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第17話 開いた扉の先
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「なんなの?これっ!」
「ドレスです」
「これが?!こんな婆臭いドレスなんて着られないわよ!作り直して!」
「これが正装です。侯爵夫人なのですから陛下に謁見の際などはお召しになって頂きます。通常時も朝、昼、午後と着替えて頂きます。誰が来訪するかも判りませんので」
「だとしてもよ!こんな…宝飾品の1つも付いてないのはどうして?修道女の方がもっと華美な服を着てるわ!」
急いで仕立てさせたので軽微な調整はまだ必要だが、届いたドレスは先代侯爵夫人、つまりドウェインの母親が好んでいたのと同じタイプの質素なドレスばかりだった。
先代夫人の好みではあったけれど、代を遡っても質素さは大差ない。
国防を辺境伯と共に担う侯爵家が華美な装いをしていれば僻地に派遣された兵士に武器や食料が少しでも不足するとやってられるかとなって脱走兵が増えてしまう。
パフォーマンスであっても上に立つ者がこれだけ倹約しているという姿勢を見せねばならなかっただけである。
着飾りたいのならまだ伯爵家の令嬢や夫人の方が豪奢に着飾っているのだからシルフィーが狙う男が違っていたのだとしか使用人は思わなかった。
唯一ベージュの色は国王や王妃、王族と場を共にする堅苦しい儀式で着るドレス。
夜会用のドレスは布は手触りもよく上質なものだと解るけれど、レースも申し訳ない程度にほんの少しでデザインとしてはシルフィーの年代よりも2廻り、3廻り上の世代が着るようなもの。
シルフィーはコテコテにレースを使い、いつだったか拾った絵本で観たプリンセスのようなドレスが着たかった。美しく結い上げた髪には大きなティアラ。耳たぶ、デコルテには指輪と同じ色の石が付いたキラキラ輝く宝飾品。
なのに唯一箱に入って届いた宝飾品は葬儀の時に使用する真珠だった。
――こんなのおかしい。絶対おかしい!――
平民のシルフィーはティアラを使用するのは王族だけであることを知らなかった。
シルフィーから見て雲の上の存在でもあった高位貴族、いや解りやすく言えば金持ちイコールティアラ。そんな認識だった。
「ドウェインに言いつけるわ!貴方達の嫌がらせでしょ!」
「いえ、侯爵家のしきたりで御座います」
「もういい!あんた達じゃ話にならないわ!ドウェインは何処?部屋にいるの?!」
「旦那様は私室におられます。ですがっ!!誰も部屋に入れるなと仰せつかっております」
「そんなの嘘よ!どうせ私が平民だからアンタ達が私と合わせないようにしてるだけでしょ!」
初日に手酷く叩かれたり、蹴られたりしたのにシルフィーは痛みが引いて痕跡も黄色くなり始めると喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉の通り、無かった事になったかのように言い始めた。
「おやめくださいっ!」
「退きなさいよ!」
手にしていた扇の形が変形しても尚、扉を開けさせまいとする使用人に叩きつけて無理やり扉を開けた。
「え?これ…臭い!何なの…」
部屋はカーテンの隙間から外が明るい事を教えてくれるけれど、暗かった。
そして部屋の中は空気も澱んでいるが、糞尿の香りもしてシルフィーは吐きそうになった。
「アンタ達!主であるドウェインをこんなところに閉じ込めて!この役立たず!クビにするわよ!」
「奥様、お静まりくださ――」
使用人の声は途中で途切れた。
ドウェインが怒鳴ったのだ。
「五月蝿いッ!銀バエの羽音など聞かせるな!音をさせるなと命じただろう!」
「だ、旦那様。申し訳ございませんっ」
暗がりからヌゥッと出てきたのはドウェインで間違いなかったが全身は汚れて酷い悪臭を放っていた。
見目麗しかった顔も無精髭が伸び放題で目は落ちくぼんで頬もげっそりと頬骨が浮き出ていた。
「もう少しでアイリーンの声が聞えそうだったのに!!なんで邪魔をしたッ!!」
「旦那様、奥様が旦那様を心配して来て下さったのです」
「奥様だと?」
「そうです。王太子殿下が旦那様の署名はなくとも良いと婚姻の届を受理するよう教会にも働きかけてくださいました。こちらが旦那様が1カ月も屋敷に戻らず一緒に過ごされた奥様ではありませんか!」
使用人の言葉にシルフィーは「結婚が認められてたんだわ」嬉しくなってドウェインに近寄った。
「そ、そうよ。ドウェイ―――ヒィッ!!」
臭い香りを堪えシルフィーはドウェインを案じていたと優しい声を出し、近寄ったけれどドウェインの落ちくぼんだ目に殺気を感じ、進めた足を1歩引いた。
「奥様だと?貴様が?」
「ドウェイン、貴様なんて酷いわ。そ、それより…湯を浴びれば?暫く部屋に引き籠――きゃぁっ!」
ドウェインはシルフィーの胸元を掴みあげると値踏みするようにシルフィーの顔を眺めた。
「下衆風情がアイリーンの真似事をするな。貴様との関係は体だけと言ったはずだ。何故此処にいる。王太子殿下にこの私が頭を下げて臨んだのは貴様との結婚ではないッ!身の程を弁えろッ!」
シルフィーの顔にぺっと唾を吐いたドウェインは怒りで体を震わせ、使用人に命じた。
「殿下に会いに行く。先触れを出せ。間違いを正さねばならん。それから…この売女を私の前に見せるな。目が腐る」
「きゃぁっ」
胸元を掴んでいたドウェインにまたもや放り投げられてシルフィーは床に転がった。
――なんで。なんでよ。王太子が認めたのなら私が妻でしょう?!――
床を削るようにシルフィーの指がギュッと丸まった。
――絶対許さない。あの女の痕跡をこの屋敷から全部消してやるわ――
背を向けドウェインがまたあの臭くて薄暗い部屋に戻り扉が閉じるとシルフィーは顔を歪め、立ち上がって私室に戻って部屋にいた使用人に怒鳴った。
「全部捨てて!この部屋だけじゃなく屋敷の中の調度品も家具も全部!!新しいものに買い替えて頂戴!」
屋敷にある物は全て年代を感じさせるものばかりで、目新しいものは何もない。
アイリーンがアンティークや骨とう品を集めて喜んでいたのだと思い至ったシルフィーは使用人に全てを捨てさせ、新しくすることでドウェインが目を覚ましてくれると思ったのだった。
「ドレスです」
「これが?!こんな婆臭いドレスなんて着られないわよ!作り直して!」
「これが正装です。侯爵夫人なのですから陛下に謁見の際などはお召しになって頂きます。通常時も朝、昼、午後と着替えて頂きます。誰が来訪するかも判りませんので」
「だとしてもよ!こんな…宝飾品の1つも付いてないのはどうして?修道女の方がもっと華美な服を着てるわ!」
急いで仕立てさせたので軽微な調整はまだ必要だが、届いたドレスは先代侯爵夫人、つまりドウェインの母親が好んでいたのと同じタイプの質素なドレスばかりだった。
先代夫人の好みではあったけれど、代を遡っても質素さは大差ない。
国防を辺境伯と共に担う侯爵家が華美な装いをしていれば僻地に派遣された兵士に武器や食料が少しでも不足するとやってられるかとなって脱走兵が増えてしまう。
パフォーマンスであっても上に立つ者がこれだけ倹約しているという姿勢を見せねばならなかっただけである。
着飾りたいのならまだ伯爵家の令嬢や夫人の方が豪奢に着飾っているのだからシルフィーが狙う男が違っていたのだとしか使用人は思わなかった。
唯一ベージュの色は国王や王妃、王族と場を共にする堅苦しい儀式で着るドレス。
夜会用のドレスは布は手触りもよく上質なものだと解るけれど、レースも申し訳ない程度にほんの少しでデザインとしてはシルフィーの年代よりも2廻り、3廻り上の世代が着るようなもの。
シルフィーはコテコテにレースを使い、いつだったか拾った絵本で観たプリンセスのようなドレスが着たかった。美しく結い上げた髪には大きなティアラ。耳たぶ、デコルテには指輪と同じ色の石が付いたキラキラ輝く宝飾品。
なのに唯一箱に入って届いた宝飾品は葬儀の時に使用する真珠だった。
――こんなのおかしい。絶対おかしい!――
平民のシルフィーはティアラを使用するのは王族だけであることを知らなかった。
シルフィーから見て雲の上の存在でもあった高位貴族、いや解りやすく言えば金持ちイコールティアラ。そんな認識だった。
「ドウェインに言いつけるわ!貴方達の嫌がらせでしょ!」
「いえ、侯爵家のしきたりで御座います」
「もういい!あんた達じゃ話にならないわ!ドウェインは何処?部屋にいるの?!」
「旦那様は私室におられます。ですがっ!!誰も部屋に入れるなと仰せつかっております」
「そんなの嘘よ!どうせ私が平民だからアンタ達が私と合わせないようにしてるだけでしょ!」
初日に手酷く叩かれたり、蹴られたりしたのにシルフィーは痛みが引いて痕跡も黄色くなり始めると喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉の通り、無かった事になったかのように言い始めた。
「おやめくださいっ!」
「退きなさいよ!」
手にしていた扇の形が変形しても尚、扉を開けさせまいとする使用人に叩きつけて無理やり扉を開けた。
「え?これ…臭い!何なの…」
部屋はカーテンの隙間から外が明るい事を教えてくれるけれど、暗かった。
そして部屋の中は空気も澱んでいるが、糞尿の香りもしてシルフィーは吐きそうになった。
「アンタ達!主であるドウェインをこんなところに閉じ込めて!この役立たず!クビにするわよ!」
「奥様、お静まりくださ――」
使用人の声は途中で途切れた。
ドウェインが怒鳴ったのだ。
「五月蝿いッ!銀バエの羽音など聞かせるな!音をさせるなと命じただろう!」
「だ、旦那様。申し訳ございませんっ」
暗がりからヌゥッと出てきたのはドウェインで間違いなかったが全身は汚れて酷い悪臭を放っていた。
見目麗しかった顔も無精髭が伸び放題で目は落ちくぼんで頬もげっそりと頬骨が浮き出ていた。
「もう少しでアイリーンの声が聞えそうだったのに!!なんで邪魔をしたッ!!」
「旦那様、奥様が旦那様を心配して来て下さったのです」
「奥様だと?」
「そうです。王太子殿下が旦那様の署名はなくとも良いと婚姻の届を受理するよう教会にも働きかけてくださいました。こちらが旦那様が1カ月も屋敷に戻らず一緒に過ごされた奥様ではありませんか!」
使用人の言葉にシルフィーは「結婚が認められてたんだわ」嬉しくなってドウェインに近寄った。
「そ、そうよ。ドウェイ―――ヒィッ!!」
臭い香りを堪えシルフィーはドウェインを案じていたと優しい声を出し、近寄ったけれどドウェインの落ちくぼんだ目に殺気を感じ、進めた足を1歩引いた。
「奥様だと?貴様が?」
「ドウェイン、貴様なんて酷いわ。そ、それより…湯を浴びれば?暫く部屋に引き籠――きゃぁっ!」
ドウェインはシルフィーの胸元を掴みあげると値踏みするようにシルフィーの顔を眺めた。
「下衆風情がアイリーンの真似事をするな。貴様との関係は体だけと言ったはずだ。何故此処にいる。王太子殿下にこの私が頭を下げて臨んだのは貴様との結婚ではないッ!身の程を弁えろッ!」
シルフィーの顔にぺっと唾を吐いたドウェインは怒りで体を震わせ、使用人に命じた。
「殿下に会いに行く。先触れを出せ。間違いを正さねばならん。それから…この売女を私の前に見せるな。目が腐る」
「きゃぁっ」
胸元を掴んでいたドウェインにまたもや放り投げられてシルフィーは床に転がった。
――なんで。なんでよ。王太子が認めたのなら私が妻でしょう?!――
床を削るようにシルフィーの指がギュッと丸まった。
――絶対許さない。あの女の痕跡をこの屋敷から全部消してやるわ――
背を向けドウェインがまたあの臭くて薄暗い部屋に戻り扉が閉じるとシルフィーは顔を歪め、立ち上がって私室に戻って部屋にいた使用人に怒鳴った。
「全部捨てて!この部屋だけじゃなく屋敷の中の調度品も家具も全部!!新しいものに買い替えて頂戴!」
屋敷にある物は全て年代を感じさせるものばかりで、目新しいものは何もない。
アイリーンがアンティークや骨とう品を集めて喜んでいたのだと思い至ったシルフィーは使用人に全てを捨てさせ、新しくすることでドウェインが目を覚ましてくれると思ったのだった。
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