忘れられし被害者・二見華子 その人生と殺人事件について

須崎正太郎

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7 菱沼市連続殺人事件 容疑者の供述書

26.菱沼市連続殺人事件 容疑者の供述書 ③

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 父はじつにいい加減な男です。
 婿養子で女性と結婚し、病院をいただいておきながら、他に愛人と子供を作ったことからして、すでに最低です。

 それなのに医師免許に惑わされて、人々はいい先生だともてはやします。
 地元では名医として、また名士のひとりとして、扱われているそうです。
 医者としての腕前や評判はともかく、人間としては最低の部類だと思いますけれどね。

 そうじゃないですか。
 認知をして、養育費だけ払って、あとはわたしのこともお母さんのことも知らんぷりだなんて。
 別に、ずっと一緒にいろとは思いませんけれど、それでも何ヶ月か、そう、半年に一度くらいでも、こちらに顔を出してくれていれば、少しはわたしの人生もお母さんの人生も変わっていたと思うのですけれど。あんな父親でも、きっとそうですよ。

 お母さんは、それを期待していたんだと思います。
 認知と養育費だけじゃなくて、ごくたまに、電話をくれるとか、家に来てくれるとか、そういうことを最初は望んでいたんだと思います。

 けれどもお父さんは、少しもアパートに登場しなくて。それでお母さんは壊れていきました。家のことをしない、仕事もほとんどしない、昼間からお酒ばかり飲んだり、どこかに電話をしては泣き叫んだり、笑ったり。そのくせ、わたしに対して怒ったりはしないで、「ごめんね、ごめんね」っていつも謝るんです。謝るだけで、そのあと、なにかしてくれるわけじゃないのがまた特徴でした。靴のサイズが合わなくなったから買ってといっても、また今度とかなんとか言って、誰かに電話をしたり、ただテレビをぼーっと見ていたりするんです。靴を買ってくれるのは、もう半年とか経ってからでした。万事がその調子でした。

 小学校に入ってからも、母親は筆記具をめったに買ってくれない。給食費もほとんどくれない。養育費のほとんどは、お酒か、自分の服か化粧品にばかり。化粧品にしたって、買ってからろくに使わずにそのへんに放置して、一年くらいしてから捨てる、なんてこともよくありました。もったいないし、そんなことをする余裕があるなら、少しくらいわたしにお金をかけてほしいと心から思ったものです。

 そんなことだからわたしは、七歳のとき、母親が酔い潰れたスキに、蜂谷クリニックに向かったのです。子供の頃から、お母さんが、酔っ払うたびに、

「ここよ。あなたのお父さんはここに住んでいる。蜂谷康三っていうの」

 そう言って、スマホで地図を見せてくれていましたから。
 ええ、自分だけはスマホを持っていましたよ、お母さんは。
 それも最新機種でした。ろくに使いこなせもしないくせに。

「お父さんはお医者様なのよ。とっても頭がいいの。でも、お母さんが馬鹿だから、あなたもきっと馬鹿なのよ。ごめんなさいね。ごめんねえ」

 そう言って、また泣いてお酒を飲むのが常でした。
 ともかく、そういった過去があって、蜂谷クリニックに向かいました。

 子供の足で、何時間もかけて。
 途中、何度も後ろを振り向いて、

「これだけ歩いたら、もうあのアパートまでは戻れないな」

 と、泣きそうな気持ちで思ったことをいまでも覚えています。
 やがて蜂谷クリニックを訪れたわたしを、そのときの父は、驚きながら、でも確かに受け入れてくれて、温かいお茶をごちそうになりました。

 けれども、やっぱりお父さんと、その奥さんがいて。
 わたしはお母さんのアパートに追い返されました。
 わたしはお父さんに、アパートに来て欲しかった。
 せめて一回だけでも家に上がって、

「ここが華子の家かあ」

 なんて言ってほしかった。
 でも、それは叶わずに、ただお父さんは、わたしに千円札をくれて、

「またいつでも、うちにおいで」

 そう言ってくれたんです。
 ええ、お父さんは、そのことを忘れていました。
 わたしのインタビューのときも、この話は出ていなかったでしょう?

 何気ない言葉です。
 でもわたしは、その言葉が本当に嬉しくて、またいつでも行けるんだと思ってしまいました。

 だめでした。
 実はそれから、何度か、蜂谷クリニックに行ったのです。
 八歳のとき、九歳のとき、十歳のとき、十二歳のとき。またいつでもおいでと言うから。

 けれども、クリニックの外で。
 あるいはクリニックの入り口で。
 いつも追い返されました。

 お父さんの奥さんが、クリニックの職員に命令していたんですね。
 もし女の子がやってきて、二見華子と名乗ったら、それは絶対に追い返しなさい、と。

 わたしは、なんとかお父さんに会いたかったんです。もう一度会いたいし、それに小学校でもいじめられていましたから、できればもう、蜂谷家の子供になりたかったんです。子供になれないなら、働かせてほしい、とまで思いました。

「もう、お父さんじゃなくていいですから。先生でいいですから。もう一度だけ会わせてください」

 十二歳で訪れたときは、こうやって必死に訴えましたが、職員さんは聞く耳を持たず、

「あまりしつこいようなら、警察を呼ぶよ」

 と、脅されてしまいました。
 十二歳の子が、そんなことを言われたら、もうおしまいですよね。
 わたしはついに、お父さんに会うことを諦めて、家に戻りました。

 はい。
 そのとき、わたしを脅したのは、篠原みどりでした。
 あの女は、十二歳のときから、わたしの敵でした。



 次に父と会ったのは、二十二歳のときでした。
 助けてほしいと思ったのです。

 学校もアルバイトもうまくいかなかった自分。
 さらに、父からの養育費はわたしが十八歳になったときに終了しましたから、二見家の生活は明らかに苦しくなっていました。

 母親はこのころ糖尿病を悪化させ、ろくに働けなくなっていました。
 茶封筒の糊付けのような、内職のようなものをやったり、ホテルの清掃をやったりはしていましたが、それも二年前、わたしが二十歳になったときにやめてしまい、いまでは完全に無職でした。

 生活保護?
 それも、いまでは多少理解できますが、当時のわたしにはそんな知識がありませんでした。
 お母さんも、

「生活保護なんて申請したって、どうせ貰えないよ。役所のおじさんに説教されて、不愉快になるのがオチだから」

 なんて言って、保護を受けようとはしていませんでした。
 二見家は困窮していました。もう、お父さんに頼るしかないと、わたしは思い込んでいました。

 けれども。
 そのまま蜂谷クリニックに行っても、また追い返されるだけ。
 それなら、せめて、ぱっと見ただけでも二見華子だと分からないようにしよう。

 そう思って、なけなしのお金を使って美容院に向かい、散髪をして髪を染め、古着屋におもむいて、安いけれども派手な服を着ていったのです。

 その結果。

「誰だ? 君は」

 二十二歳のとき、お父さんと再会しましたが、お父さんはわたしだと分かっていませんでした。
 当時のわたしはずいぶん太っていたし、そもそも七歳のときから会っていないのだから、気が付かないのも無理はありません。

「わたしだよ。華子だよ」

「華子。……華子か。どうしたんだ、急に」

 びっくりしていましたが、とにかくお父さんには会えました。
 そして現金をいただくこともできました。

 けれども、美容師の宮地理人に騙されて、せっかくお父さんから貰ったお金をマルチの香水ビジネスに捧げてしまい、それがお父さんにバレて、援助を打ち切られました。

 そうです。
 わたしが馬鹿だったんです。
 けれども、他に思いつかなかったんです。

 他にできることがあったはず?
 そうですよ、その通りです。でも、できなかったし、思いつかなかったんです。
 だから、宮地みたいな男にすべてを委ねてしまって……。

 最後に会ったとき、わたしはお父さんに謝りました。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 そんなわたしを見て、お父さんは、吐き捨てるように言いました。

「お前も母親と同じだな。親子揃って、どうしようもない馬鹿だ」

 殺意が芽生えました。
 お母さんと不倫して、わたしを作って、そのあと、ただお金を支払うだけで。
 そしていまも、篠原みどりと不倫を続けている。そんないい加減な父親に馬鹿にされて。

 母親を侮辱されたことも、やはり許せませんでした。
 あのひとは、嫌な母親です。だめな母親です。いいかげんな女性です。
 けれども、それでも、二十二歳までいっしょにいた母親なのです。それを、なにもしなかった父親が見下して、馬鹿呼ばわりして。こんなことが許されるのでしょうか。

 わたしは歯を食いしばりながら、家に帰りました。
 誰も彼もが嫌いでした。世の中すべてを憎いと思いました。

「ただいま」

 帰宅しました。
 返事がありません。
 母がいるはずなのに。

 アパートの、段ボールの中に、安物の香水が詰められていました。
 そのあたりに、汚れたタオルや下着、冷えたスープだけが入っているカップラーメンの食器、ボロボロの市政だより、さらに母親が使っているインスリン注射の器具が転がっています。机の上に置かれた紙パックのワイン、そのストローのフチに、小バエが二匹、くっついていました。

 そんな光景の中で。
 母は静かに息絶えていました。
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