王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru

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シルヴェーヌとセレスタン

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その日は良く晴れた日だった。

「いいか、余計な事は言わなくていい」
「はい。わかりました」


シルヴェーヌは馬車から降りると王都に来て約1年。初めて公爵家以外の地を踏んだ。
そこに1人の男性が声をかけてきた。そばには少年が1人連れられていた。

「クディエ公爵、どうされた」
「おぉ、トラント公爵。今日は娘がセレスタン殿下との顔合わせでしてな」
「セレスタン殿下と…それは…」

お気の毒にと言葉は続いただろうか。
途切れさせた言葉は続かず、当たり障りのない場つなぎな言葉をトラント公爵は紡ぎ出した。

「今日は我が息子を近衛隊の見学に連れてきましてな。ほらクロヴィス。挨拶を」

父親のトラント公爵に背を押されて前に出た少年はクロヴィスと名乗った。黒い短髪に緋色の瞳をしたクロヴィスはシルヴェーヌと目が合うとフイと顔ごと視線を逸らした。

「すみません。まだ躾をしている途中でしてね」

その言葉にクロヴィスの肩がビクリと揺れたのをシルヴェーヌは見逃さなかった。
合わせる事は叶わないが、クロヴィスの緋色の瞳が揺れていた。その揺れが指し示すのは【怯え】だった。

シルヴェーヌはクロヴィスも同じなのではないかと感じた。
クディエ公爵家で自分に対する躾という名の暴力が当たり前にある。クロヴィスも抗えないのではないか。そんな気がしたのだ。意図したわけではないが、シルヴェーヌはトラント公爵にカーテシーを取った。

「初めてお目にかかります。シルヴェーヌと申します。以後お見知りおきを」

一呼吸おいてトラント公爵が感嘆の声をあげた。向かいで胸に手を当てて簡易でも礼を返してくれたのが解る。ランヴェルの「そろそろ行こうか」と言う声に顔をあげればトラント公爵と目が合った。
その目はゾクリとするほど伯父のクディエ公爵家当主ランヴェルと同じだった。

蛇のように相手に巻き付き、飲み込んでしまうようなおぞましさを感じる目。
クロヴィスの手が握られて震えているのも視界の中にあった。
侍女達の言った「聡明なセレスタン殿下」に賭けてみようとシルヴェーヌは思った。

――この国に力のない子供は声を出す権利がない――

だが、迂闊に言葉にする事は出来ない。
言葉に出してしまえば、公爵家にいる使用人達は路頭に迷う危険性もある。

――どうやって伝えよう――

そう考えながら伯父のランヴェルの後ろを歩いた。



長い長い廊下の先に左右に分かれた回廊への入り口。
中央には庭園に続く小道があり、バラの香りが薄く漂ってきた。

回廊ではなくランヴェルが真っ直ぐに進む庭園の小道をシルヴェーヌはついて歩く。
両脇の薔薇の垣根が円形に広がった先には真っ白いガゼボがあった。

そこには両脇に数人の従者、中央の3人がランヴェルとシルヴェーヌを迎えた。
いや、歓迎の言葉を告げて微笑んだのは2人。
主役である同じ年齢ほどの少年はむくれてそっぽを向いていた。

「ごめんなさいね。恥ずかしがり屋なのよ」

品の良い声を出したのは王妃。花に例えれば薔薇のような艶やかさはないがアヤメのような凛とした美しさがある女性だった。

「クディエ公爵家が娘、シルヴェーヌで御座います。本日はお招き頂きありがとうございます」

カーテシーを取り、挨拶をすると国王と王妃は「よく出来た子だね」と言った。
褒め言葉なのだがシルヴェーヌは何故だか判らないが、それが少し悔しかった。

「セレスタンだ」

短い言葉にシルヴェーヌは拒絶を感じた。
視界の中の国王と王妃は途端に落胆の表情を浮かべるが伯父のランヴェルは少し口角を上げたのがわかった。

使用人達から聞いてはいた。王家と繋がりを持てば兎角金がかかると。
公爵領での生活費さえまともに送ってこなかった伯父夫婦である。
毎月のやりくりに年老いた執事は苦労をしていた。

人件費と食費だけでなく、屋敷の維持費もそれで捻出せねばならなかったからだ。
伯父はこの話が王太子セレスタンの気に召さなかったとして流したいのだろう。
貴族の中では最高位の公爵家と言えど、王家と比べれば格下となる。
格下から断りを入れる事は出来なくはないが難しいのだ。


「で?お人形さん。大人の言いなりになって嫁いでくる気があるのかい?」

セレスタンの言葉に場が一気に凍り付いた。
ランヴェルでさえ、まさかそんな言葉が飛び出すとは思っていなかったのだろう。

「どうでもいいよ?遊ぶには面白そうだから婚約者にしてあげるよ。まさかと思うけどクディエ公爵は反対はしないよね。するくらいならここには来ないだろうし。父上も母上も彼女だから僕にと選んだんでしょう?」

セレスタンの言葉にランヴェルは苦笑いを浮かべるしかない。横柄な物言いだが、婚約を結ぶと言っている王太子に向かって「嫌です」とは言えないからである。

「セレスタン。言葉が過ぎるぞ」

国王の言葉にもセレスタンが怯む事はなかった。

「ではどう言えと?こんな物言いでもへらへらとこびへつらうくらいですから矜持もへったくれもないでしょう。誰が来ても同じです。私はアデライド以外なら蟻でも芋虫でも同じですから」

強気なセレスタンの言葉だが、目には光がなかった。
シルヴェーヌは公爵家の使用人達の言葉を何処まで信用してよいか迷った。

――どこが聡明なセレスタン殿下なの――

きつい言葉と光のない瞳。全てをどうでも良いと投げやりになっている気がしたのだ。
話をしようにもハッキリと断りの言葉を言えるはずも無いランヴェルに国王も追い打ちをかけるように「では婚約で良いか?」と1つしかない回答を求め、仮婚約となった。

セレスタンは一気に茶を飲み干すとさっさと1人で自室に戻ると告げていなくなる。その後ろを護衛の近衛隊の隊員が、申し訳なさそうな顔をしてセレスタンの後を追って去っていく。
きっと彼が、行儀見習いに来ている子爵令嬢の従兄弟なのだろうとシルヴェーヌは諦めるしかなかった。


帰りの馬車は公爵家に帰りつくまでランヴェルの罵声を浴びた。
帰りついてからはそれにリベイラも加わった。

シルヴェーヌは嫌悪と侮蔑を瞳に浮かべる伯父夫婦が余程人間らしいと感じた。
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