けなげなホムンクルスは優しい極道に愛されたい

イワキヒロチカ

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 ブレーカーを落としたせいで薄暗い室内に足を一歩踏み入れると、驚愕の表情を浮かべた樋口親子の姿が見える。
 視線を巡らせると、黒いスーツの男にナイフを突きつけられているちびの姿が目に入った。

「せいいちろ……」

「ちび、」
 痛々しい姿に、征一郎の眉がぐっと寄る。
 征一郎を呼ぶ涙声は弱々しく、服は切り裂かれ、口元や体には赤いものが点々と散っている。
 一体何をされたのか、カッと全身の血が逆流するような怒りを感じたが、それは一瞬のことで、征一郎は己に巻き起こった暴力の衝動を押さえ込んだ。
 亡き母は感情のままに拳をふるうことを絶対に許さなかった。
 人の枠を超えた両親の血を受け継ぐ征一郎にもまた、同じ力が宿っている。
 うっかり力加減を誤ってビルを破壊するようなことになれば、ちびまで危険にさらすだろう。
 征一郎は、煮え滾る怒りをギリギリのところでコントロールして、樋口親子と対峙した。 

「てめえら……」
「おっと、動くなよ征一郎。そのガキを怪我させたくなきゃ」
 そう来ることは読んでいたので、驚愕から立ち直った隆也の言葉の途中で床を蹴り、反応する隙すら与えず男の腕を捻じりあげ、殴って気絶させてちびを奪還した。
「ちび」
「征一郎……」
 支えを失い崩れ落ちそうになったちびを助け起こすようにすると、震える手で抱きついてくる。
 怖かったのだろう。縋り付くような懸命さに、涙腺が緩みそうになるのを堪えた。

 頼みの綱の切り札がなくなって言葉を失う樋口親子を睨む。
「カタギのガキにこんな酷えことしやがって……。俺への下らねえ嫌がらせ程度なら目を瞑れるがな、こいつは高くつくぞ」
「はっ、その病気のガキには何もしてねえよ。服破いて少し触ったら血を吐きやがった」
「なんだと?」

 この血は、乱暴を受けたからではなく、以前エネルギー切れで体調を崩した時のような吐血なのか。
 気をつけて与えていたつもりだったが、また空腹を我慢していたのだろうか。
 だとしたら、征一郎に何の落ち度もないとは言えなくなる。
 もちろん、ちびを攫って服を破いて体を触ったことを『何もしていない』のうちに入れることはできない。それとこれとは別の問題だ。
 同じ黒神会傘下であり、樋口組よりも征一郎の船神組の方が格下である立場上、危害を加えれば後々問題となりそうだが、カタギの身内に手を出されているのだ。一発くらい殴ってもいいだろう。

「くそっ」
 征一郎の放つ殺気から、本気で反撃されることを感じたのか、焦った隆也が父親をかばうように銃を構えた。
「樋口手前ぇ、そんなもんで、俺を止められると思ってんのか?」
 身辺を探られている気配は感じていたが、征一郎の仕事ぶりについては探らなかったのだろうか。
 百人を超えるチャイニーズマフィアを一掃してきてくれだとか、今まさにドンパチやっている組同士の中に割り込んで仲裁してこいだとかいう危険極まりない仕事から無傷で帰ってきていることがどういうことか、今まで一度も考えなかったのか。
 拳銃一つで止められるわけもないだろうに。
 ちびを簡単に奪還できたのは、ただの脳筋という思い込みによる油断のおかげだが、少々侮らせすぎているかもしれない。
 内心呆れていると、足音が聞こえてきた。
 増援かと扉に視線を向けると。

「ちょっと、征一郎。一人で乗り込まないでよ」

 突然顔を出したのは、呼んだ覚えのない男だ。
「月華」
 八重崎が連絡を入れたのだろうか。
「神導」
 樋口親子の顔が揃って歪む。そっくりだ。
 いつも通り土岐川を伴い、優雅な足取りで征一郎の方へと歩いてきた月華は、ちびの姿を見てこめかみに青筋を立てた。

「殺せばいい?」

 背後に般若が見える『にっこり』に場が凍る。
 征一郎は今にも手にした日本刀を抜きそうな月華を押し留めた。
「今日のところは俺に譲れ。お前はちびを……」
 ちびを託そうとすると、突然くったりと抱えられていた身体が強張った。

「せいいちろ……っいかないで……」

 心細いのか、涙ながらに必死に引き留められて、ぐっと詰まる。
 逡巡していると、ふっと横にいた月華が笑った。
「まあ、あのクズ二人に生まれてきたことを後悔させたい気持ちもわかるけど、今はちび太とうちに帰ってあげたら?ここは僕が征一郎の分を残しつつ半分くらい殺しておくからさ」
 釈然としない気持ちはあっても、どちらにしろ気が済むまで殴ったりはできないのだから、ちびを優先するべきなのだろう。
「……わかった。殺すなよ」
「りょーかーい。去勢くらいはしておこうかな」
「片方潰すくらいにしといてやれ」
 ニヤリと笑い合うと、樋口親子は絶望的な表情になった。
 月華は、やると言ったらやる。それを知らない者は黒神会にはいない。
 殴れなかったが、あんな顔を見られただけでもよしとすることにした。
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