あなたの愛は気泡より軽い

cyaru

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番外編 先代ブランジネ侯爵夫人の憂鬱~その2~

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ある日ドウェインが「妻に迎えたい女性がいる」と申し出て来た。

やってきたのはアイリーン。ベルル伯爵家の娘だったが婚約と同時に侯爵家の所有する家に住まわせると聞いて碌に顔を合わせずともやはり親子。ドウェインも夫と同じだと悟った。

結婚も30年に近くなると夫の扱いも慣れたもの。
50を超えてもまだ赤子のように甘えて来る夫も客が女性であれば席を外してくれる。

憂鬱にもなるし、時に気が狂いそうにもなるが自分の血が半分入っているだけあってドウェインはアイリーンにはを与えていた。

人から見れば「1人で食事」「1人で不浄」「1人で就寝」など当たり前だが、ブランジネ侯爵家では大いなる自由に該当する。その自由が勝ち取らずともアイリーンにはあると知ってフィアはホッとした。

我が子を育てられなかった事もあるが、フィアはアイリーンをとても可愛がった。
だから相手がドウェインであったとしても幸せになって欲しいと出来る限りの事をしたおかげか、アイリーンはフィアには何でも話をしてくれた。

狂気の血が唯一女性にとって功を奏すとすれば不貞を犯さないこと。
レイジェルはただの1度も他の女を見なかった。

調べている訳ではないが、従者からドウェインが不貞をしているとの報告を聞いた時フィアは耳を疑った。
夫のレイジェルでは考えられなかった事だ。

アイリーンに告げるべきか。
悩んでいた矢先にまさかアイリーンから打ち明けられるとは思ってもみなかった。

「ドウェインには愛する人がいます」
「そんな、何かの間違いではないの?」
「見てしまったのです。人から聞いた話なら流しますが、この目で見てしまったのです。そして聞いてしまいました」


寂しそうに笑うアイリーンをフィアは抱きしめた。

「逃げなさい。お金なら私が何とかします。あなた達にはまだ子供がいないのだから逃げるなら今です」
「いいえ。子供がいないから逃げる事は出来ないのです」

失踪してしまえば、7年後失踪宣告をすればその人は死亡したことになる。
フィアはそうしろと言った。

「いいえ。死別であっても子がいないのも結婚している事も事実。彼女は平民なので結婚が出来ないのです。せめて貴族であればと考えましたがこればかりは都合よくとは参りませんもの」
「(知ってたなんて)…なんてことなの」
「長く続いた侯爵家を私の勝手で潰す事は出来ません。お義父様にも弟妹はおられません。親族もいないのです」


家を残すには親族から養子を貰う手もあったが、こんな面倒な性癖を持つばかりにフィアの夫、レイジェルには弟妹がいないし、ドウェインにもいなかった。

レイジェルの父ですら一人っ子。よくぞ男児が続いたものだと感心する。

家系を遡れば数人いるだろうが、そうなると「あの家もウチも血の濃さは同じ」と騒動になってしまう。それくらい血が薄くなってしまっていた。

苦肉の策ではあったが、アイリーンが生き残る可能性、そして離縁にはならないがドウェインを離れられる術がある。生贄に申し出る事だった。

「今は生贄と言っても人型の人形を作ったりで本当に命を差し出すことはないの。でも生贄に選ばれれば生まれた時からの記録は抹消されて存在しなかった事になるわ。いない人とは結婚も出来ない。貴女は未婚のままで…純潔は散らしてしまったけれど新しい人生を生きていくことが出来るわ」

今思えば余計な助言だった。

アイリーンは王家が海を鎮めるための生贄に自らの身を差し出し、王家は人形を使わず本当にアイリーンを生贄にしてしまった。

娘を失った喪失感は我が子と会えない寂しさの比にならなかった。
まるで暗い海の底にフィアの心が沈められたように行き場のない閉塞感がフィアを襲った。

ドウェインが「アイリーンを知らないか」と言って来た時、ギリリと握った扇の持ち手は指の形に凹んでしまった。

――私にこんな力があったなんて――


その後ブランジネ侯爵家にシルフィーが夫人として立った。

「フィア。浮かない顔をしてどうした?君を悲しませている者がいるのかい?」

サロンのソファで1人腰かけて茶を飲んでいるとレイジェルが後ろから抱きしめて来て、髪に耳、服の上から肩、そして手を握って手の甲、指先、手の平にキスを落としてきた。

「あなた…。少し疲れたの。もう年かしら」
「年齢なんかフィアには関係ない。何歳になってもフィアは美しいよ」
「来年はもう70になるわ。そんな事を言うのはレイだけよ?」
「久しぶりに名を呼んでくれたね。胸が震えているよ。触れてくれる?」
「良いわよ?何時まで経ってもレイは甘えん坊ね」

膝枕をしてやると、うっとりとした顔で頬を太ももに擦り、離れないのに手もしっかりと腰に回される。

「ねぇ、レイ」
「なんだい?」
「王都は騒がしいわ」
「静かにしてあげようか?」

50を前にしても狂気は増すばかりでちっとも減らない。
静かにすると言えば本当にこの屋敷の周囲一帯から人の気配は消えてしまうだろう。
フィアは塀の向こうを走る馬車の轍の音や、誰かがたわいもないお喋りをしているであろう途切れ途切れ聞こえる声、風が庭の木々を揺らす音は好きだった。

ただ、アイリーンのいない王都にいると胸の中が痛くて、悲鳴をあげる声が五月蝿かった。
何処に行っても聞こえるであろう心の悲鳴。
思い出のある地から離れれば少しは静かになりそう。
そう思ったのだ。

「田舎で静かに暮らしたいの。傍に居てくれるかしら」
「勿論だ!フィアから離れるなんて無理だよ。神でもそんな事をするのは許さない。私は肉体だけじゃない。フィアの全てを愛しているんだ。先に逝かせたりもしない。逝く時も一緒だ」
「まぁ。レイはずっと変わらないのね」
「変わったよ?フィアに触れるたび、声を聞くたび、愛している気持ちがどんどん膨らむんだ」


フィアが願えばレイジェルの行動は早い。
1カ月もしないうちに、片道3か月。王都からは遠く離れた地に小さな家を買い移り住んだ。

朝起きて「あぁ、田舎に来たのだ」と天井を見て思わなくなった日。
隣国が占領下に置かれた事を聞いた。遅れる事2週間で自国も占領下に置かれた事を知った。

田舎の街も日を追うごとに騒がしくなる。
田舎でこんなに騒がしいのだから王都はもっと騒ぎになっているだろう。

静かな田舎なのに喧騒以上に心の悲鳴の声はちっとも静かになってはくれなかった。

アイリーンを偲び、レイジェルの変わらない愛の行動と、日々大きくなる愛を受ける日々を過ごしていたある日、手紙が届いた。

【あの時、消える術を教えてくれたおかげで私は幸せになれました】

ずっと心に蟠りとなっていた思いが溶けて、あんなに五月蝿かった心の叫びが嘘のように消えた。
深い海の底に沈んだ心がゆっくりと眩い陽の光が差し込む海面に向かって浮かび上がっていく心地。

遠い国から絵ではなく、人物が紙に写り込んだ写真と一緒に届いた手紙。

「アイリーン、ママになったのね」

綻んだ笑顔を浮かべるフィアにレイジェルが声を掛けた。

「フィア、お茶を淹れるよ。炭酸なんだそうだ」
「炭酸?」

グラスに注がれる茶。
気泡が沢山上に上っていく。
海の向こうの国の飲料は気持ちも上がっていった。


Fin

読んで頂きありがとうございました<(_ _)>
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感想 37

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みんなの感想(37件)

sea6mi
2025.09.03 sea6mi

性癖グロ系の話し、結構好きですw

ですが、ワタシ的に番外編の方が刺さりました。
フィア様には心穏やかに、余生を過ごしていってほしいなぁとジーーーんとなりました🥺
今後もちょっと性癖重め(笑)のお話を期待します😆🩷

2025.09.21 cyaru

コメントありがとうございます。<(_ _)>

返信が滅茶苦茶遅くなって申し訳ないです<(_ _)>

先代ブランジネ侯爵は筋金入りのド変態で御座いますからね(笑)そして愛が重すぎる!
他の男性に見られるのが嫌なので結婚式は挙げないだけじゃなく、子供まで自分で取り上げて後産も処理しちゃう徹底ぶり。奥様フィアへの愛がタダものでは御座いません(;^_^A

狂気を持つ夫がいるが故に、息子の妻になるアイリーンには何でもしてあげようと母親のように接しますが、まさかの浮気でアイリーンは自らを生贄にしてしまうのです。
ブランジネ侯爵家の男から逃げるには命を絶つしかないという最悪な家(;^_^A

そんなフィアも狂気の夫の扱いには慣れて来ておりますけども、アイリーンを失った心の痛みは消える事もなく田舎に引き籠もります。
田舎のフィアに届く海の向こうの国で家族が出来たアイリーンの写真と手紙。

お婆ちゃんとしても母親としても嬉しかったかな(*^_^*)
ちなみに先代ブランジネ侯爵はフィアが嬉しいならそれでいいので嬉しいと思います(おい!)

番外編まで読んで頂きありがとうございました<(_ _)>


解除
おやすみマーク

最後の王太子が片膝ついてアイリーンに謝罪する所は少し見直しました。
やっとアイリーンが幸せになれてほっこりしました。

2025.07.07 cyaru

コメントありがとうございます。<(_ _)>

王太子はアイリーンがどうしたいかっていうのも気持ちを汲んでおりました(*^_^*)
なので、もう出来ることといえば、最後にドウェインの前にいるのは本物のアイリーンなんですけども、他人であると言い切る事だけ。

ドウェインもここまで好きなら裏切るような事をしなければ良かっただけなんですよねぇ。
結婚をしても誰かを好きになったりだとかそういう気持ちを持つことは仕方ないんですけども、行動に移すか移さないかで人間性が判るってもんです(;^_^A

汚い欲望をアイリーンには見せたくない、ぶつけられないのならずっと心の奥に押し込んでおかないと。
若しくは父親のように全てを曝け出す??(それはそれで迷惑なんですけどね。笑)

アイリーンは今まで生きていた世界と文明も技術も、考え方も全く違う国に来たので目から鱗なところばかりでレックスに言われたような他人から見てフキハラっぽい事をしてても仕方ない(笑)
大きく変わるのにはこれくらい違っていたら丁度だったかも。
前はこうだった…とか概念から違うので通じる通じないの次元じゃないですからね(;^_^A

そんな中でもメレディスという生涯の伴侶を得て、これからは幸せに暮らしていくかな(*^_^*)

ラストまでお付き合い頂きありがとうございました(*^_^*)

解除
kujinoji
2025.07.03 kujinoji

アイリーンが幸せになって良かった〜!と余韻に浸っていたら、ドウェインのパパがやばすぎてそこにすべて持っていかれました🤣なんつう執着心…!ドウェインもダメなとこばっかり似てしまったんですね〜。作者様の書く登場人物の狂気の描写も好きです!

2025.07.05 cyaru

コメントありがとうございます。<(_ _)>

今回のレイジェルは異常な執着と粘着でしたからねぇ。フィアも大変(笑)
40を越して10代後半のレイジェルが相手で、息子ならまだしも夫ですからねぇ。愛されて嬉しいってのはやっぱり程度ですかね(;^_^A

ドウェインもレイジェルくらいに突き抜けていればシルフィーにも目を向けることはなかったんでしょうけども、人として「これは汚い部分だ」と解っているのは母親から受け継いだ人としての感情だったかな。良い方向に向かえば良かったけど、それを隠そうってするのと両立させようって考えたのが失敗の元(笑)
全てを失って、本当に愛するアイリーンもアイリーンとしてではなく本能が求める相手としか認識出来なくなった上に二度と会えない。好き勝手して来たので手の中には何も残りませんでした(*^_^*)

アイリーンもかなり偏った考えがありましたけども、自分の知っているものや知識では追い付かない、自分は何も知らないんだって事を知り、一気に視野が広がったかな(*^_^*) 

ラストまでお付き合いいただきありがとうございました<(_ _)>

☆欄を拝借★
今回も42件(内非承認ご希望の誤字報告6件、リクエスト1件)と沢山のコメントありがとうございました<(_ _)>

返信がかなり遅くなってしまいまして申し訳ないです<(_ _)>
また楽しんで頂けるような話‥‥週末にと考えていたんですけども今日土曜日_| ̄|○
ある程度まとまったら近況でお知らせします(;^_^A

読んで頂きありがとうございました<(_ _)>

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