんの寝る場所、なのに……」

 断る言葉とは裏腹に、シエルはだらしなく両手足を放り出して動かない。瞼だってずいぶん重そうだ。力の入らない手でシーツを掻くところに布団を載せてやれば起き上がろうとする努力もあっという間に溶けてしまう。

「いいから寝て。おやすみ」
「ふあ……おやすみなさい、すかいさま……」

 ほどなく寝息が聞こえてきた。早。
 僕はシエルに背を向けて床に座り込んだ。薄っぺらいマットレスに頭を預けてぼんやりと天井を仰ぐ。隅にクモの巣が引っ掛かっているから掃除しないとな。
 狭くて、ちょっと――ちょっとだけ汚い部屋。ベッドをもうひとつ置く余裕はない。部屋の主である僕は髪も瞳も土の色、甲斐性なしで記憶もない、薄っぺらな男だ。
 シエルはただ役目があるから僕と一緒にいるだけ。きっと役目が終わったら天界に帰って、大天使スカイ様とやらに褒めてもらうんだろう。
 分かってる。
 カノジョなんかじゃないって今日自分で何度も言った。どっちかというと殺し屋に命を狙われているに近い状況だ。
 なのに僕はシエルが側にいるのを当たり前のように受け入れて――彼女がスカイという名を口にしたのを受け入れられないでいる。
 後頭部をぐりぐりとベッドに擦り付けても胸のざわめきは消えてくれなかった。

 それから数日。
 僕はとうとう『スカイ』について訊くことができなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

処理中です...