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初夜の屈辱
結婚式の日はどんよりとした雨模様だった。
金のないレスピナ侯爵家は次男の結婚式ではあるが簡素な式を望んだ。
しかし【高位貴族との繋がり】を重要視したルシェルの父が全額を負担し盛大な結婚式となった。数を合わせるためにレスピナ侯爵は身なりさえ良ければすれ違う者達にも参列席に座ってくれと頼みこまねばならないほどだった。
その中に1人の男がいた。
従者と共に、後日予定された見合いの席に持参する菓子を購入するために街に出た所をスカウトされたのだ。
「面白そうですね」
「バカな。他人の結婚式だぞ」
「旦那様は花嫁さんを見た事が無いでしょう?」
「腹の足しにも剣の修練にもならんことは意味が無い」
「そう言わずに。ね?タダって言ってますし行ってみましょうよ」
「雨も降りそうなのに…見たらすぐに帰るぞ」
教会の中に入ると驚く事にその中には遠くでしか見た事のない第二王子殿下まで含まれていた。
国王は流石に来られなくとも、既に事業拡大していたオリーブ商会を無視出来なかった事情がある事は誰にでもわかったが、同時にそこまで大きくなったオリーブ商会を高位貴族ですら無碍にあしらう事は出来ないと言う存在感を示したものでもあった。
煌びやかな披露宴の会場を後にした馬車。
新居に到着した馬車が一旦停車し直ぐに走り去ったのは玄関どころか門の前。
そこに残されていたのは頭からフードを被ったルシェル一人だった。
そうなった原因は馬車の中にあった。
『僕はこれからブリジットを慰めなくてはならないんだ。誰のせいだと思う』
『さぁ…お父様とレスピナ侯爵様のせいでしょうか』
『責任転嫁かい?良いご身分だね。まぁ君は誰がなんと言おうと今日から次期侯爵である僕の妻だ。だが間違わない事だ。僕があってこその立場だからね。商会の経理なんてシケた事に僕を使わないでほしい。良かったよねぇ。僕と言う伴侶を得た事で君の未来は光り輝いている。反対に僕は最悪だよ。愛するブリジットは今日の結婚式が近づくごとに心を病んでしまった。ブリジットを慰めねばならない僕の辛さを一生君は知る事はないだろうね』
『私も望んであなたの妻になったわけではありません。ガルレロ侯爵令嬢にはお気の毒だと思いますが、それも…お二人で抗って頂ければ何か道筋があったと思います』
パチン!!
オレリアンの手がルシェルの頬を打った。
頬を打った手が戻り、今度は手の甲がルシェルの頬を打った。
『僕たちが何もしなかったと?隠れて愛を育まねばならなかった!それはこれからもだ!そんな辛さが君に解るとは思わなかったが、何という言い草なんだ。謝れ!ブリジットを辱めた事を謝れ!』
ルシェルの胸ぐらを掴んだオレリアンの手は何度もルシェルを打った。
馬車の揺れも手伝って、オレリアンの手は頬だけでなくルシェルの頭部を何度も往復した。
『僕の屈辱が解るか?!第二王子殿下にまで!お前なんかと!お前なんかと結婚した事を知られてしまった僕の屈辱が!お前なんかにわかるものかッ!!』
馬車の中の音は御者にもくぐもった音であっても聞こえていただろう。
『ここで降りる!』
新居の門を開門するように伝えようとした御者の耳にオレリアンの声が聞こえた。
聞き間違いかと問い直せば【くどい】と怒鳴られ、まさかと思いながらも扉を開けると1つの塊が転げ落ちてきた。それが人だと判るまで瞬きをする必要もなかった。
オレリアンは自分で馬車の扉を内側から閉めた。
御者は抱き起したルシェルの顔を見て咄嗟に上着を脱いだ。
途中雨が降ってきてもいいように合羽代わりにもなるフードが付いた着古した上着。
『大丈夫ですか?!』
御者の声に小さく頷くルシェルは口元や鼻から赤い筋が耳の方に向かって幾つも走っていた。
『何をしてる。早く出せ』
馬車の中からオレリアンの苛立った声が響く。
『え?坊ちゃんは何処かにお出かけなのですか?でも今日は…』
『詮索をするな。お前は御者だろう。御者の仕事は馬車を走らせる事だ』
ダン!と音を立てて馬車の床を踏む。
指輪から外れた小さな石は靴の下でゴリリと音を立てて割れた。
歯向かう事も出来ず、御者はルシェルにフードを被せると離れた場所にいる門番を手招きし、屋敷に連れていくよう告げて御者席に戻るしかなかった。
誰も扉を開けるはずのない初夜の夜。
ルシェルは決まりは決まりだと父の息がかかった侍女たちに【夫婦の寝所】に押し込まれた。
相手が来ようが来るまいが関係がない。その部屋にルシェルがいたと言う事実が重要なのだ。
『お嬢様、申し訳ございません』
彼女たちも歯向かいたいけれど、力を持たない弱い立場。
父の意向に添わねば生活が出来ないのだ。
ルシェルの頬や耳、顎や腕を濡れタオルで冷やす事しか出来なかった。
『レスピナ侯爵家からの使用人はいるのかしら』
ルシェルの問いの意味を侍女は理解した。
『明日から執事が1人来るそうですが、余程お金はないんでしょうね。下男に至るまでこちらからやって来た者ばかりです。でも前々からなんですけど本当に融資が必要なほど苦しいんでしょうか。聞くところによれば侯爵夫人の買い物はかなりだと聞きますけど』
『光ものが好きな人は好きだからねぇ。お嬢様、ちょっと沁みますよ』
『痛っ…』
『ちょっと我慢してくださいね。全く…女をこんなになるまで殴るなんて!』
『本当にあり得ないね。あれで次期侯爵なんて、ハン!お笑いだよ』
石の外れた台座で頬も切れているが処置次第で痕は残らないと聞いて使用人達は安堵した。
オレリアンはルシェルとの結婚が屈辱だと言ったが、それはルシェルも同じだ。
だが、逃げられない。
持参金は全てレスピナ侯爵が受け取っているし、学園生の時からルシェルはノート一冊買う金すら渡して貰えなかった。宝飾品もドレスも父に管理されていて持ち出す事も出来なかったルシェルには体しか財産がなかった。
学園も成績は淑女科の高位貴族も合わせての成績が首席であっても商売の役には立たない。そしてきっとナタリーの姉のように別居ではあっても管理下に置かれた籠の鳥の生活が始まるのだ。
侍女や従者が気心が知れた者ばかりでも、その生活を父に握られているのでは意味がない。自由であって自由ではないのである。
結果としてオレリアンが新居の門をくぐったのは結婚式から9日目だった。
何処で寝泊まりしていたのかなど聞く方が野暮と言うものだ。
ルシェルの父が用意した言ってみれば新婚旅行のような場に、ブリジットと共に出かけていた事を悪びれもせずに本人がルシェルに言ったのだ。
『有意義に使わねば、君の父上だって気分が悪いだろう?』
その後も外泊が続くオレリアンだが、ルシェルの父はそれを知っても何も言わなかった。ルシェルの父が欲したのは【侯爵家の繋がり】であり、ルシェルとオレリアンが書類上夫婦であれば良いのだ。世間一般で言う夫婦の関係などあろうがなかろうが関係がない。
ルシェルの父からの融資が無ければ生活も出来ないレスピナ侯爵も口出しはしない。五月蠅くすることでルシェルの父の機嫌を損ない融資が減額されたり、止まるのを恐れている。トリスタンの妻の実家だった男爵家に支払った慰謝料ですら肩代わりしてもらっているのだ。
オレリアンは段々と天狗になり、結婚9日目以降新居に戻る時は王家主催の夜会が開かれ、夫婦同伴で出席をせねばならない時くらいだった。会場ではオレリアンが常に隣で、やっと解放されるのはルシェルだけが乗車する馬車。オレリアンはブリジットと夜の闇に消えていった。
侍女が偶然通りかからなければ、結婚の翌日から王宮で泊りがけの仕事をしていると誰もが疑いつつも信じただろうが、市井の少し貴族街よりのアパートメントでブリジットとの逢瀬に励んでいるようだった。
『金もないくせに!お嬢様がここにいる事で遊べるくせに!』
侍女達が悔しがっても何も出来ない。
ルシェルがいなくなれば彼らの収入源は絶たれる。軟禁とも幽閉とも呼べる生活をする事で使用人の生活が守られる。ルシェルは羽根を折られた籠の鳥以下だった。
ガルレロ侯爵令嬢だったブリジットが嫁いだ日もオレリアンが新居に戻る事はなかった。ブリジットも初夜を伴侶となる者と過ごさなかったかどうかはルシェルには判らないし知りたいとも思えない。
必要なのは、その日もオレリアンが帰ってくることはなかったと言う事実だけだ。
金のないレスピナ侯爵家は次男の結婚式ではあるが簡素な式を望んだ。
しかし【高位貴族との繋がり】を重要視したルシェルの父が全額を負担し盛大な結婚式となった。数を合わせるためにレスピナ侯爵は身なりさえ良ければすれ違う者達にも参列席に座ってくれと頼みこまねばならないほどだった。
その中に1人の男がいた。
従者と共に、後日予定された見合いの席に持参する菓子を購入するために街に出た所をスカウトされたのだ。
「面白そうですね」
「バカな。他人の結婚式だぞ」
「旦那様は花嫁さんを見た事が無いでしょう?」
「腹の足しにも剣の修練にもならんことは意味が無い」
「そう言わずに。ね?タダって言ってますし行ってみましょうよ」
「雨も降りそうなのに…見たらすぐに帰るぞ」
教会の中に入ると驚く事にその中には遠くでしか見た事のない第二王子殿下まで含まれていた。
国王は流石に来られなくとも、既に事業拡大していたオリーブ商会を無視出来なかった事情がある事は誰にでもわかったが、同時にそこまで大きくなったオリーブ商会を高位貴族ですら無碍にあしらう事は出来ないと言う存在感を示したものでもあった。
煌びやかな披露宴の会場を後にした馬車。
新居に到着した馬車が一旦停車し直ぐに走り去ったのは玄関どころか門の前。
そこに残されていたのは頭からフードを被ったルシェル一人だった。
そうなった原因は馬車の中にあった。
『僕はこれからブリジットを慰めなくてはならないんだ。誰のせいだと思う』
『さぁ…お父様とレスピナ侯爵様のせいでしょうか』
『責任転嫁かい?良いご身分だね。まぁ君は誰がなんと言おうと今日から次期侯爵である僕の妻だ。だが間違わない事だ。僕があってこその立場だからね。商会の経理なんてシケた事に僕を使わないでほしい。良かったよねぇ。僕と言う伴侶を得た事で君の未来は光り輝いている。反対に僕は最悪だよ。愛するブリジットは今日の結婚式が近づくごとに心を病んでしまった。ブリジットを慰めねばならない僕の辛さを一生君は知る事はないだろうね』
『私も望んであなたの妻になったわけではありません。ガルレロ侯爵令嬢にはお気の毒だと思いますが、それも…お二人で抗って頂ければ何か道筋があったと思います』
パチン!!
オレリアンの手がルシェルの頬を打った。
頬を打った手が戻り、今度は手の甲がルシェルの頬を打った。
『僕たちが何もしなかったと?隠れて愛を育まねばならなかった!それはこれからもだ!そんな辛さが君に解るとは思わなかったが、何という言い草なんだ。謝れ!ブリジットを辱めた事を謝れ!』
ルシェルの胸ぐらを掴んだオレリアンの手は何度もルシェルを打った。
馬車の揺れも手伝って、オレリアンの手は頬だけでなくルシェルの頭部を何度も往復した。
『僕の屈辱が解るか?!第二王子殿下にまで!お前なんかと!お前なんかと結婚した事を知られてしまった僕の屈辱が!お前なんかにわかるものかッ!!』
馬車の中の音は御者にもくぐもった音であっても聞こえていただろう。
『ここで降りる!』
新居の門を開門するように伝えようとした御者の耳にオレリアンの声が聞こえた。
聞き間違いかと問い直せば【くどい】と怒鳴られ、まさかと思いながらも扉を開けると1つの塊が転げ落ちてきた。それが人だと判るまで瞬きをする必要もなかった。
オレリアンは自分で馬車の扉を内側から閉めた。
御者は抱き起したルシェルの顔を見て咄嗟に上着を脱いだ。
途中雨が降ってきてもいいように合羽代わりにもなるフードが付いた着古した上着。
『大丈夫ですか?!』
御者の声に小さく頷くルシェルは口元や鼻から赤い筋が耳の方に向かって幾つも走っていた。
『何をしてる。早く出せ』
馬車の中からオレリアンの苛立った声が響く。
『え?坊ちゃんは何処かにお出かけなのですか?でも今日は…』
『詮索をするな。お前は御者だろう。御者の仕事は馬車を走らせる事だ』
ダン!と音を立てて馬車の床を踏む。
指輪から外れた小さな石は靴の下でゴリリと音を立てて割れた。
歯向かう事も出来ず、御者はルシェルにフードを被せると離れた場所にいる門番を手招きし、屋敷に連れていくよう告げて御者席に戻るしかなかった。
誰も扉を開けるはずのない初夜の夜。
ルシェルは決まりは決まりだと父の息がかかった侍女たちに【夫婦の寝所】に押し込まれた。
相手が来ようが来るまいが関係がない。その部屋にルシェルがいたと言う事実が重要なのだ。
『お嬢様、申し訳ございません』
彼女たちも歯向かいたいけれど、力を持たない弱い立場。
父の意向に添わねば生活が出来ないのだ。
ルシェルの頬や耳、顎や腕を濡れタオルで冷やす事しか出来なかった。
『レスピナ侯爵家からの使用人はいるのかしら』
ルシェルの問いの意味を侍女は理解した。
『明日から執事が1人来るそうですが、余程お金はないんでしょうね。下男に至るまでこちらからやって来た者ばかりです。でも前々からなんですけど本当に融資が必要なほど苦しいんでしょうか。聞くところによれば侯爵夫人の買い物はかなりだと聞きますけど』
『光ものが好きな人は好きだからねぇ。お嬢様、ちょっと沁みますよ』
『痛っ…』
『ちょっと我慢してくださいね。全く…女をこんなになるまで殴るなんて!』
『本当にあり得ないね。あれで次期侯爵なんて、ハン!お笑いだよ』
石の外れた台座で頬も切れているが処置次第で痕は残らないと聞いて使用人達は安堵した。
オレリアンはルシェルとの結婚が屈辱だと言ったが、それはルシェルも同じだ。
だが、逃げられない。
持参金は全てレスピナ侯爵が受け取っているし、学園生の時からルシェルはノート一冊買う金すら渡して貰えなかった。宝飾品もドレスも父に管理されていて持ち出す事も出来なかったルシェルには体しか財産がなかった。
学園も成績は淑女科の高位貴族も合わせての成績が首席であっても商売の役には立たない。そしてきっとナタリーの姉のように別居ではあっても管理下に置かれた籠の鳥の生活が始まるのだ。
侍女や従者が気心が知れた者ばかりでも、その生活を父に握られているのでは意味がない。自由であって自由ではないのである。
結果としてオレリアンが新居の門をくぐったのは結婚式から9日目だった。
何処で寝泊まりしていたのかなど聞く方が野暮と言うものだ。
ルシェルの父が用意した言ってみれば新婚旅行のような場に、ブリジットと共に出かけていた事を悪びれもせずに本人がルシェルに言ったのだ。
『有意義に使わねば、君の父上だって気分が悪いだろう?』
その後も外泊が続くオレリアンだが、ルシェルの父はそれを知っても何も言わなかった。ルシェルの父が欲したのは【侯爵家の繋がり】であり、ルシェルとオレリアンが書類上夫婦であれば良いのだ。世間一般で言う夫婦の関係などあろうがなかろうが関係がない。
ルシェルの父からの融資が無ければ生活も出来ないレスピナ侯爵も口出しはしない。五月蠅くすることでルシェルの父の機嫌を損ない融資が減額されたり、止まるのを恐れている。トリスタンの妻の実家だった男爵家に支払った慰謝料ですら肩代わりしてもらっているのだ。
オレリアンは段々と天狗になり、結婚9日目以降新居に戻る時は王家主催の夜会が開かれ、夫婦同伴で出席をせねばならない時くらいだった。会場ではオレリアンが常に隣で、やっと解放されるのはルシェルだけが乗車する馬車。オレリアンはブリジットと夜の闇に消えていった。
侍女が偶然通りかからなければ、結婚の翌日から王宮で泊りがけの仕事をしていると誰もが疑いつつも信じただろうが、市井の少し貴族街よりのアパートメントでブリジットとの逢瀬に励んでいるようだった。
『金もないくせに!お嬢様がここにいる事で遊べるくせに!』
侍女達が悔しがっても何も出来ない。
ルシェルがいなくなれば彼らの収入源は絶たれる。軟禁とも幽閉とも呼べる生活をする事で使用人の生活が守られる。ルシェルは羽根を折られた籠の鳥以下だった。
ガルレロ侯爵令嬢だったブリジットが嫁いだ日もオレリアンが新居に戻る事はなかった。ブリジットも初夜を伴侶となる者と過ごさなかったかどうかはルシェルには判らないし知りたいとも思えない。
必要なのは、その日もオレリアンが帰ってくることはなかったと言う事実だけだ。
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