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セレスタンの狂気
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「何かまだ用があったとは驚きだね」
「突然に申し訳ございません」
セレスタンの執務室を訪れたシルヴェーヌは先ほどアデライドに向けた瞳と同じ瞳が自分に向けられているのを感じた。温度を感じないだけではない、そこには期待も何も感じない【無関心】の瞳。
一歩前に踏み出すごとにセレスタンが警戒をし始めたのに気が付いた。
人を寄せ付けない孤高な王太子とも最近は呼ばれ始めているが、寄せ付けないのではなく排除しているのだ。
「殿下、少しだけお話をして頂けませんか」
「バカな事を。君の話は聞くまでもないと思うがね」
その先には進むなと言わんばかりにシルヴェーヌを睨みつけるセレスタンだが、シルヴェーヌは止まれというセレスタンの言葉に歯向かって歩みを進めた。
「はぁ、我儘もここまで来るとはね、躾が必要と言ったクディエ公爵の言葉は本物だったか」
ソファを勧めたセレスタンは2つ並んだ一人掛けのソファの片方に腰を下ろした。
シルヴェーヌはソファには腰をかけず、セレスタンの前に来るとその場にしゃがみ込んだ。
両ひざをついて、踵に腰を落とし、つま先で体を支えてセレスタンを見上げた。
「何の真似だ」
「殿下、婚約者となって間もなく4年となります。その間、わたくしを取り囲む環境は大きく変わりました。夜中に来ている服を洗濯をしている間、裸でいなくてもよくなりました。使用人が食べ物を持ってこなくても食卓で食事をする生活にもなりました。寝台のシーツも毎日取り換えてもらえますし‥‥何より誰からも叩かれたり、抓られる事も無くなりました」
「良かったじゃないか。クディエ公爵に感謝をせねばならんな」
「いいえ。これは全て殿下のおかげだと解っております」
「これはこれは…婚約者殿、なかなか私を買い被ってくれているな」
「殿下、わたくしはあなたに疎まれている事は解っています」
セレスタンの眉がピクリと動いた。シルヴェーヌの手がセレスタンの手の甲を覆うように触れたからである。
「なっ…なにを…」
「殿下、わたくしの手。どう思われますか?」
「どうとは…なんだ。男に簡単に触れる痴女だとでも言って欲しいのか?とんだ趣味をお持ちのようだ」
「違います。そう思われても不思議では御座いませんが、わたくしの手。この冬は一度も皸が出来なかったのです。でも見てください。手荒れもなく…殿下のおかげです」
シルヴェーヌの手を掴み、その指を一本一本自分の手で撫でると「良かったじゃないか」と今度はセレスタンの両手で挟むように軽く3回。ポンポンと叩いた。
「殿下、わたくしは婚約者です。殿下にどんなに疎まれようと、嫌われようと変えようがない事実です」
「捨てないでくださいという懇願か?安心しろ。そんな予定――」
「違います。殿下」
立ち上がったシルヴェーヌは2歩、3歩と下がりセレスタンにカーテシーを取った。
「この結婚に互いの思慕は不要と存じております。しかしそれでも貴方が王太子という立場である以上、隣に立つわたくしにも求められるものが御座います。全てとは申しません。ですが穀潰しとはなりたくないのです」
「私に協力すると言うのか?」
「殿下が義父、いえ伯父から支度金を渡されている事は知っております」
「なんとまぁ、口の軽い男だ」
「聞いたのではありません。調べました」
意外だと言いたげにセレスタンはシルヴェーヌを見た。
そのセレスタンをシルヴェーヌは真っ直ぐに見つめた。
「しかしながら殿下の宮は王宮からの王子用の支給金で全てを賄えており、伯父からの金で贅沢をしている風でも御座いません。そこに聞えてき始めた不穏な噂」
「それが私の仕業だと?」
「違うのですか?」
「参ったね。婚約者にまで疑われているのか。噂とは怖いものだ」
「何をしても、教えては頂けないのですか?」
セレスタンは暫くシルヴェーヌを見ていたが溜息を一つ吐いて立ち上がると執務机の引き出しをあけた。
そこから折りたたみナイフを取り出すとパチンと広げ、また閉じた。
テーブルの上にコトリと置くと、シルヴェーヌを見た。
「私の懐に入ろうと言うのなら覚悟を見せてもらおうか」
「覚悟…これで胸を突けと?」
「いや、クロヴィルの喉を裂け」
「えっ…」
「婚約者と言う立場は非常に面倒だ。心に思う者が側にいようといないものとして心を抑え、表情を造り、声を変える。私が気が付かぬ痴れ者とでも思ったか?」
ごくりと生唾を飲んだシルヴェーヌだったが、震える手でナイフを手に取った。
しかしセレスタンはその手からナイフを取り上げた。
「冗談だよ。私はね、アデライドのような出来損ないが大嫌いなんだ」
ニマァと笑ったセレスタンに背中の中心がゾクリとした。
照準を合わせて剣の刃先が突きつけられた錯覚さえ覚える。
「嘘を吐く者、誰かに取り入る者、媚びる者‥‥この国は腐っているんだ」
「それがアデライド様だと言うのですか」
「アレは副産物。いや、集大成とでも言うのかな。目障り極まりない」
セレスタンはパチンと広げたナイフの刃を指の腹でゆっくりと撫で始めた。
仕方がなかったとはいえ、伯父夫婦に引き取られなければ生きていけなかったシルヴェーヌはセレスタンの指の腹が自分の頬ではないかと思うほどに冷たい汗が額から一筋流れ落ちた。
「いいだろう。どうせ君は逃げられない」
「わたくしは逃げるなどっ」
「ハハハ、言い方が悪かったな。逃げられないのではなく逃がさない。君はね…色々と都合が良いんだ」
「わたくしが…でございますか」
「そう、賢いが故に必ず踏みとどまる。そして公爵令嬢。あと4年もすれば全てが終わる」
4年と言えばセレスタンが20歳となる。
18歳になった時から2年をかけて20歳までに国王の退位、そして新国王の即位に向けて全てが書き換えられる。国王の移行期間のようなものだ。
セレスタンもディオンも国王が35歳を超えてからの子。本来なら20代半ばが望ましいがそうなれば国王が還暦を迎えてしまう。元気な60代も多いが国王が変わらねば国を動かす役職も交代がない。国王に即位した時に任命をされた者は、在位期間中にその座から降りる事がない。在位が長くなればなるほど汚職、癒着が生まれる。それを一掃する目的もあった。
「貴方が即位をすれば何が変わるというのです」
「変わる?私は先ほど何と言った?」
シルヴェーヌはハッとした。
セレスタンは【変わる】とは言わなかった。【終わる】と言ったのだ。
「あなたは国を‥‥即位をしないと言う事なのですか?」
「私は神となり即位する。そして‥‥全てを終わらせるんだよ。そして清廉潔白な真っ白な世界を作るんだ。素晴らしいだろう。美しい世界。そこには嘘も欺瞞も癒着も無い」
シルヴェーヌの頬にナイフがヒトヒトと当てられた。
「突然に申し訳ございません」
セレスタンの執務室を訪れたシルヴェーヌは先ほどアデライドに向けた瞳と同じ瞳が自分に向けられているのを感じた。温度を感じないだけではない、そこには期待も何も感じない【無関心】の瞳。
一歩前に踏み出すごとにセレスタンが警戒をし始めたのに気が付いた。
人を寄せ付けない孤高な王太子とも最近は呼ばれ始めているが、寄せ付けないのではなく排除しているのだ。
「殿下、少しだけお話をして頂けませんか」
「バカな事を。君の話は聞くまでもないと思うがね」
その先には進むなと言わんばかりにシルヴェーヌを睨みつけるセレスタンだが、シルヴェーヌは止まれというセレスタンの言葉に歯向かって歩みを進めた。
「はぁ、我儘もここまで来るとはね、躾が必要と言ったクディエ公爵の言葉は本物だったか」
ソファを勧めたセレスタンは2つ並んだ一人掛けのソファの片方に腰を下ろした。
シルヴェーヌはソファには腰をかけず、セレスタンの前に来るとその場にしゃがみ込んだ。
両ひざをついて、踵に腰を落とし、つま先で体を支えてセレスタンを見上げた。
「何の真似だ」
「殿下、婚約者となって間もなく4年となります。その間、わたくしを取り囲む環境は大きく変わりました。夜中に来ている服を洗濯をしている間、裸でいなくてもよくなりました。使用人が食べ物を持ってこなくても食卓で食事をする生活にもなりました。寝台のシーツも毎日取り換えてもらえますし‥‥何より誰からも叩かれたり、抓られる事も無くなりました」
「良かったじゃないか。クディエ公爵に感謝をせねばならんな」
「いいえ。これは全て殿下のおかげだと解っております」
「これはこれは…婚約者殿、なかなか私を買い被ってくれているな」
「殿下、わたくしはあなたに疎まれている事は解っています」
セレスタンの眉がピクリと動いた。シルヴェーヌの手がセレスタンの手の甲を覆うように触れたからである。
「なっ…なにを…」
「殿下、わたくしの手。どう思われますか?」
「どうとは…なんだ。男に簡単に触れる痴女だとでも言って欲しいのか?とんだ趣味をお持ちのようだ」
「違います。そう思われても不思議では御座いませんが、わたくしの手。この冬は一度も皸が出来なかったのです。でも見てください。手荒れもなく…殿下のおかげです」
シルヴェーヌの手を掴み、その指を一本一本自分の手で撫でると「良かったじゃないか」と今度はセレスタンの両手で挟むように軽く3回。ポンポンと叩いた。
「殿下、わたくしは婚約者です。殿下にどんなに疎まれようと、嫌われようと変えようがない事実です」
「捨てないでくださいという懇願か?安心しろ。そんな予定――」
「違います。殿下」
立ち上がったシルヴェーヌは2歩、3歩と下がりセレスタンにカーテシーを取った。
「この結婚に互いの思慕は不要と存じております。しかしそれでも貴方が王太子という立場である以上、隣に立つわたくしにも求められるものが御座います。全てとは申しません。ですが穀潰しとはなりたくないのです」
「私に協力すると言うのか?」
「殿下が義父、いえ伯父から支度金を渡されている事は知っております」
「なんとまぁ、口の軽い男だ」
「聞いたのではありません。調べました」
意外だと言いたげにセレスタンはシルヴェーヌを見た。
そのセレスタンをシルヴェーヌは真っ直ぐに見つめた。
「しかしながら殿下の宮は王宮からの王子用の支給金で全てを賄えており、伯父からの金で贅沢をしている風でも御座いません。そこに聞えてき始めた不穏な噂」
「それが私の仕業だと?」
「違うのですか?」
「参ったね。婚約者にまで疑われているのか。噂とは怖いものだ」
「何をしても、教えては頂けないのですか?」
セレスタンは暫くシルヴェーヌを見ていたが溜息を一つ吐いて立ち上がると執務机の引き出しをあけた。
そこから折りたたみナイフを取り出すとパチンと広げ、また閉じた。
テーブルの上にコトリと置くと、シルヴェーヌを見た。
「私の懐に入ろうと言うのなら覚悟を見せてもらおうか」
「覚悟…これで胸を突けと?」
「いや、クロヴィルの喉を裂け」
「えっ…」
「婚約者と言う立場は非常に面倒だ。心に思う者が側にいようといないものとして心を抑え、表情を造り、声を変える。私が気が付かぬ痴れ者とでも思ったか?」
ごくりと生唾を飲んだシルヴェーヌだったが、震える手でナイフを手に取った。
しかしセレスタンはその手からナイフを取り上げた。
「冗談だよ。私はね、アデライドのような出来損ないが大嫌いなんだ」
ニマァと笑ったセレスタンに背中の中心がゾクリとした。
照準を合わせて剣の刃先が突きつけられた錯覚さえ覚える。
「嘘を吐く者、誰かに取り入る者、媚びる者‥‥この国は腐っているんだ」
「それがアデライド様だと言うのですか」
「アレは副産物。いや、集大成とでも言うのかな。目障り極まりない」
セレスタンはパチンと広げたナイフの刃を指の腹でゆっくりと撫で始めた。
仕方がなかったとはいえ、伯父夫婦に引き取られなければ生きていけなかったシルヴェーヌはセレスタンの指の腹が自分の頬ではないかと思うほどに冷たい汗が額から一筋流れ落ちた。
「いいだろう。どうせ君は逃げられない」
「わたくしは逃げるなどっ」
「ハハハ、言い方が悪かったな。逃げられないのではなく逃がさない。君はね…色々と都合が良いんだ」
「わたくしが…でございますか」
「そう、賢いが故に必ず踏みとどまる。そして公爵令嬢。あと4年もすれば全てが終わる」
4年と言えばセレスタンが20歳となる。
18歳になった時から2年をかけて20歳までに国王の退位、そして新国王の即位に向けて全てが書き換えられる。国王の移行期間のようなものだ。
セレスタンもディオンも国王が35歳を超えてからの子。本来なら20代半ばが望ましいがそうなれば国王が還暦を迎えてしまう。元気な60代も多いが国王が変わらねば国を動かす役職も交代がない。国王に即位した時に任命をされた者は、在位期間中にその座から降りる事がない。在位が長くなればなるほど汚職、癒着が生まれる。それを一掃する目的もあった。
「貴方が即位をすれば何が変わるというのです」
「変わる?私は先ほど何と言った?」
シルヴェーヌはハッとした。
セレスタンは【変わる】とは言わなかった。【終わる】と言ったのだ。
「あなたは国を‥‥即位をしないと言う事なのですか?」
「私は神となり即位する。そして‥‥全てを終わらせるんだよ。そして清廉潔白な真っ白な世界を作るんだ。素晴らしいだろう。美しい世界。そこには嘘も欺瞞も癒着も無い」
シルヴェーヌの頬にナイフがヒトヒトと当てられた。
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