鎖でつないで、ここにとどめて

青埜澄

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4話

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 朝、甘い匂いで目が覚めた。鼻の奥にじんわりと広がる焼き菓子のような香りが、ぼんやりした頭をゆっくり現実に引き戻す。
 身体を起こしてキッチンに目を向けると、ノラがコンロの前に立っていた。手元に集中しながら卵を割る仕草がやけに慣れて見える。

「おはよう、靖一」

 振り返ったノラは、少しだけ得意げな顔をしていた。

「昨日はでぐっすり眠れたから朝ごはん作ったよ。コーヒーも淹れてあげる」

 こんな朝は久しぶりだった。目覚ましの代わりにキッチンから漂ってくる匂いで目が覚める──それがこんなにも穏やかなものだとは、すっかり忘れていた。
 洗面所で顔を流し、テーブルにつくと、ノラが何やら"歪なもの"を皿に載せて差し出してくる。

「……なんだ、これ」

 正体不明の物体を前に、靖一は思わず眉をひそめた。

「いいから食べてみてよ」

 そう言って笑ったノラの顔からは、妙な自信と、どこか子どもっぽい期待が滲んでいた。悪意はない──むしろ、自分の作ったものを素直に喜んでほしい、という気持ちがそのまま表情に出ていた。
 靖一は半ば呆れながら、フォークでその“何か”をひと刺しし、口に運ぶ。

「……上手い。……でも結局これ、なんだよ?」

 正直な感想を伝えると、ノラは満面の笑みを浮かべて、どこか誇らしげに胸を張る。

「でしょ?実はこれ、卵とバナナを混ぜて、フライパンで焼いただけなんだ。ばあちゃんが小さい頃によく作ってくれて……それを思い出して、なんとなく」

 思い出話をするその横顔に、ふと影が差した気がして、靖一は黙ってノラの声に耳を傾ける。
そういえばこうやって、誰かと朝食を囲むのは随分と久しぶりだった。

「……俺も、食べていい?」

 ノラが遠慮がちに問いかける。よく見ると、自分の分は手をつけず、じっと靖一の言葉を待っていたらしい。
そういえば、小さい頃飼っていたシバ犬もこんな風に「待て」が上手だった──そんなことが脳裏をよぎり、思わず吹き出しそうになる。

「よし」

 冗談半分に言ってみせると、ノラはぱっと顔を明るくし、自分の皿によそい始めた。その様子は何かご褒美をもらった子どものようで、靖一は思わず笑ってしまう。
 その間にも、コーヒーの入ったマグカップから小さな湯気が立ちのぼっていた。いつもは無音の部屋で、独りきりで味わう朝の一杯。
 だが今日は、その隣にもう一人分のマグカップがある。それから歪な見た目の焼き物と、無邪気に笑うノラの声。それだけのことで、部屋の空気がどこか温かく感じられた。
 靖一は黙ってコーヒーに口をつけた。今日は少しだけ──この時間が特別に思えた。


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