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序章

6・知らなかった事実

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中庭を挟んだ向こう側。エカテリニの執務室のある棟は人の出入りが激しい。
しかし、アレコスの執務室のある棟は従者の誰かが小さく咳ばらいをしても聞こえてくるほどに閑散としている。

執務机の上も同じく閑散としていて、アレコスが引き出しからわざわざ紙を取り出し、置いておかなければ木目の美しさだけが映えてしまう。

ふと、そろそろ先王の誕生を祝う夜会があるのではないかと思った。

「夜会だが、燕尾服を新調せねばならないな」
「出来ません」

側付きの従者はアレコスに短く答えた。

「出来ないとはどういう事だ?」
「新調が出来ないと言う事です」


側妃となったカリスに与えられた宮でカリスと寝食を共にし半年。カリスのドレスを仕立てる商会が週に4,5回訪れていたのに先月は週に1回となっていた。持って来る布地も品が良いのは間違いないが、最高級品ではなく明らかにランクが落ちていた。

ハッとして私財を確認してみれば幾つか所有していた領地は既に担保に入っていた。領地を担保に入れて借りた金はカリスの散財にあてがわれており、アレコスの自由になる金は全くない。
従者が「燕尾服は新調出来ない」と言った理由がやっとわかった。

国王としての仕事もしていないため、予算も割り振られていない。
予算がついていたのはエカテリニの懐妊が判るまでの間。
その上、側妃のカリスは知らぬ者はいないほどの浪費家。
目新しい物には目がなく、新製品、新作となれば湯水のように金を使って買い漁る。これでは私財がどんどん目減りするはずである。



アレコスはエカテリニの執務室に走った。
扉の向こうからは従者や侍女、メイドと和やかに歓談するエカテリニの声がする。

アレコスが扉を開けて数歩部屋に入ると途端に空気が一変した。
だが、アレコスは正さねばならないと声を張り上げた。


「カリスの金を私財から払うのを止めてくれないか。何も出来なくなってしまう」

「散財を止めて頂ければ良いのでは?貴方と違ってわたくし、忙しいんですの。つまらない事で公務中は話しかけないでくださいませ」

「公務って?さっきまで談笑してただろう?それにエナは身重なんだ。手伝うよ。何をすればいい?」

「わたくしの事は気にして頂かなくて結構ですわ。こうやって皆が助けてくださいますもの。あら?そう言えば貴方にしか出来ない事が御座いますわね」


エカテリニの口角があがる。
アレコスは心臓が跳ねるほどにその妖艶な笑みに魅入られた。


「何だろうか?」

「彼女のお世話ですわよ?使用人の代わりもすれば予算削減ですわね?」

「私に使用人となれと言うのか」

「そうすれば彼女に気の利いた宝飾品でも…食事位は連れ出せそうですわね。妊娠初期はわたくしも食べ物には気を使いましたもの」

「どういう意味だ?まさか…カリスも?」


アレコスの目の前に書類を手にした従者が立つ。
手渡された書類には複数の侍医の署名。内容はカリスの懐妊に関する診察記録だった。アレコスがショックだったのは一番直近の診察記録は10日も前。カリスは一言も妊娠についてアレコスに伝えていない。


「ですから、法を制定致しましたの」
「法?なんの…」
「出生時の性別に関わらず、長子から継承権の順位を振ると」

「カリスも妊娠しているから…と言う事か」
「端的に言えばそうですわね。父親が貴方でない場合に側妃である以上、現行では女王も認められてはいますが、どうしても男子継承でなければと言う者もおりますもの。種違い…大変な事になりますものね?」

「酷い侮辱だ!いくらエナと言えどカリスを侮辱する権利はないはずだ。妊娠についても何も聞いていない!この報告書が間違いだと言う事もあるんじゃないか?」


アレコスの発言に1人の従者が前に出てきた。
軽く頭を下げて礼をすると「それはあり得ません」はっきりと言った。

「報告書はエカテリニ様主導ではなく、成婚の2年前から先王様のめいによるもので御座います。間違いがあってはならないと常に影が複数ついており、これは先王様から「どういう事だ」とこちらに問われた内容で御座います」

「影?そんな…エナは全てを知っていたと言うのか」

「存じておりましてよ?彼女に長く深い付き合いのある男性がいた事も」

「なんだって?!」

「あら?新婚なのにもう秘密が御座いますのね?側妃として召し上げるのを3カ月待った理由。何もご存じなかったのですか?」

「日程が合わなかったと聞いている」

「署名など時間のかからぬものに日程も何もありません。彼女が身籠っていない事を確認するための3カ月でしたのよ?毎月、月のものを確認する影の苦労を褒めて差し上げてくださいませね?破瓜の証のない者を迎えるのは何かと大変ですの」


アレコスはエカテリニの周りにいる従者や侍女、メイドの顔を見る。

――知られていないと思っていたのは…私だけなのか?――

嫌な汗が手のひらをジワリと濡らす。
従者がまた別の書類をアレコスの前に立ち、静かに手渡す。

何が書かれているのか恐ろしくてアレコスは1枚目を捲る事も出来なかった。


「勿論影は側妃殿下だけでなくアレコス様、そしてエカテリニ様にもついております。こちらがその報告書。アレコス様だけでも身綺麗でホッとしている次第で御座います」

――私…だけ?――

手にした報告書を捲りもせずにアレコスは床に叩きつけた。


「廃妃にするっ。これではいい笑い者だ」

「廃妃?まだ成婚から半年足らずですわよ?そちらの方が笑い者ではなくて?」

他人事のように言い放つエカテリニをアレコスは縋るように見つめた。
しかし、エカテリニは目は反らしはしないものの、アレコスの望む答えは返さなかった。

「彼女を欲した貴方の責任で御座いましょう?」


守ってやらなければと思った女は、ただの寄生虫だった事に気が付いた。
しかし、今、カリスの腹の中には小さな命が宿っている。

――誰の子なんだ?――


「生まれるまでは、判らないなんて。ふふっ貴方も大変ね?」

「すまなかった!これからは良き夫、良き国王として生きる事を誓う!エナ、許してくれ」

「良くも悪くも貴方の仕事はもうありません。血は引き継がれましたから」

再来月には産み月を迎えるエカテリニはそっと腹を撫でた。

アレコスはエカテリニが王妃の名の元に実質の国王となっている事実を悟った。誰も陛下と己を呼ぶ者はいない上、決定権は何一つ持っていない。
国を挙げての事業も署名はエカテリニ。謁見の玉座が空席でも誰も気にも留めない。
国内の貴族だけでなく、諸外国の国賓ですら国王として視線を向けるのはエカテリニだった。


エカテリニとの子供は間違いなく自分の子だろうとアレコスは身震いした。
そっと手で首を撫でる。繋がっている事に安堵するが汗でぐっしょりと濡れた手のひらの動きが止まる。

――本当に汗なんだろうか。血じゃないのか?――

「エナ…私を…処刑するのか?」
「処刑?なぜわたくしが手を下さねばならないのです?」


否定をしないエカテリニにアレコスは頭の中で生き残る術を模索した。



「次から次へと女がらみでよくもまぁひっかきまわせる事。才能かしらね?」
「エカテリニ様、聞こえますよ?顔を見るまでの楽しみが奪われます」

カリスの腹の中の子。父親は間違いなくアレコス。
召し上げれるにあたって、過去の男をバッサリと捨ててくるカリスの潔さだけはエカテリニも認める所だった。
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