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1回目の人生
悪意のない提案
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それはまだ王妃自慢の庭園にバラを始めとして百合やツツジなどが咲き乱れていた頃だった。
「ヴィー。待たせてしまったね」
その声に侯爵令嬢のヴィオレッタは椅子から立ち上がりカーテシーで声の主を迎える。
「いいえ、王妃様ご自慢の庭園に心を奪われ、ご挨拶が遅れてしまいました」
「そうだね。母上はこのヴィレローズという品種に特に手を入れているんだ」
ヴィオレッタの名を取った薔薇の花は、深紅という色をしているが花びらの先端が少しだけ白くなったものだった。先端のほんの少しだけが色を変えたのはここ2年ほど。
それまでは試行錯誤だったと苦労話をよく聞かされた。
「本日は大事なお話があると伺ったのですが、どのような?」
「まぁ、かけてくれないか。立って話すような事ではない」
レオンに促されてヴィオレッタは椅子に腰を下ろす。その姿も優雅な中に清楚さがあり周りの侍女たちはつい感嘆の声を小さく上げ、頬を染める。
『お兄様たちのようにもう少し濃い銀色なら良かったのに』
そう自分の髪色を気にするが、光るような銀髪はなめらかで専属侍女は結うのが躊躇うほどだと愚痴をこぼす。自然に流した髪は光に当たればまるでオーロラのように角度によっては色を変える。
茶を持つ仕草も流れるように美しく、光の粒が軌跡を描くように動くようにも見える。
ヴィオレッタの母は少し離れた帝国の第三王女だったがその美しさは類まれだと求婚する者が耐えなかった。皇帝は何処に嫁がせるかで悩んでいた頃、外交官の補佐で帝国を訪れた侯爵に王女は恋をした。
外交の才は秀でている男だったが、見た目は平々凡々。その頃の侯爵家は特に裕福でもなくかといって領地経営に躓いているわけでもなく。要は外交の才以外は全てが平均な男に王女は燃えるような恋心を抱いた。
彼が役目を終えて帝国を去る前の夜、王女は宿屋にお忍びで訪れ逆プロポーズをしたのだ。
そんな母の美貌と父の才を受け継いで生まれたのはヴィオレッタとその兄である。
幼少から母に帝国仕込みの所作やマナーを学んだヴィオレッタにはそもそも王子妃教育も王太子教育も不要だった。開始しても講師陣が力不足だと次々にその役を降りたのである。
教えられる事はあっても教える事はない。口を揃えて講師たちは国王に進言した。
レオンとヴィオレッタの婚約が結ばれたのは双方が4歳の時であった。
レオンは一目見るなり頬を染め、初めて手をつなぐとさらに顔は赤くなりその夜は熱を出した。
対照的にヴィオレッタは静かに微笑むだけで4歳で既に完成された淑女だった。
さしたる問題もなく18歳でともに学院を卒業した2人は20歳の成人と同時に婚儀の礼を行う予定だった。誰もがその予定が狂わされるなど考えてもみなかった。
「実は僕には愛する人が出来たんだ。だからヴィーとは直ぐに結婚できない。彼女はもう妊娠しているしね。あぁでもヴィーにも手伝ってもらわないと公務は滞るしヴィーも手持無沙汰だろう?だからヴィーには側妃として予定していた婚礼の儀よりも後に嫁いできて欲しいんだ。その間も公務は用意しておくよ」
テーブルから少し離れた場で、騎士が思わず落としそうになった長槍を持ち替える音と、侍女たちが「ヒュッ」と息を飲み込む音が聞こえる。
「そのお言葉の意図が見えないのですが」
「だから、彼女、あぁ彼女はジェシーと言うんだが少し前に知り合ったんだ。何度か会っているうちに彼女との愛に気が付いた。愛すべき人に出会ったんだ」
「それで子を成した…と?」
「聞かされた時は僕も驚いた。だが男として責任は取らねばならないだろう?」
言葉が発せられるたびにヴィオレッタの瞳から温度が消えていくのを目の前で身振り手振りも加えながら話しているレオンは全く気が付かない。そして、その言葉はどれほど失礼で切れ味の良い剣でも付けられないような傷を与えているのかも気が付かない。
ヴィオレッタは思った。
子が出来た事の責任は勿論取るべきであるが、無駄に15年間、4歳から19歳まで王家に、貴方との婚約に縛りをつけられたわたくしに対しての責任が、【公務をさせてやるから側妃になれ】と言う事なのかと。
「でもね、ジェシーは平民なんだ。昼間は市場で青果の仕分けをして夜は酒場で給仕をしていてね。文字の読み書きは出来ないんだ。だから公務は今まで通りヴィーにしてもらいたいんだ」
「酒場で給仕を‥‥」
「あぁ、でも如何わしいような店ではない。安心をしてほしい」
ヴィオレッタの表情は変わらないが、護衛の騎士や侍女たちはどこに安心をすれば良いのだと王子を正さずにはいられない気持ちを押さえつけるので精一杯である。
侍女は思った。
そんなに朝から晩まで働いて、王子と会うのが出来るのか?と。
小さな疑問だった。
「結婚式は延期にはなるがしないという事ではないんだ。ただ先に正妃の結婚式をする必要があるから出産後という事になる。でもちゃんと結婚式はするから大丈夫だ」
音をさせずに優雅に手にしていたカップを置く。静かにレオンに微笑みながら返事をする。
「この件、両陛下はご存じなのでしょうか」
「いや、まずはヴィーにと思ってね。一緒に説得をしてくれるとありがたい」
カタリと席を立つとヴィオレッタはカーテシーをする。顔をあげると
「申し訳ございません。わたくしでは殿下の隣に立つのは畏れ多いこと。今後の話、流れにつきましては父を通してお願いいたします」
「えっ?どうして?ヴィーは妃とするに申し分ない。それにどうして殿下なんて言うんだ。いつも通りレオでいいよ。殿下なんて呼ばれるとヴィーが臣下みたいじゃないか」
「わたくしはこのヘクマレン王国の臣下、コルストレイ侯爵家の娘。当然でございます」
「わっ、わっ!嫌だな。急にどうしたんだ?」
「申し訳ございません。父へ可及的速やかに報告する必要が御座いますのでこれにて失礼を」
「あ、あぁそうか。すまない。急ぎの用があったのか。呼び立ててすまなかった」
「いいえ。お心遣い痛み入ります」
コルストレイ侯爵は王宮内にある文官が務める事務棟で執務を行っている。
ヴィオレッタは再度レオンに礼をするとくるりと踵を返し歩き始める。
歩きながらヴィオレッタは心で呟く。
【ここまでバカだとは思わなかったわ】
2人の間に空間が広がっていく。それは2人の関係が未来永劫に交わる事がない事に気が付かないのはレオンだけだった。
「ヴィー。待たせてしまったね」
その声に侯爵令嬢のヴィオレッタは椅子から立ち上がりカーテシーで声の主を迎える。
「いいえ、王妃様ご自慢の庭園に心を奪われ、ご挨拶が遅れてしまいました」
「そうだね。母上はこのヴィレローズという品種に特に手を入れているんだ」
ヴィオレッタの名を取った薔薇の花は、深紅という色をしているが花びらの先端が少しだけ白くなったものだった。先端のほんの少しだけが色を変えたのはここ2年ほど。
それまでは試行錯誤だったと苦労話をよく聞かされた。
「本日は大事なお話があると伺ったのですが、どのような?」
「まぁ、かけてくれないか。立って話すような事ではない」
レオンに促されてヴィオレッタは椅子に腰を下ろす。その姿も優雅な中に清楚さがあり周りの侍女たちはつい感嘆の声を小さく上げ、頬を染める。
『お兄様たちのようにもう少し濃い銀色なら良かったのに』
そう自分の髪色を気にするが、光るような銀髪はなめらかで専属侍女は結うのが躊躇うほどだと愚痴をこぼす。自然に流した髪は光に当たればまるでオーロラのように角度によっては色を変える。
茶を持つ仕草も流れるように美しく、光の粒が軌跡を描くように動くようにも見える。
ヴィオレッタの母は少し離れた帝国の第三王女だったがその美しさは類まれだと求婚する者が耐えなかった。皇帝は何処に嫁がせるかで悩んでいた頃、外交官の補佐で帝国を訪れた侯爵に王女は恋をした。
外交の才は秀でている男だったが、見た目は平々凡々。その頃の侯爵家は特に裕福でもなくかといって領地経営に躓いているわけでもなく。要は外交の才以外は全てが平均な男に王女は燃えるような恋心を抱いた。
彼が役目を終えて帝国を去る前の夜、王女は宿屋にお忍びで訪れ逆プロポーズをしたのだ。
そんな母の美貌と父の才を受け継いで生まれたのはヴィオレッタとその兄である。
幼少から母に帝国仕込みの所作やマナーを学んだヴィオレッタにはそもそも王子妃教育も王太子教育も不要だった。開始しても講師陣が力不足だと次々にその役を降りたのである。
教えられる事はあっても教える事はない。口を揃えて講師たちは国王に進言した。
レオンとヴィオレッタの婚約が結ばれたのは双方が4歳の時であった。
レオンは一目見るなり頬を染め、初めて手をつなぐとさらに顔は赤くなりその夜は熱を出した。
対照的にヴィオレッタは静かに微笑むだけで4歳で既に完成された淑女だった。
さしたる問題もなく18歳でともに学院を卒業した2人は20歳の成人と同時に婚儀の礼を行う予定だった。誰もがその予定が狂わされるなど考えてもみなかった。
「実は僕には愛する人が出来たんだ。だからヴィーとは直ぐに結婚できない。彼女はもう妊娠しているしね。あぁでもヴィーにも手伝ってもらわないと公務は滞るしヴィーも手持無沙汰だろう?だからヴィーには側妃として予定していた婚礼の儀よりも後に嫁いできて欲しいんだ。その間も公務は用意しておくよ」
テーブルから少し離れた場で、騎士が思わず落としそうになった長槍を持ち替える音と、侍女たちが「ヒュッ」と息を飲み込む音が聞こえる。
「そのお言葉の意図が見えないのですが」
「だから、彼女、あぁ彼女はジェシーと言うんだが少し前に知り合ったんだ。何度か会っているうちに彼女との愛に気が付いた。愛すべき人に出会ったんだ」
「それで子を成した…と?」
「聞かされた時は僕も驚いた。だが男として責任は取らねばならないだろう?」
言葉が発せられるたびにヴィオレッタの瞳から温度が消えていくのを目の前で身振り手振りも加えながら話しているレオンは全く気が付かない。そして、その言葉はどれほど失礼で切れ味の良い剣でも付けられないような傷を与えているのかも気が付かない。
ヴィオレッタは思った。
子が出来た事の責任は勿論取るべきであるが、無駄に15年間、4歳から19歳まで王家に、貴方との婚約に縛りをつけられたわたくしに対しての責任が、【公務をさせてやるから側妃になれ】と言う事なのかと。
「でもね、ジェシーは平民なんだ。昼間は市場で青果の仕分けをして夜は酒場で給仕をしていてね。文字の読み書きは出来ないんだ。だから公務は今まで通りヴィーにしてもらいたいんだ」
「酒場で給仕を‥‥」
「あぁ、でも如何わしいような店ではない。安心をしてほしい」
ヴィオレッタの表情は変わらないが、護衛の騎士や侍女たちはどこに安心をすれば良いのだと王子を正さずにはいられない気持ちを押さえつけるので精一杯である。
侍女は思った。
そんなに朝から晩まで働いて、王子と会うのが出来るのか?と。
小さな疑問だった。
「結婚式は延期にはなるがしないという事ではないんだ。ただ先に正妃の結婚式をする必要があるから出産後という事になる。でもちゃんと結婚式はするから大丈夫だ」
音をさせずに優雅に手にしていたカップを置く。静かにレオンに微笑みながら返事をする。
「この件、両陛下はご存じなのでしょうか」
「いや、まずはヴィーにと思ってね。一緒に説得をしてくれるとありがたい」
カタリと席を立つとヴィオレッタはカーテシーをする。顔をあげると
「申し訳ございません。わたくしでは殿下の隣に立つのは畏れ多いこと。今後の話、流れにつきましては父を通してお願いいたします」
「えっ?どうして?ヴィーは妃とするに申し分ない。それにどうして殿下なんて言うんだ。いつも通りレオでいいよ。殿下なんて呼ばれるとヴィーが臣下みたいじゃないか」
「わたくしはこのヘクマレン王国の臣下、コルストレイ侯爵家の娘。当然でございます」
「わっ、わっ!嫌だな。急にどうしたんだ?」
「申し訳ございません。父へ可及的速やかに報告する必要が御座いますのでこれにて失礼を」
「あ、あぁそうか。すまない。急ぎの用があったのか。呼び立ててすまなかった」
「いいえ。お心遣い痛み入ります」
コルストレイ侯爵は王宮内にある文官が務める事務棟で執務を行っている。
ヴィオレッタは再度レオンに礼をするとくるりと踵を返し歩き始める。
歩きながらヴィオレッタは心で呟く。
【ここまでバカだとは思わなかったわ】
2人の間に空間が広がっていく。それは2人の関係が未来永劫に交わる事がない事に気が付かないのはレオンだけだった。
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