夢カフェ 眠りと夢の世界へいざなうカフェの店員はじめました

須崎正太郎

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第四話 『たぶん』会えないあの友達

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 朝の陽光が、夢幻館の黒いレンガの外壁を柔らかく照らす。

 逢はカフェのカウンターを拭きながら、ふと窓の外を見た。

 ビルの谷間に佇むこのカフェは、町の雑踏の中にあるのに、店内はまるで異世界のように静かだ。

 逢がここで働き始めてから、一週間が経つ。

「六藤さん、そのグラスも拭いていただけますか?」

 カウンターの奥から、城川の穏やかな声が響く。

 少し長めの黒髪を無造作に束ね、白いシャツに黒いエプロンが似合う店主は、今日もどこか現実離れした雰囲気を漂わせていた。

「はい、わかりました。城川さん、本当に細かいところまでチェックされますね」

 逢はグラスを手に取った。この一週間で、城川の細やかな気遣いが、夢幻館の不思議な空気を作り出していることに気づき始めていた。清潔な寝室、香り高いハーブティー、静かな店内。すべてが、訪れる人を眠りへと誘うための舞台装置のようだ。

「細やかでないと、夢の質が落ちてしまいますから。このカフェは、ただの喫茶店ではございません」

 城川はそう言ってコーヒー豆を挽き始めた。

 ガリガリと響く音が、店内に心地よいリズムを刻む。

 逢はふと、あの夢を思い出した。ガラス張りの地面、青い水、絵と音楽、お菓子と紅茶、そして泣いていた男の子。あの夢の続きをいつか見たい。自分はここで働いている理由はそれが大きい。

「ところで、城川さん。いまさら尋ねるのもなんですが」

「はい、なんでしょうか?」

「このカフェは、どうやってその人の見たい夢を見せているんですか? あれはまるで魔法にかかったようでした」

「枕の中に、特別な香料を混ぜています。その香料を吸った方は、ぐっすりとお眠りになり、夢の世界に入ることができます」

 そんな香料を扱えるなんて、城川さんはいったい何者なんですか?

 この一週間、お客さまがまったく来ていない夢幻館の経営も、どうやって成り立たせているんですか?

 尋ねたいことは山ほどあるが、聞くことがはばかられる。そんな空気が確かにあった。そもそも自分はまだ入店したばかりの新人なのだから、大した仕事もしていないうちから、あまり深く突っ込むことはできないとも思っていた。

(けれども、いつかは聞いてみたいな。城川さんと夢幻館の秘密……)

 そのとき、扉の鈴が軽やかに鳴った。

 逢はハッとして振り返る。

 夢幻館の静かな空気が微かに揺れた。

 ドアの向こうから入ってきたのは、三十五歳くらいの女性だった。肩にかかるややくすんだ栗色の髪、疲れの滲む目元、どこか遠くを見つめるような表情。彼女のスーツはきちんとしているのに、どこか心の隙間を映すように少しだけよれていた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、夢幻館へお越しくださいました」

 城川が穏やかに声をかけると、女性は一瞬ハッとしたように顔を上げ、店内を見回した。彼女の視線は、木の温もりが漂うカウンターや、壁に並ぶ古びた本棚、柔らかなオレンジ色の灯りにゆっくりと吸い込まれていくようだった。

「ここ……カフェですよね? あの、『好きなだけ眠れて、見たい夢が見られるカフェ』という……」

 女性の声は少し震えていた。疑念と、かすかな期待が混じり合った響き。逢はその声を聞いて、自分が初めて来店した日のことを思い出した。あの日、彼女も同じようにこの不思議なカフェの扉をくぐり、同じような気持ちでここに立っていた。

「その通りでございます。好きなだけお眠りいただき、お好きな夢をご覧いただけるカフェです。僕は城川蝶也、この店の店主でございます。そちらの彼女はスタッフの六藤逢。どうぞよろしくお願いいたします」

 城川が丁寧に自己紹介すると、女性は小さくうなずいた。

「森野かなえと申します。よろしくお願いします」

 かなえの声は控えめだったが、どこか切実な響きがあった。逢はカウンターの奥でグラスを拭きながら、そっと彼女の様子を窺った。疲れている。明らかに。目の下のクマと、肩に重くのしかかるような空気がそれを物語っていた。

「森野さん、お疲れのようですね。まずはお飲み物をどうぞ。ゆっくりおくつろぎください。どのような夢をご覧になりたいですか?」

 城川がメニューを差し出しながら、柔らかく尋ねた。かなえはメニューを手に取ったものの、すぐに視線を落とし、唇を軽く噛んだ。しばらくの沈黙の後、彼女は小さな声でつぶやいた。

「夢……見たい夢……。昔の友達に会いたいです」

「友達でございますか?」

 城川が軽く首をかしげると、かなえの視線が遠くにさまよった。

「子供のころ一緒に遊んでいた、友達なんです」

 かなえの声は、まるで過去の記憶をそっと撫でるように優しかったが、同時に深い後悔が滲んでいた。逢は、彼女の言葉に耳を傾けた。

「そのお友達とは、もう会えないんですか?」

「たぶん……」

「たぶん?」

 言い方が奇妙だった。

 だが、それ以上を彼女は語らない。

 かなえは、まだ逢たちに心を許していないらしい。初対面なので当然ではあるが……。

(なにか事情があるんだろうな。当然かも。だからこそ、このひとは夢幻館にやってきたんだから)

 かなえの声が途切れると、店内に静寂が広がる。

 城川は静かにうなずき、ティーポットを手に取った。

「お友達とまた会いたい。素晴らしい夢ですね。それでは、寝る前になにか、お飲み物を口にされたほうがよろしいかと存じますが、何になさいますか? リラックスできるものがよろしいでしょうか?」

 かなえは少し迷った後、メニューを指さした。

「ラベンダーティーをお願いいたします。落ち着けそうなので」

「素晴らしい選択です。少々お待ちください」

 城川が手際よくティーポットを準備し始める。ラベンダーの甘く柔らかな香りが、店内に広がっていった。

「ティーをお召し上がりいただき、二階の寝室でゆっくりお休みください」

 かなえはカップを受け取り、そっと一口飲んだ。ラベンダーの香りが、彼女の疲れた心を優しく包み込むようだった。逢が二階の寝室に案内すると、かなえは少し緊張した面持ちで部屋に入った。

「こちらで、好きなだけお眠りください。カギもおかけいただけますので、安心してお休みになれます」

 逢の言葉に、かなえは小さくうなずいた。

 そしてドアが閉まる。

 室内からカチリと鍵の音が響く。

 逢は一階へと戻った。

「さて、ここからが案内人の仕事でございます」

 城川はカフェの奥からノートパソコンを取り出し、操作を始めている。

 画面に動画が映し出される。

 動画では、田園地帯の真ん中にベッドが置かれ、そこでかなえが眠っていた。

「これがもしかして、お客様の夢の中ですか?」

「その通りです。夢をご覧になっているお客様の脳波を捉え、動画化しております。あとは頃合いを見計らってこちらから声をかければ、夢の世界でお会いすることができます」

「わたしのときも、こうして声をかけていたんですね」

「そうです。もっとも、夢を覗き見する趣味はございません。僕が行うのは、あくまで最低限の案内のみ。お客様がご希望であれば、夢の世界を共に過ごすこともできますが――さて、そろそろお客様が夢の中でお目覚めになりますよ」

 夢の中なのにお目覚めとは妙な表現だなと思うが、実際、そうとしか表現できないようだった。

 それにしても、かなえが言っていた、たぶんもう会えない友達、とはどういう意味だったのか。

 たぶん、という単語が引っかかる。

(その謎は、きっともうすぐ解ける)

 逢はノートパソコンに、いっそう注目した。

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