王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru

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公爵家の使用人

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気分屋のリベイラが部屋にやってきて、「おさらい」をすると言った。
当然逆らう事など出来ないし、夕食が終わりご機嫌なのだろう。
手にはワインの瓶とグラスを持ち、飲みながらシルヴェーヌを見てやると言うのだ。

「踊ってごらんなさい」
「はい、リベイラ様」


グラスを持っているため、手拍子が出来ないリベイラは足で床をトントンと鳴らした。

先日のダンスの復習である。リベイラが良いと言うまで踊り続けなければならない。
途中でリズムをリベイラが間違えば、それはシルヴェーヌのターンが間違っているとされる。空腹と体の痛みでステップを踏めなければ最初からやり直しが続く。

最初の数十秒で足を鳴らす音は消える。

「自分で拍子を数えなさいよ。全く…こっちに丸投げするつもり」
「申し訳ございません」

1、2、3と声にして数えながらステップを踏むがワインの瓶からもう注げないと解るとリベイラが立ち上がる。

「これは自主練習が必要ね。自分で見せられると思うようになれば呼びに来なさい」

そう言ってリベイラは部屋を出ていく。つまりは今日の夕食はないという事だ。
公爵家で一緒のテーブルで食事をする事はないが、リベイラの了解が無ければ通いの使用人達が帰った後の残り物ですら食する時間は与えられない。


公爵領のほうがまだ食事も出来ていたシルヴェーヌは王都の公爵家に来て1日に3食を食べた事がなかった。2日に3食ほどで、痩せていたため夜中にこっそりと公爵家の使用人達は【見回り】と称して食べ物を持ってきてくれた。


食べさせない事は虐待になる。シルヴェーヌが死んでしまったら元も子もない事は公爵夫妻も判っていて死なない程度に食事は与えていたのだ。
王宮からは国王が突然の婚約者への王命である事から破格の支度金が毎月支払われている。
公爵夫妻の食事が豪華になった事で、余り物も当然豪華になった。


「今日はね、ライムギを使ったパンよ。こっそり調理長が半焼けにしてさっき焼き上げたのよ。ホカホカで美味しいわよ。これはバナナという果物。こうやって皮をむいて食べるそうよ」

「辛かったでしょう?今日は家からクリームを持ってきたの。足に塗ってあげる」

「ミルクも蜂蜜を入れてるわよ。丁度いい感じの温度になってると思うわ」

パンを頬張り、ミルクを一口飲むと甘さが口いっぱいに広がる。
「ゆっくり食べなさいね」と彼女たちは一人で食べるよりもと自分たちもエプロンのポケットに入れたパンを取り出してシルヴェーヌに微笑みかけながら一緒にパンを頬張った。



公爵家に行儀見習いに来ているという子爵家の令嬢達はシルヴェーヌを可愛がってくれた。姉のように母のようになって公爵夫妻の目を盗み、住み込みの者は夜中にこっそりやってきて課題で悩むシルヴェーヌに教えてくれた。

「うわ…難しいのをやってるのね?11歳でしょう?」
「はい、でも内容は6,7歳の内容だと言われて…」
「そんなバカな。学園の高等部でもこれが解けるとなれば相当よ?ごめんね。私は家にお金なくて中等部しか出てないの。これは私の手に負えない…書き写してもいい?従兄弟に聞いてみるわ」

家庭教師がシルヴェーヌに出した課題は【数論幾何すうろんきか】で子爵令嬢が言うにはおそらくその家庭教師も解けないだろうというものだった。

「これじゃ出来ないって言われても無理ないわ。んだもの。酷い話だわ」

「子爵令嬢如きにって思うかも知れないけど、私はシリィの所作もマナーも11歳という年齢を考えればあり得ないレベルだと思うの。私なんかよりずっと綺麗だし…あんな長い時間子供に立たせておくほうがどうかしてる」

「そうよ。バイエ侯爵家の令嬢アデライド様なんか未だに肉料理は歯で嚙み切るのよ?先月夜会で給仕したんだけどびっくりしちゃった。ブドウなんかも皮ごと食べて手で皮を抓んでどうしたと思う?投げ捨てたのよ?床に!信じられなかったわ」

「聞いた。聞いた。あれでセレスタン様の婚約者を5年してたんでしょう?信じられないわよね。言葉使いも破落戸みたいな感じだし。シリィの方がずっと素敵よ」



外出は禁止されているシルヴェーヌに街で流行っているという焼き菓子や、通いのパン屋のパン、時に小説などの本を持ってきてくれた。
公爵家の使用人達がいなければシルヴェーヌはとうに心を壊していたかも知れない。




〇●〇●〇

クディエ公爵家当主ランヴェルは間もなく初めての顔合わせとなる日の前日の夜。
ワインを片手にソファに体を預けたままでシルヴェーヌに告げた。

「シルヴェーヌ。判っていると思うが余計な事は一切言わなくていい」
「余計な事ですか?」

ランヴェルもリベイラも公爵家の【指導】と【躾】について口外をされては困ると言った。

「貴族には色々あってね。お前の父親はそれが出来なかったから死んだんだ。私の言う通りにしていれば今頃は石炭を掘った金でこうやってワインを飲んでいただろう」

「そうよ。あなたは殿下の前で【はい】【承知しました】【そうでございますね】しか言わなくていいの。その3つで答えられない事を聞かれたら、その薄汚い笑顔で誤魔化せばいいわ。相手も12歳。深く聞いてくる事もないわ」

「言いたければ言ってもいい。ただ、使用人の殆どは職を失うし…そうだな公爵家の食材などを勝手に持ち出し家畜に餌を与えた横領罪で訴えても良いんだ。牢の中はさぞかし冷たいだろうなぁ。兵士の打つ鞭は使用人の服を切り裂き、肉を――」

「何も言いません!言う…必要もありませんから」

使用人達がシルヴェーヌに食べ物を分けていることは知っていた。
ランヴェルもリベイラも知っていて何も言わずにそのままにしておいたのだ。

使用人達を盾にすれば滅多矢鱈めったやたらな事は口にしない。
この時のために敢えて何も言わずに放置しておいたのである。
予想通り、使用人達に恩を感じたシルヴェーヌは口外しない事を約束した。

翌日、王太子セレスタンとの顔合わせに出掛けるために侍女たちがシルヴェーヌを仕上げていく。

「シリィ‥‥きっと殿下が助けてくれるから」
「えっ?」
「前を向いて。何も聞こえないふりをして」

髪を結い上げながら子爵家から行儀見習いに来ていた侍女は小さな声を出した。

「従兄弟が王宮の近衛隊にいるの。あんまりだから何とかしてって話をしてあるの。絶対ではないけれど…助けてくれるかも知れない。今日じゃないかも知れないし1か月後かも知れない。でも聡明と言われているセレスタン殿下ならきっと動いてくれるはず」


子爵令嬢は本当に心からシルヴェーヌの窮状に心を病み、両親に相談をした。
しかし、奉公に出ている家の中であった事に他家、しかも格下の子爵家から物申す事など到底できない。何より娘が両親に告げている事すら本来であれば秘匿される事項。

路上やどこかの店舗など明らかな【第三者】がいるかも知れないという場で行われたのであれば、格下であろうと声をあげることはやぶさかではない。
だが、家の中となると情報漏洩だけでなく子爵家が間諜かと疑われてしまうのだ。

困った令嬢は【内密に】と前置きして近衛隊に配属になっている従兄弟に相談をした。
従兄弟は正義の心からそれを王太子セレスタンに相談をした。

良かれと思った事だったが、この事がシルヴェーヌを結果的に追い込むとは誰も思わなかった。当のシルヴェーヌですら、もしかすればもう伯父夫婦に虐められる事はないかも知れないと11歳の小さな心に希望の灯を持ってしまったのだから。
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