なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで

戸波ミナト

文字の大きさ
4 / 8

04.a forest of bookshelves

しおりを挟む
 濃い飴色の書棚が林立し天に向かってのびている。ジャンルごとに配置された本はここがかつて城だった頃の蔵書をそのまま残し、さらに最近の本も追加されていっているらしい。
 向かって右手が書架。薄暗い中に魔法の灯りが浮かぶほうへマリアさんが去っていく。僕はいつものように地下へ続く階段に向かいかけるが、シエルを背負い直すとマリアさんと反対方向に歩いていった。
 大きな扉の向こう、日の当たる方へ。
 扉ひとつ隔てると背の高い本棚の代わりに新聞や雑誌を入れる棚が、両脇についたてを取り付けた勉強机の代わりに開放的なローテーブルがおかれていた。学生の休憩スペースとして設けられた場所は大きな窓で太陽の光を存分に取り入れ、テラスに出れば飲食も許されていた。

「気持ちいい場所ですねえ!」
「そーだなー。でも僕らはこっち」

 学校関係者なら自由に使えるというのはやっぱり建前で、テラスや光溢れる場所は特別科の子どもたちが独占している。僕は休憩スペースの隅っこ、普通科の子どもたちが使う日陰のソファにシエルを下ろした。

「このくらいの日差しでもいい?」
「はいっ。これなら明日には治ります」
「ならよし。僕はちょっと地下に行くから、ここで大人しくしておいで」
「はいっ!」

 手をぴしっと挙げたお返事は大変よろしい。一抹の不安を見なかった事にして、僕は本来の目的地を見やった。
 地下の閉架に行くには来た道を引き返さないといけない。ただ行く手には普通科の子どもたちの姿があり、顔見知りの子はどうやら僕とシエルに気づいたらしい。

「キースさんこんにちはー」
「うわ、キース兄がカノジョ連れ込んでるってマジだったんだぁ」
「ハイハイこんにちは。カノジョじゃないし静かにしようね」

 真面目くさって注意するものの彼らはシエルに興味津々である。がっちりした体つきの少年はシエルと目が合ったとたん真っ赤になって背の高い少女の背中に隠れるし、そばかすのある最年少の少女は真っ先にシエルの隣に陣取ってそっと金髪に触れる。
 背の高い少女が少年の手を振り払い、ふと眉を寄せた。

「こらトビー。それこっち持ってきちゃダメなやつでしょ」
「いいじゃんアネット、ちょっとくらい。こっちのほうがレポート進みそうだもん」

 トビーと呼ばれた少年の手には年期の入った薄い書物がある。表題が印刷ではなく手書きで表紙や本文用紙もかなり日焼けしている。歴史の講義でよく使われる写本のひとつだ。
 ちょっと扱いに気を付けないと――声をかけようとしたが、細く硬い靴音がそれを遮った。
 子どもたちが露骨に顔をしかめる。
 たっぷり布を使った特注の制服をこれ見よがしに翻し、特別科の女子生徒が数人こちらに近づいてくる。先頭に立つのはシエルと同じくらい輝く金髪を縦ロールにしたご令嬢。レースをあしらった扇子で口許を隠すしぐさも堂に入っている。

「そこのお前。今すぐここから立ち去りなさい」

 毅然というか傲慢。子爵だか公爵だかの令嬢でしかも第一王子の婚約者。物語の悪役令嬢そのものな少女に睨まれ、トビーは口を尖らせつつも後ずさる。かれを庇うように立ち塞がる……というかトビーに盾にされて前に出ざるを得ないのは長身の少女アネットだ。

「なに? 庶民がここにいちゃいけないの?」
「場所を弁えなさいと言っているのです」

 長身の少女と悪役令嬢が火花を散らす。令嬢の後ろにいる少女たちは「ルクレツィア様の命令が聞けないの?」なんて嘲笑するが、それも悪役令嬢のひと睨みで沈黙する。
 言わんとすることはだいたい分かる。あんまり関わりたくないんだけど大人だしね、しょうがないね。僕はおそるおそる片手をあげて二人の少女の間に割って入った。

「古い本だからね、日の光に弱いんだよ。皆がずっと読めるように大事にしてほしいんだ」

 ルクレツィア嬢はふいとそっぽを向きつつ一歩下がる。普通科の子ども達はまだ引っ込みがつかないようで、トビーはきつく眉をよせて膨れっ面になった。かれが持つ本の題名は『雨露をください』。それは、

「……それは兄が病気の妹を看病し、看取るまでを綴った日記なのです。だいじにしてください」

 そう声をあげたのは僕ではなくシエルだった。
 さっきまで子どもたちの言い争いを不思議そうに見上げていたのに、シエルは服の裾を握りしめてうつむいている。天使は人の魂を導くというから、もしかしたらこの優しすぎる天使は病死した妹を見守っていたのかもしれない。
 しんと沈黙が落ちた。
 普通科の子どもたちにも故郷の家族にも、かれらが簡単に里帰りできるような金銭の余裕はない。中には薬代を払えないせいで本の作者のように看取るしかできなかった子もいるだろう。
 アネットがトビーの背中を軽く叩くと、トビーはもごもごと謝罪を呟いて踵を返す。そうしてアネットもルクレツィア嬢に頭を下げた。

「あたしも変な言いがかりつけた。ごめんなさい」
「気にしておりませんわ」

 悪役令嬢は扇子で口許を隠し、僕とシエルを交互に見比べた。

「その娘、お前の伴侶ですの?」
「ええー……広義の身内、です」
「伴侶ですのね」

 ルクレツィア嬢はため息をつき、シエルを上から下まで値踏みするように見る。髪の美しさなら貴族令嬢にひけを取らないが、ひらひらふわふわしたオーダーメイド制服と比べるとシエルの服はなんというかシンプル過ぎる気もする。

「みすぼらしい格好でうろつかれては学校の品位に関わります。せいぜい不自由させないことですね」

 令嬢は畳んだ扇子の先で僕を指した。ははあ、と畏まろうとした僕の背筋は中途半端に曲がったところで止まる。
 じわりと冷たい汗がにじんだ。

「着替えとか靴、寝床とか」

 呆然と呟く。
 シエルが着ているのは簡素なワンピース。足元には学校の備品のスリッパ。気楽な独り暮らしだった僕の部屋には寝床も収納スペースも何もかも一人分しかない。

「……ありませんの?」
「忘レテマシタ」
「甲斐性なし」
「ないわー」

 ルクレツィア嬢からストレートな正論パンチ、アネットから率直すぎる言葉のナイフを受けて膝から崩れ落ちた。シエルと最年少の女子生徒が訳も分からないなりに背中をさすってくれるからうっかり涙ぐんでしまう。
 さっきまで火花を散らしていた女子ふたりは急に結託してヒソヒソと話し合い始めた。

「ひとまず今日と明日の分ですわね」
「あたし、午後から講義なくてヒマなんですけど」
「ええ。出歩かせては傷に障るでしょうし、寸法を図ってから出掛けなさい」
「仰せのままに、姫殿下」

 アネットが胸に手を当てて一礼する。その芝居がかった仕草に思わずといったふうにルクレツィア嬢が吹き出した。年相応の屈託ない笑顔につられて笑うのは普通科の子どもたちだけで、対照的に取り巻き令嬢たちの視線が険しくなる。

「ルクレツィア様、庶民など放っておいてはいかが?」

 取り巻き筆頭の少女は不機嫌を隠そうともしない。仲の良い子が自分の気に入らない奴と仲良くしているのが気に入らないといえば子どもらしいけれど、身分だとか経済力だとかがそれをこじらせている。
 ルクレツィア嬢はそんな彼女に小首を傾げてみせた。

「わたくしはいずれ王妃となる身、民は等しくわたくしの子となるのです。ちょっとした予行演習ですわ」
「ですが……」
「ルクレツィアさんは皆さんのお母さんになるのですか?」

 たじろいだ取り巻き筆頭はシエルの空気読めない質問で完全に言葉を失った。
 子どもたちの視線がルクレツィア嬢に集中する。最年少の少女がくもりなきまなこで「ママ?」なんて口走った瞬間、アネットが吹き出した。

「やば、ウケる、確かに口やかましいお節介なオカンだわ……」
「こ、こらっ! あなたも変なことを言わないでくださいまし!」
「変ではありません。皆の事をいろいろ考えてくれる、素敵なお母さんなのです」
「うう……」

 ルクレツィア嬢はつんとそっぽを向いて顔の前で扇子を広げるが、扇子だけでは赤らんだ頬や耳を隠せていなかった。

 ――ルクレツィア様を庶民なんかに近づけたなんて知られたらお父様に叱られる……
 ――でも照れてらっしゃるルクレツィア様、なんか、
 ――ええ、愛らしいですわ。これが『推せる』というものかしら……!

 取り巻き嬢たちに変な性癖が花開いた気がする、じゃない、この若さで身分問わず人々の心を掴むなんてさすが王妃になる人は違うなあ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

処理中です...