殿下、今回も遠慮申し上げます

cyaru

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1回目の人生

ココアと茶菓子

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長い廊下を歩き、いくつかある回廊の中から父のいる執務室がある棟へ伸びる回廊に足を進める。

すれ違う衛兵や文官、女官に会釈をしながら進んでいくと大臣でもある父の部屋が見える。
扉の前に立つ2人の兵士とはもう顔見知りである。
そのまま扉を開けてもらうと、丁度一息ついた父が見えた。

「ヴィオ。どうしたんだ?殿下と茶会ではなかったのか」

王宮に向かう侯爵の馬車に相乗りをしてきたのである。当然何の用で登城するのかは馬車の中で伝えてあった。子煩悩でもある侯爵はまだ茶会の途中ではと時計と娘の顔を交互に見る。

「お父様、先程殿下より愛する者が出来たので公務のみをする側妃として婚姻の礼を遅らせて嫁ぐようにお言葉を頂きました」

「はっ?」

身動きの出来ない時間が父娘の間に流れる。ヴィオレッタも王子からこの事を聞いた時は頭の中でしばし整理をしたのである。父も同様だろうと目を逸らさずに父を見据える。

「それはまことか」
「はい。なんでも読み書きは出来ず、昼は青果の仕分け、夜は酒場で給仕をされている女性で身籠ったと。公務に支障が出るとお考えのようで、わたくしに公務をするようにとの仰せで御座います」

見る間に頭から湯気が出るのではないかと思うほどに烈火する侯爵。
机の上にあった書類もペンスタンドも怒りに任せて床に落としてしまった。
空いたままの扉からは声が聞こえたのであろうか、数人がのぞき見をしている。
扉の外にいた2人の兵士も口を開け、微動だにしない。

「人を‥‥バカにし腐りおって…」
「不敬で御座います。お父様」
「不敬だろうが関係ない。この事、両陛下はご承知なのか」
「いえ、わたくしにともに説明をしてほしいと仰せでした。両陛下はご存じないでしょう」
「なるほど。よく判った。直ぐに戻るからここで待っていてくれ」
「判りました」

侯爵は引き出しから数枚の書類を確認して取り出すと握りしめて部屋を出て行く。
秘書代わりでもある文官が散らばった書類やペンを拾っていく。
ヴィオレッタもそれを手伝い、数枚の書類を拾い上げると茶を頼んだ。

あの場では飲もうと茶器を手にしたまでは良かったが、一口も飲まずに置いたのだ。
無論、飲めと言われて飲めるような話の内容でもなかったが。

「紅茶がよろしいですか?」
「他に何か御座いますの?」
「カカオから作ったココアという飲み物も御座います」
「ではココアを頂きますわ。お砂糖を少しお願いいたします。あなたもご一緒にどうかしら」
「よ、よろしいのですか?」
「えぇ、1人で飲むよりも美味しく感じると思いますもの」

ニコリと微笑むヴィオレッタに真っ赤になりながらココアを2つ入れる文官。
そう言えば、母の実家のある帝国から届いたココアの缶が幾つかなくなっていたのは父がここに持ってきたのだろうと思うとクスリと笑いが出た。

花の型をした固めた砂糖はないようで、小さなポットにシュガースプーンも一緒に出され、2杯の砂糖を入れ掻き混ぜる。ゆっくりと混ぜ、茶器に指をかけて持ち上げた時だった。

「ヴィオレッタ!」

どうやら今日はとことんまで茶を飲む機会を失くす日なのだろうかと、振り返らずにそっと茶器を置く。
次第に名を呼び近寄ってくる足音は見知った者である。

「カイゼル様。そのように慌ててどうなさったの」
「どうって‥‥大丈夫なのか?」
「何が大丈夫なので御座います?わたくしココアを飲もうとしただけです」
「そうではない!殿下の‥‥殿下の話は本当なのか」

いつの間にこの男は知ったのだろうかと考える。レオンから聞いてまだ半刻も経っていない。
即位すれば宰相としてレオンを支えるカイゼルは先に聞かされていたのかとその目を見る。

「ご存じだったのですか?」
「いや、先程聞いて驚いた…こんな事になるなんて。すまない」
「貴方が謝罪をするような事ではないでしょう?」
「市井に殿下がお出かけになるのは知っていた。だがどうして…婚約はどうなるんだ」
「継続をする事は難しいでしょうね。そして御子が出来たという以上わたくしが正妃となるのも不可能。正妃として嫁ぐ前にまだ側妃にもしていない者に子が生まれるのですから」

「こ、子供?バカなのかっ!」
「不敬ですよ。わたくしの未来に対してのお言葉としておきましょう。お座りになったら?あぁ、この方にもココアを淹れて差し上げてくださる?」

当事者であるヴィオレッタは落ち着き払っているが、目の前のカイゼルは怒りと焦りが顕著に見える。
それで今後は宰相となり務まるのかと問うてみたいとヴィオレッタは思った。

文官がココアをカイゼルの分も淹れると、茶請けの菓子の入った籠も出してくる。既視感のあるその菓子に、ヴィオレッタはまたしても父が持ってきたのだなと少々呆れてため息を一つ吐いた。

「婚約はどうなるんだ」
「ですから難しいでしょうね。元々この婚約は王家から半ば強制されたもの。陛下とお父様がどのような判断をなさるかはわたくし如きが知る由もございませんが…少なくとも‥」

「少なくとも・・・なんだ?」
「しばしの時を頂けるのであれば、させて頂きたいですわね」
「そうか…それならば…」
「カイゼル様、おひとつ如何かしら。ととても美味しゅうございますのよ」

カイゼルはハッとして視界に入る身の回りが注目をしている事を知る。
暫くは表立っては動くな、その口は今は閉じろと遠回しに注意されていた事に気が付く。

「旨いな。この飲み物は何だ?」
「ココアですわ。お母様のご実家から頂いたのですが父が勝手に持ってきたようです」
「さすがは帝国だな。異国の品がこうも簡単に味わえるとは」
「お菓子もですのよ。可愛いお菓子でしょう?」
「そうだな。もう1つ頂こう」


1時間ほどで執務室に戻ってきたコルストレイ侯爵は手早く私物をカバンに入れ始める。
突然の事に慌てる秘書の文官たちだが、ヴィオレッタはおかわりを頼んだココアと共に菓子を味わう。

「行こうか」
「意外と少ないのですね」
「あとは残しておかねば下の者が執務に困るからな」

コルストレイ侯爵の後をゆっくりと歩き執務室を出て行く。さほど大きくもないがいつもより荷を持つコルストレイ侯爵を見て小走りになる者もいる。

コルストレイ侯爵が大臣の座を辞し、息女は王子との婚約を解消した。

この事実はあっという間に高位貴族の間に伝わっていく。
盤石で不動と思われた足元が揺らぎ始めた。
水面下で動いていた第二王子派も息を吹き返してしまった。
中には報復として帝国からの侵攻が始まるのではないかと噂をする者も出てくる。

高位貴族の中ではとどまらずに一晩の内に、王がこの事を発表する前には爵位を持つもので知らぬ者は遠く領地にいる者だけとなり、その地には何頭もの早馬が出される事となった。

屋敷に戻る馬車の中、ヴィオレッタは父から婚約は解消になり王家からは慰謝料が払われる旨を告げられた。慰謝料などどうでもいい。今日は早起きをしたし疲れた。眠りたい。ただそう思った。
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