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第16話 新しい名前
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翌日もべったりかと思いきや、ウォルスは船の修理用工具などを発注するために鍛冶屋を数件回らねばならないと申し訳なさそうにクリスタに頭を下げた。
「御用ですもの。大丈夫です。今日の登城も直ぐに終わる用件ですから」
「危険だ。危険すぎる。俺の腹心の部下を付けてもいいだろうか」
「大丈夫ですって」
「いいや危険だ。世のオスどもはハニーを狙っている」
「そのハニー、嫌です」
「えっ?!」
――何をそんな驚いた顔を?――
貴方だって「ダーリン」とか「ディア」とか呼ばれたら嫌でしょうにと言えば「呼んでくれるのか」と嬉しそうな顔をする。なんなら卑しめる言葉だって嬉しいと言い始めた。
但しウォルスにだけ吐く、が前提であるが。
――ダメだわ。この男には何を言っても褒美にしかなってない――
「兄貴、ほら!行きますよ。奥様困ってんじゃないスか。ほんま、すんません」
「いいえ、良いんですよ」
「奥様、兄貴の前で優しい事言っちゃだめっス。つけあがるんで」
従者がウォルスの事を兄貴と呼んでいるのは、兄弟のように育ったのもあるけれど、ひとたび戦となれば結束と信頼が無ければ一気に攻め込まれてしまう。お互いの絆を深め合うものだとも教えられた。
領地では主従関係はあるけれど、皆が家族。王都とはまるきり違った慣習もあるそうでお互い今日の用件を済ませたら午後の茶でも飲みながら教えてくれると言う。
クリスタは面倒事を終えた後の話に胸を膨らませ登城したのだった。
★~★
全て吹っ切れたのか、登城し回廊を歩いていても中庭のつつじが風に揺れる光景を気持ちに余裕をもって見る事が出来た。
目当ての部屋は王太子の部屋。
「開けてください」
クリスタが扉の前の兵士に伝えれば扉がゆっくりと開いた。
「お待たせいたしました。エクルドール侯爵家が娘、クリスタ参りました」
部屋の中には王太子と王太子妃がいてクリスタの方を向いた。
王太子妃は「いらっしゃい」と数歩前に出て、部屋の中に誘ってくれる。
「侯爵はもう陛下とゼルバ公爵、3者で話を始めている頃だ」
「左様でございますか」
「わざわざ来てもらってすまないな。これを渡したかったんだ」
手渡されたのはマリンシー伯爵家所有のルベルス領に向かうための通行手形だった。
名前はもう【クリスタ・クルール・マリンシー】となっていた。
「家の籍ももう移ったのですね。ですがクルールって」
「侯爵は買い物上手でな。ルベルス領の隣に領を持つシャモ子爵からクルール地区を買い上げたんだ。君のためにね」
他国では嫁いだり婿入りをすると姓が変わるが、それ以外にこの国では名と姓の間に文字があればそれは資産となる領地を所有している証にもなる。
ゼルバ家や王家から迷惑料と名を変えて支払われる金で両親は小さな領地を買いクリスタに持たせてくれたのだ。場所もマリンシー伯爵家の領地、ルベルス領の隣なのは現役中に手を入れやすい位置にあるからだろう。
将来的にウォルスとクリスタに子が出来、代替わりで引退をした際に終の棲家となる地でもある。ウォルスの両親は海難事故の二次災害で無くなりウォルスはそのまま引き継いだが、昨今では先代が引退後は別に住まいを移す流れになりつつある。
エクルドール侯爵夫妻もクリスタの兄に代を譲れば所有領の中で1番小さな領を切り離し移住すると昔聞いたことがあった。
「迷惑料って、もう支払われたんですか?」
「ゼルバ家からは既に支払われている。書面が後にはなっているけどね。父上の分は立て替えておいた」
「た、立て替えで御座いますか?殿下が?」
「利息を付けて返してもらうから問題ないよ」
何処にいても傍にいるよと言ってくれている気がしてクリスタは胸が熱くなった。
「確かに受け取りました」
「良かったのかな?マリンシーは悪い男ではないんだが無理強いのような結婚だ」
王太子なりに心配もしているのだろうが、クリスタは昨夜のウォルスとのやり取りで嫁ぐ事を決めた。不安がないと言えば嘘になるが、今はウォルスの話を聞いて不安よりも期待が大きかった。
「マリンシー伯爵様は昨日到着をされまして、お話も致しました。とても心の大きな方で御座いました」
「そうか。もう到着したんだ?身の丈はないけど確かに大きな男だな。ハハハ」
「はい」
クリスタの優しい笑みに王太子も安心をしたのか、一緒に登城をして来たメルルも「こちらにおいで」と4人掛けのテーブルで1脚空いた椅子に座れと誘った。
「い、いいんですか?」
「構わないよ。美味しい菓子もある。気に入れば持ち帰ればいい」
「わぁ!ホン‥は、はいっ。ありがとうございます」
王太子妃にも勧められてメルルも一緒に茶を飲み始めたが、直ぐに1脚が空席になった。
王太子はこの後、既に3者でやり取りをしている場に行き国王に最後の仕事をさせるのである。
「私は席を外すが、ゆっくりとして行ってくれ。あっと、それから…出立をする前にマリンシーにも顔を出すように言っておいて欲しい。南の辺境伯サウスレッド家にも筋を通さねばならないが暫く王都を離れることも出来そうにないからね」
「畏まりました」
暫く王都を離れる事が出来ないのは譲位が間近であることを示していた。
国王がどんなに役立たずであっても遺恨の残る幕引きをしてしまうのも内乱の元になる。そうならないように王太子と王妃が国王とは別に動き、貴族もやっと纏まった。
背を向け扉に向かう王太子の背中、クリスタには国王の背に見えた。
1時間ほど王太子妃と茶を楽しんだ後は、土産も持たせてもらったメルルはホクホク顔。
「お嬢様、マドレーヌってお菓子!美味しかったですね」
「そうね。異国のお菓子だから皆にも楽しんでもらいましょう」
「どうしよ。私、食べたでしょって数、減らされるかな?」
「メルルは食いしん坊ね」
「だってぇ。美味しかったんですよぅ??」
馬車に乗るために回廊を歩いていると突然クリスタは呼び止められた。
「クリスタ!」
ふとメルルを見ると心底嫌そうな顔をしていた。
「御用ですもの。大丈夫です。今日の登城も直ぐに終わる用件ですから」
「危険だ。危険すぎる。俺の腹心の部下を付けてもいいだろうか」
「大丈夫ですって」
「いいや危険だ。世のオスどもはハニーを狙っている」
「そのハニー、嫌です」
「えっ?!」
――何をそんな驚いた顔を?――
貴方だって「ダーリン」とか「ディア」とか呼ばれたら嫌でしょうにと言えば「呼んでくれるのか」と嬉しそうな顔をする。なんなら卑しめる言葉だって嬉しいと言い始めた。
但しウォルスにだけ吐く、が前提であるが。
――ダメだわ。この男には何を言っても褒美にしかなってない――
「兄貴、ほら!行きますよ。奥様困ってんじゃないスか。ほんま、すんません」
「いいえ、良いんですよ」
「奥様、兄貴の前で優しい事言っちゃだめっス。つけあがるんで」
従者がウォルスの事を兄貴と呼んでいるのは、兄弟のように育ったのもあるけれど、ひとたび戦となれば結束と信頼が無ければ一気に攻め込まれてしまう。お互いの絆を深め合うものだとも教えられた。
領地では主従関係はあるけれど、皆が家族。王都とはまるきり違った慣習もあるそうでお互い今日の用件を済ませたら午後の茶でも飲みながら教えてくれると言う。
クリスタは面倒事を終えた後の話に胸を膨らませ登城したのだった。
★~★
全て吹っ切れたのか、登城し回廊を歩いていても中庭のつつじが風に揺れる光景を気持ちに余裕をもって見る事が出来た。
目当ての部屋は王太子の部屋。
「開けてください」
クリスタが扉の前の兵士に伝えれば扉がゆっくりと開いた。
「お待たせいたしました。エクルドール侯爵家が娘、クリスタ参りました」
部屋の中には王太子と王太子妃がいてクリスタの方を向いた。
王太子妃は「いらっしゃい」と数歩前に出て、部屋の中に誘ってくれる。
「侯爵はもう陛下とゼルバ公爵、3者で話を始めている頃だ」
「左様でございますか」
「わざわざ来てもらってすまないな。これを渡したかったんだ」
手渡されたのはマリンシー伯爵家所有のルベルス領に向かうための通行手形だった。
名前はもう【クリスタ・クルール・マリンシー】となっていた。
「家の籍ももう移ったのですね。ですがクルールって」
「侯爵は買い物上手でな。ルベルス領の隣に領を持つシャモ子爵からクルール地区を買い上げたんだ。君のためにね」
他国では嫁いだり婿入りをすると姓が変わるが、それ以外にこの国では名と姓の間に文字があればそれは資産となる領地を所有している証にもなる。
ゼルバ家や王家から迷惑料と名を変えて支払われる金で両親は小さな領地を買いクリスタに持たせてくれたのだ。場所もマリンシー伯爵家の領地、ルベルス領の隣なのは現役中に手を入れやすい位置にあるからだろう。
将来的にウォルスとクリスタに子が出来、代替わりで引退をした際に終の棲家となる地でもある。ウォルスの両親は海難事故の二次災害で無くなりウォルスはそのまま引き継いだが、昨今では先代が引退後は別に住まいを移す流れになりつつある。
エクルドール侯爵夫妻もクリスタの兄に代を譲れば所有領の中で1番小さな領を切り離し移住すると昔聞いたことがあった。
「迷惑料って、もう支払われたんですか?」
「ゼルバ家からは既に支払われている。書面が後にはなっているけどね。父上の分は立て替えておいた」
「た、立て替えで御座いますか?殿下が?」
「利息を付けて返してもらうから問題ないよ」
何処にいても傍にいるよと言ってくれている気がしてクリスタは胸が熱くなった。
「確かに受け取りました」
「良かったのかな?マリンシーは悪い男ではないんだが無理強いのような結婚だ」
王太子なりに心配もしているのだろうが、クリスタは昨夜のウォルスとのやり取りで嫁ぐ事を決めた。不安がないと言えば嘘になるが、今はウォルスの話を聞いて不安よりも期待が大きかった。
「マリンシー伯爵様は昨日到着をされまして、お話も致しました。とても心の大きな方で御座いました」
「そうか。もう到着したんだ?身の丈はないけど確かに大きな男だな。ハハハ」
「はい」
クリスタの優しい笑みに王太子も安心をしたのか、一緒に登城をして来たメルルも「こちらにおいで」と4人掛けのテーブルで1脚空いた椅子に座れと誘った。
「い、いいんですか?」
「構わないよ。美味しい菓子もある。気に入れば持ち帰ればいい」
「わぁ!ホン‥は、はいっ。ありがとうございます」
王太子妃にも勧められてメルルも一緒に茶を飲み始めたが、直ぐに1脚が空席になった。
王太子はこの後、既に3者でやり取りをしている場に行き国王に最後の仕事をさせるのである。
「私は席を外すが、ゆっくりとして行ってくれ。あっと、それから…出立をする前にマリンシーにも顔を出すように言っておいて欲しい。南の辺境伯サウスレッド家にも筋を通さねばならないが暫く王都を離れることも出来そうにないからね」
「畏まりました」
暫く王都を離れる事が出来ないのは譲位が間近であることを示していた。
国王がどんなに役立たずであっても遺恨の残る幕引きをしてしまうのも内乱の元になる。そうならないように王太子と王妃が国王とは別に動き、貴族もやっと纏まった。
背を向け扉に向かう王太子の背中、クリスタには国王の背に見えた。
1時間ほど王太子妃と茶を楽しんだ後は、土産も持たせてもらったメルルはホクホク顔。
「お嬢様、マドレーヌってお菓子!美味しかったですね」
「そうね。異国のお菓子だから皆にも楽しんでもらいましょう」
「どうしよ。私、食べたでしょって数、減らされるかな?」
「メルルは食いしん坊ね」
「だってぇ。美味しかったんですよぅ??」
馬車に乗るために回廊を歩いていると突然クリスタは呼び止められた。
「クリスタ!」
ふとメルルを見ると心底嫌そうな顔をしていた。
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