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しおりを挟む葛西が念の為に動物病院に連れて行ったところ健康体とのことなので、子猫はひとまず征一郎の実家、つまり黒崎芳秀の屋敷へと預けることにした。
病院から直接送り届けるように指示を出し、征一郎は予定より少し遅くなったがちびと出掛けることにする。
どこか行きたいところがあるかと尋ねると、ちびのリクエストは「自然のあるところ」とのことだ。
公園のようなところがいいというので、近場に向かうことにした。
■渋谷区 代々木公園
特別な催しがあるわけではない平日の昼間でも園内にはそれなりに多くの人の姿が見える。
稼業柄、あまり公共施設を訪れることはないものの、自然の多い場所というのはやはり清々しい。
ちびは「遮蔽物の少ないところだと鉄砲玉に狙われたりしない?」と心配そうな顔をしたが、同業者に狙われる危険よりも、善意の一般人に通報されたら面倒だなという懸念の方が大きかった。
堅気に見えない征一郎と、少年と青年の境目くらいに見えるちびが並んでいると、犯罪臭がするというのは自分で言うのもなんだがよくわかる。
が、逮捕されたところで警察庁も芳秀の支配下だ。征一郎を逮捕したところで、何も知らない末端の警官がかわいそうな思いをするばかりなので、できればそういう事態は避けたかった。
「あっ」
園内に入ると早速何かを見つけたらしく、ちびは植え込みのそばにしゃがみこんで、地面をじっと観察している。
何だと後ろからのぞき込むと、どうやら蟻の行列のようだ。
特別珍しいものでもないような気がするが、見つめるちびは声をかけるのをためらうような、真剣な眼差しである。
しばらく好きにさせていたが、終わる気配がないので声をかけてみる。
「面白いか?」
「うん……蟻って自分の体より大きいものを運べるの、すごいね……」
ずっと室内で過ごすことに不満を訴えることはないものの、こうして外に連れ出すとちびは目に入る一つ一つのものに興味を示す。
体質のこともあるので、気ままに外出はさせられなくとも、これから先はもう少し頻繁に連れ出せたらいいと思った。
ちなみに虫は征一郎の涙腺センサー的にどうかというと、答えは「深く考えないようにしている」だ。
積極的に駆除はしなくても、虫は人の生活に害為すことが多いため、敵対せざるを得ない。
その命の一つ一つに思いを馳せていては、さすがの征一郎も参ってしまう。
つまり一応対象外ではあるが、互いに不幸な結末にならないように、できる限り人と離れた場所で生活をしてくれるよう祈るばかりである。
「蟻なんて、屋敷の庭にもいただろ」
「芳秀さんのお屋敷にいた頃は、人の生活に慣れるのに必死で、あんまり他のことが見えてなかったから……」
そういうものか。
芳秀はちびを「ちょっと作ってみた」ようなことを言っていた。
屋敷にはそれなりに頻繁に呼び出されるが、その姿を見たことがなかったことを考えると、ちびが作られてからまだそう経っていないのではないかと思う。
「お前が生まれた時ってのは、人間の赤ん坊みたいになんも分からねえ状態だったのか?」
「ううん。それまでの記憶があるから、今とそれほど変わらない感じ」
「それまでの記憶…」
人間の赤ん坊も胎内で親の話を聞いているというが、そういうようなものだろうか。
征一郎が疑問に思ったのを察して、ちびは「それまでの記憶っていうのは……」と補足した。
「もうその頃の記憶はだいぶ薄くなっちゃってて上手く…いえないんだけど。前世の記憶があるみたいな感じなのかな。でも逆に、それまでの記憶があったからこの体に慣れなくて。ホムンクルスは創造主の記憶の一部を共有できるんだけど、芳秀さんの常識は他の人の常識と違うから」
それは……そうだろう。
芳秀は生きていく上で一切必要ないようなことはなんでも知っていても、その思考回路は常人と大きく異なる。
「苦労……したな」
その労苦を思うと、ホロリと涙が出そうだ。
「でも、征一郎に会えるかもって思ったら、いっぱい頑張れたよ」
へへ、と笑った顔には、誇らしさがある。
「あっ……、一人で楽しんじゃってごめんなさい」
ちょろちょろと近くの園内マップを見に行ったちびは、弾んだ声で征一郎を呼んだ。
「征一郎!あっちにお花があるって。見に行こう!」
こっち、と行き先を指差し導く瞳は、キラキラしていた。
その眩しさに、思わす目を細める。
征一郎の裡で、細い腕を掴み引き寄せて抱きしめたくなる衝動と、止める理性とが鬩ぎ合った。
親愛の抱擁ならば、今ここでしても問題はないはずだ。
欲があるから、してはいけないと戒める必要がある。
先程、子猫とちびに対して感じたものとは違う、欲を伴う愛しさ。
征一郎は、この少年を本気で愛してしまったことを唐突に自覚した。
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