殿下の御心のままに。

cyaru

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怒りの公爵家

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まだ頬を濡らしてはならない。表情に変化を付けてはならない。

厳しい淑女教育、王子妃教育そして王太子妃教育で痛みも、辛さも、喜びすらも悟られてはならぬと教えられていたのが役に立ったのか、馬車に乗り込むまでわたくしは公爵令嬢、そしてアルフレッド様の婚約者という仮面を取らずに長い回廊を歩き終えました。


「お嬢様、どうされたのです?」

警備の関係で公爵家の従者は馬車付近での待機となっており、異変を感じた侍女がわたくしの顔を覗き込むのです。母と同じほどの年齢の侍女スーザンはよちよち歩きを始めた頃からの侍女。
何かがあったのだと、何も言わぬわたくしをただ抱きしめてくれました。

スーザンの胸の温かさに、温度を感じたわたくしの涙腺は崩壊し、令嬢たるものと言われそうですが声をあげて泣いてしまいました。

それはアルフレッド様に選ばれなかったという思いよりも、生まれて1時間も経たぬうちに婚約者となりその務めに勤しんできた自分自身への歯がゆい思いで御座いました。
何のために足の血豆を潰しても笑顔で立ち、歩き、踊って来たのか。
熱があっても化粧で顔色を誤魔化し、ふらつく己に喝を入れてきたのか。
全てはアルフレッド様が即位をされ、その隣で王妃として立つため。

貴族、王族に恋愛感情は不要と言っても心に他者を思う方に抱かれ子を成せるほどわたくしの心は強くは御座いません。そんな方と命ある限り添い遂げ尽くしてもこちらに心を寄せてくれる事もない。本心から声を掛け労わって欲しいと思うのは贅沢ではないはずです。
たとえ職業王妃として扱われるにしろ、まだ他人と言う立場で先だって宣告しただろうと言われて「はい」と頷けるほどわたくしは達観の域には達していないのです。

その上、同じ墓に入らねばならないと思うと寒気も致します。
死んでも尚、神の前で他の女性愛する人への揺るぎない言葉を聞かねばならないとなれば、天国にすらわたくしの安息の地はないのですから。


わたくしも「恋」と言うものは知りません。知る必要がなかったのです。
生れた時からアルフレッド様が婚約者で他の男性に心を許す事は考えた事もなく、実の父や兄にですら思い切り甘えた事もないのです。

「家族愛」「親愛」はこういうものなのだろうと思う事は多々ありましたが、アルフレッド様のような「運命の相手」が居らずとも、探さずとも、生涯はアルフレッド様をお支えし、共に歩み、その中で「家族愛」そして「情」を育て超えた所にある「無二の愛」を手にするのだと教えられてきたのです。

そう、現両陛下そして両親の互いを思いやるあの瞳と言葉、気持ちに嘘はない、あれこそが「情を超えた無二の愛」と信じております。

運命の相手から与えられる何物にも代え難く、癒しさえも伴った感情は親が子へ与える愛よりも手にする者は少ないのでしょう。王太子ひいては国王になられるアルフレッド様が望まれるもの。それはわたくしでは与えられないもの。いえ、わたくしがいる事でアルフレッド様が二の足を踏む事になってはならないのです。



1人結論付けたわたくしは、吹っ切れた思いが御座いました。
それはアルフレッド様への想いは砕けてしまったけれど、同時に感じた事のない得も言われぬ解放感が心に広がったのは言うまでも御座いません。
もうすぐ公爵家というところでやっと涙が止まり、長い溜息を一つ吐きます。

「スーザン、殿下に言われてしまったわ」
「何を言われたのです?先日の茶葉は合わないと?」
「いいえ。合わなかったのは茶葉ではなくわたくし。わたくしは殿下の心を寄せる相手ではないわ」

ヒュっと息を飲むスーザンは言葉の意味を理解してくれます。

「他にお相手が居られると‥‥」
「いいえ。その相手を探したいのですって。なんだかもう…ふふっ」
「わっ!私のお嬢様をバカにして!!許さないわッ」

スーザンが顔を真っ赤にして怒りを露わにすれば、じわりと【余程に失礼だわ】とやっと思えるようになってくるのは不思議です。

そう、流行の恋愛小説や歌劇のように既にお相手がいるのも問題では御座いますが、いないから探したいと婚約者と言う立場の女性に向かって言う事なのだろうか?と。
お前ではダメだから、癒してくれる相手を探したいとアルフレッド様は仰ったのだ。

「はぁ…泣いた分の涙を返してほしい気分になりましたわ」
「お嬢様、私は今から引き返して一発殴ってきます」
「いいのよ。殿下には運命のお相手を探して頂きましょう」

「そんなっ!我慢をなさらないでください。幼い頃から厳しい教育に耐え抜かれた挙句なのですよ?それでもまだあの愚鈍で破廉恥、厚顔無恥な殿下と添い遂げようと言うのですか。心のない方をお慕いするなど‥‥」

「いいえ。殿下とは婚約を解消して頂くわ。だってそうでしょう?運命の相手が見つかったら側妃も公妃も認められていないこの国なのよ?ずっと相手の事を考えている殿下と居なきゃならないのよ?房事の最中に違う名前を呼ばれるかもと思ったら‥‥おぉぉ悍ましい!見つからなかった時なんてじゃないの。これで我慢するなんて思われての毎日なんて真っ平ごめんだわ」

泣き笑いになったところで馬車が屋敷に到着し、出迎えたお母様の胸に飛び込みます。何も言わなくても泣いた痕のある顔や怒り心頭のスーザンを見ればお母様も大股でお父様の書斎に飛び込んでくださいました。


「お帰り。その顔はどうした?何かあったのか?」


お父様はわたくしを愛してくださっております。兄を産んで産後の肥立ちも悪かったお母様はわたくしを身籠った際に医師も反対する中、命を賭けてこの世に送り出してくださいました。以降は身籠る事が出来ずでしたが1男1女。
公爵夫人としては合格点でございましょう。

お母様をこよなく愛するお父様は、お母様に瓜二つと言われるわたくしも溺愛してくださっております。生まれた時、虫の息に近かったお母様をお座成りにし、わたくしをアルフレッド様の婚約者とすると王命を出した陛下とは幼馴染だそうでございますが、胸ぐらを掴み「ふざけるな」と言った父で御座います。

公爵と言えど数代前に王女殿下が興した家であっても臣下に変わらず。以降は領地経営と功績で爵位を守って参りました。陛下の弟妹であれば血が濃いと断る事もできたのでしょうが、王命を出されては動くに動けず。
涙をのんで従った次第で御座いました。

「何を言われた?まさか!何かされたのか?!」

「お父様、殿下は運命の相手を探したいのだそうです。そのお相手に癒してもらいたい、贈ったドレスでダンスを踊りたい…そう仰っておられました」

お母様の手にしていた扇子がまだ閉じたままですのに不自然に真っ二つになっております。お父様を見れば【フゥ】と息を吐き、額とこめかみの血管がくっきりと浮き上がった茹蛸。
早速家宝の長槍を手に取り、一振りでカバーを外すと今にも城に突撃する勢い。慌てて家令と執事がお父様を押さえ込んでおります。

「ブレイド!ブレイドここへッ!」
「奥様、如何なされました」
「如何どころではないッ!王家から贈られたドレス、装飾品などの贈り物を棄てておしまいなさい、いえ。送り返すのもいいわね。屋敷の中にあると思うただけで気分が悪い」

執事を呼び、今までアルフレッド様から贈られた品を送り返せというお母様。
贈られたと言っても公爵家から王太子殿下用の費用は8割出しておりますから、元を正せば公爵家の金で買ったものがほとんど。送り返さずとも良い気も致します。

「お父様、お母様、不出来な娘で申し訳ございませんが、この機会です。陛下より賜った1度だけの我儘を使い婚約を解消したいと考えております。その折、公爵家に迷惑が掛かるのは必須。わたくしは修道院に行き公爵家の繁栄と安寧を生涯祈りたいと思います」

「ツェツィ。解消など生ぬるい。破棄だ、破棄!公爵家など返上してくれるわ」

「そうよ。ツェツィ。女を舐めた事を抜かすような王太子が次の治世を統べる事などどうして出来ましょう。何も心配しなくていいわ」

「おぅよ!生後30分で下らぬ王命を押し付けた結果が運命の相手を見つけたい?口に塩を捩じ込み、喉を掻っ切ってくれるわ!ジェイスッ!急ぎ出立の用意を」

王宮に出向く際は【出仕】と言うお父様。どうやら行き先は王宮ではない様子。
数日留守にするから、しばらくは屋敷から出るな、来客は追い返せと言いお父様専属執事のジェイスと慌ただしく何処かに出掛けられるご様子。

お母様は急ぎの文をしたため、お父様に満面の笑みで手渡されております。


日頃はサロンに入ってきたミツバチにも逃げまどうお父様ですが槍を持たせれば勇猛果敢な騎士でもございます。鼻息の荒いお父様に陛下に面会のお時間を頂けるようお願いをして、わたくしは自室に向かいました。
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