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セレスタンの夢物語とシルヴェーヌの賭け
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シルヴェーヌの頬にナイフがヒトヒトと当てられた。
「狂ってる…」
「そうかも知れないが、君ならわかってくれると思うよ?嘘を吐かれる苦しみと、気が付かずに手のひらで踊らされる哀しみをね」
「どういう意味なのです?」
「幼い君は何も知らない。君は何故公爵家に引き取られたのか。君の両親が何故死んだのか。知れば私の気持ちが解る」
セレスタンは過去を語った。
「君の父親は今でも公爵領では評判がいい。それは身を挺して領民を坑夫を守ろうとしたからだ。だが現実はどうだ?実の兄の利益のために崩落に巻き込まれ、その崩落の責任すらもおわされた。死人に口なし。君を引き取る事で愚鈍な父上は騙された。長く不妊治療をした父上は殊の外子供が絡めば甘い」
「でもね」と言いながらセレスタンはソファにナイフを突き立てた。
ゆっくりと布を引き裂いていくナイフは鈍い光を放つ。
フッと息を一つ、引き抜いたナイフの刃に吐く。
シルヴェーヌに向かって微笑んだ。
「金が惜しいクディエ公爵は遠くに君をやり、見たくない物に蓋をした。そして君を王太子の婚約者にすると話が出れば慌てて教育を始めた…偽善者の鏡だ」
「確かに伯父夫婦は偽善者かも知れません。ですが――」
「彼らは嘘を吐く。こちらが必死の思いで…どんなに願っても目の前に人参をぶら下げ…その時になれば人参の事など知らぬと平気で嘘を吐く。そして享受だけを自分の利として人生を謳歌する。だから手始めに取り上げたのさ」
「取り上げた…支度金でございますか?」
「そう。誰の懐も痛まない。王家は支度金を出し、公爵家は受け取る、そして私に横流しする。バカな大人たちだ。公爵は罪を隠すために私財を使わねばならない。父上もまさか自分が出した支度金が国が終わるための資金にされているとは露ほども思わないだろう。愚か者は備えも万端。全てを超えてくるから笑いが止まらないよ」
シルヴェーヌは1人笑いだしてしまったセレスタンを哀しい目で見つめた。
過去にアデライドとの婚約を解消してもらうために奮闘した事は誰にと言う事もなく王宮に出入りするようになり聞いてはいた。
夜中も素振りをして潰れた血豆に布を巻いてそれでも剣術の打ち込み稽古をしたと聞く。立てなくなるまで次々に騎士相手にぶつかっていった事も。
そこには王太子という肩書は関係なく、遠慮なく打ち込んでほしいと骨折こそしなかったが脱臼は何度もあったという。打ち身で発熱をしても薬湯を飲んで掴み取った優勝は勝ち上がり戦でお互い本気の勝負。
準々決勝で逆手になり腕のスジを痛めても名を呼ばれれば立ち上がり対戦相手と対峙した。
隣国との交渉の前には私財を使い、両国に土地が共有される村人の元に直接出向き、地に額を付け、時に執務を終わらせれば村に出向き、農夫と鍬を振るい藁の中で星を見て夜を明かした。
交渉のために多方面にも協力を呼びかけ、その中に改革派の貴族がいても頭を下げ続け今では改革派であってもセレスタンならば推すという者も多くいる。
隣国の王はセレスタンをいたく気に入っていて、私人として年齢を超えた付き合いが今も続く。年齢も身分も超えて皆がセレスタンに首を縦に振ったのは熱意と誠実さを感じたからに他ならない。
そんなセレスタンの心を踏み躙った両親である国王、王妃。
セレスタンの瞳にはどのように映ったのだろうか。
「殿下、両陛下を恨んでおられるのですか?」
「恨む?いいや?逆だよ。尊敬しているくらいだ。反面教師としてね」
「わたくしは…伯父夫婦は許せないという気持ちはあります。父を謀り陥れ、今も尚、その名誉を回復させない事には憤りも感じます。ですが許す事は無くても、いずれ罪を悔いてくれる日が来ると思っています」
「模範的な貴族令嬢の回答だね。罪を憎んで人を憎まず。それで国が汚れたと感じない素晴らしきノブレス・オブリージュ」
「大鉈を振るうのも大事です。けれども国を終わらせれば真っ先に困るのは民なのです」
「困らないよ。むしろ民こそ喜ぶんじゃないか?忌み嫌われる者がいない世界になるのだから」
「嘘を吐いたものはどうなるのです」
「簡単だよ。粛清すればいい。嘘を吐けばこうなると公開処刑すれば誰も嘘を吐かなくなる。盗みもしなくなるし、他人を困らせる者もいなくなる。まさに私の望む世界になる。民は喜びに打ち震えるだろう」
「それは恐怖政治の始まりではありませんか」
「後ろめたい事のある者にはそうだろうね」
セレスタンの闇は深かった。いや闇ではない。心が成長をしていないのだ。
これが一般の貴族や平民の子の思想であれば一笑に付して終わったかも知れない。
だが、セレスタンには王太子と言う立場があり、目前に王位が見えていた。
夢物語に思えないのは、姿を消している貴族や有力者が実際に存在する事とセレスタンを持ち上げようとする者も多くいる事だ。なまじ出来るものだから面と向かってセレスタンに反論する者もいない。
弁が立つセレスタンには論破されてしまうからである。
狂信者のように未来を語るセレスタンの声がどこか遠くに聞える。
救いはまだ【本物の夢物語】である空想論を誰にも話していない事だ。
心に亀裂が入り、疑心暗鬼の中で捩じれてしまったまま16歳となったセレスタンには心を開く相手がいなかったのだろうとシルヴェーヌは感じた。人が多くいる王宮。しかし事細かに王太子の言動は監視されているに等しい。気の置けない者が1人でもいれば違ったかも知れない。
シルヴェーヌには公爵領では年老いた執事がいたし領民がいた。公爵家でも使用人達はシルヴェーヌに寄り添ってくれた。だがセレスタンには誰もいなかった。
公爵領でシルヴェーヌに学問を教えてくれた年老いた執事の言葉を思い出す。
【答えは一つではなく幾つもある、その答えは導くためには幾通りも道筋がある】
シルヴェーヌはセレスタンの良心に賭けた。
「殿下、嘘を吐くのはいけない事です」
「そうだよ。当たり前の事なんだ」
「では、1つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんなりと」
「不治の病に侵されても尚、治癒を信じて生きる者に【治る】と希望を告げる嘘吐きと、飢えた子供たちの前でスープを不味いからと捨てる正直者、どちらの言動を正しいと考えますか?」
セレスタンは、閉じたり開いたりしていたナイフの動きを止めた。
考え込むセレスタンにシルヴェーヌは凝り固まった思考を溶かす突破口が見えた気がした。
「狂ってる…」
「そうかも知れないが、君ならわかってくれると思うよ?嘘を吐かれる苦しみと、気が付かずに手のひらで踊らされる哀しみをね」
「どういう意味なのです?」
「幼い君は何も知らない。君は何故公爵家に引き取られたのか。君の両親が何故死んだのか。知れば私の気持ちが解る」
セレスタンは過去を語った。
「君の父親は今でも公爵領では評判がいい。それは身を挺して領民を坑夫を守ろうとしたからだ。だが現実はどうだ?実の兄の利益のために崩落に巻き込まれ、その崩落の責任すらもおわされた。死人に口なし。君を引き取る事で愚鈍な父上は騙された。長く不妊治療をした父上は殊の外子供が絡めば甘い」
「でもね」と言いながらセレスタンはソファにナイフを突き立てた。
ゆっくりと布を引き裂いていくナイフは鈍い光を放つ。
フッと息を一つ、引き抜いたナイフの刃に吐く。
シルヴェーヌに向かって微笑んだ。
「金が惜しいクディエ公爵は遠くに君をやり、見たくない物に蓋をした。そして君を王太子の婚約者にすると話が出れば慌てて教育を始めた…偽善者の鏡だ」
「確かに伯父夫婦は偽善者かも知れません。ですが――」
「彼らは嘘を吐く。こちらが必死の思いで…どんなに願っても目の前に人参をぶら下げ…その時になれば人参の事など知らぬと平気で嘘を吐く。そして享受だけを自分の利として人生を謳歌する。だから手始めに取り上げたのさ」
「取り上げた…支度金でございますか?」
「そう。誰の懐も痛まない。王家は支度金を出し、公爵家は受け取る、そして私に横流しする。バカな大人たちだ。公爵は罪を隠すために私財を使わねばならない。父上もまさか自分が出した支度金が国が終わるための資金にされているとは露ほども思わないだろう。愚か者は備えも万端。全てを超えてくるから笑いが止まらないよ」
シルヴェーヌは1人笑いだしてしまったセレスタンを哀しい目で見つめた。
過去にアデライドとの婚約を解消してもらうために奮闘した事は誰にと言う事もなく王宮に出入りするようになり聞いてはいた。
夜中も素振りをして潰れた血豆に布を巻いてそれでも剣術の打ち込み稽古をしたと聞く。立てなくなるまで次々に騎士相手にぶつかっていった事も。
そこには王太子という肩書は関係なく、遠慮なく打ち込んでほしいと骨折こそしなかったが脱臼は何度もあったという。打ち身で発熱をしても薬湯を飲んで掴み取った優勝は勝ち上がり戦でお互い本気の勝負。
準々決勝で逆手になり腕のスジを痛めても名を呼ばれれば立ち上がり対戦相手と対峙した。
隣国との交渉の前には私財を使い、両国に土地が共有される村人の元に直接出向き、地に額を付け、時に執務を終わらせれば村に出向き、農夫と鍬を振るい藁の中で星を見て夜を明かした。
交渉のために多方面にも協力を呼びかけ、その中に改革派の貴族がいても頭を下げ続け今では改革派であってもセレスタンならば推すという者も多くいる。
隣国の王はセレスタンをいたく気に入っていて、私人として年齢を超えた付き合いが今も続く。年齢も身分も超えて皆がセレスタンに首を縦に振ったのは熱意と誠実さを感じたからに他ならない。
そんなセレスタンの心を踏み躙った両親である国王、王妃。
セレスタンの瞳にはどのように映ったのだろうか。
「殿下、両陛下を恨んでおられるのですか?」
「恨む?いいや?逆だよ。尊敬しているくらいだ。反面教師としてね」
「わたくしは…伯父夫婦は許せないという気持ちはあります。父を謀り陥れ、今も尚、その名誉を回復させない事には憤りも感じます。ですが許す事は無くても、いずれ罪を悔いてくれる日が来ると思っています」
「模範的な貴族令嬢の回答だね。罪を憎んで人を憎まず。それで国が汚れたと感じない素晴らしきノブレス・オブリージュ」
「大鉈を振るうのも大事です。けれども国を終わらせれば真っ先に困るのは民なのです」
「困らないよ。むしろ民こそ喜ぶんじゃないか?忌み嫌われる者がいない世界になるのだから」
「嘘を吐いたものはどうなるのです」
「簡単だよ。粛清すればいい。嘘を吐けばこうなると公開処刑すれば誰も嘘を吐かなくなる。盗みもしなくなるし、他人を困らせる者もいなくなる。まさに私の望む世界になる。民は喜びに打ち震えるだろう」
「それは恐怖政治の始まりではありませんか」
「後ろめたい事のある者にはそうだろうね」
セレスタンの闇は深かった。いや闇ではない。心が成長をしていないのだ。
これが一般の貴族や平民の子の思想であれば一笑に付して終わったかも知れない。
だが、セレスタンには王太子と言う立場があり、目前に王位が見えていた。
夢物語に思えないのは、姿を消している貴族や有力者が実際に存在する事とセレスタンを持ち上げようとする者も多くいる事だ。なまじ出来るものだから面と向かってセレスタンに反論する者もいない。
弁が立つセレスタンには論破されてしまうからである。
狂信者のように未来を語るセレスタンの声がどこか遠くに聞える。
救いはまだ【本物の夢物語】である空想論を誰にも話していない事だ。
心に亀裂が入り、疑心暗鬼の中で捩じれてしまったまま16歳となったセレスタンには心を開く相手がいなかったのだろうとシルヴェーヌは感じた。人が多くいる王宮。しかし事細かに王太子の言動は監視されているに等しい。気の置けない者が1人でもいれば違ったかも知れない。
シルヴェーヌには公爵領では年老いた執事がいたし領民がいた。公爵家でも使用人達はシルヴェーヌに寄り添ってくれた。だがセレスタンには誰もいなかった。
公爵領でシルヴェーヌに学問を教えてくれた年老いた執事の言葉を思い出す。
【答えは一つではなく幾つもある、その答えは導くためには幾通りも道筋がある】
シルヴェーヌはセレスタンの良心に賭けた。
「殿下、嘘を吐くのはいけない事です」
「そうだよ。当たり前の事なんだ」
「では、1つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんなりと」
「不治の病に侵されても尚、治癒を信じて生きる者に【治る】と希望を告げる嘘吐きと、飢えた子供たちの前でスープを不味いからと捨てる正直者、どちらの言動を正しいと考えますか?」
セレスタンは、閉じたり開いたりしていたナイフの動きを止めた。
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