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♡無力を感じる
「お嬢様、入りますよ?」
公爵家に戻って1週間。今日も返事のない部屋に侍女が入って来ます。
静かな部屋の中、わたくしは、何もかも無くなってしまいました。
お揃いのマグカップも、マクシム様が採ってきてくださった安寿草の蜜も馬車に置いたままでわたくしの手元に残ったマクシム様との品はワンピースと髪飾りだけ。
マクシム様の髪色の土埃に塗れたワンピースを握りしめ、顔をうずめ、ただ涙を流すだけで御座います。
「お嬢様、雨が降ってきましたので窓を閉めましょうね」
侍女が声を出すと、廊下側の扉が開いて他の侍女やメイドも部屋に入ってきます。
パタパタと窓を閉める音の向こうにはマクシム様の色を雲が覆い、空も泣いているかのような雨。
「お嬢様、お目目が真っ赤で御座います。皆が心配致しますよ」
「お嬢様、宿場町の近くに従兄弟が住んでいるんです。山で迷子になった人とか見つけるの得意なんです。きっと見つけてくれます。だから!だから元気出してくださいっ」
「そうですよ!お嬢様が泣いていたら、その方も心配しますっ」
マクシム様との生活が無ければ、侍女やメイドの声が私に聞えたでしょうか。
今まで時間になれば決められた仕事をする彼女たちをわたくしはどんな風に見ていたのでしょう。
「ありがとう‥‥皆…ありがとう」
「さぁ!もう泣くのは終わりです!にっこり笑うんですよ。お嬢様っ」
「さて!今日こそは洗わせて頂きますからねっ」
彼女たちは誰にも会いたくないというわたくしは部屋に籠り、日に数回食事を運んできてくれる侍女に泣きながら数口のスープを食べさせてもらうだけの日々でございました。
湯殿に行くと、侍女が服を脱がせてくれます。
戻った時に着ていたワンピースは強制的に脱がされたのですが今日は優しく脱がせてくれます。
「擦り傷も目立たなくなりましたね。もう!旦那様を叱り飛ばすところでした」
手綱と鞍が当たっていた部分は肌に擦り傷があったのですが、傷の痛みよりもマクシム様の事が心配で瘡蓋になった事も気が付きませんでした。
「わぁ!久しぶりのお嬢様の髪。やっぱり綺麗。上手に洗ってくださっていたんですねぇ。洗髪剤が残ると髪が傷むんですけど全然傷んでないです」
「そうね…とても…丁寧に‥うくっ…うぅぅっ」
「はいはい、涙が出る前に体も洗いましょう」
くすんだ肌が綺麗に洗われて、元の肌の色になっていきます。
ですが、ドレスの袖を取ったワンピースだったからか、肩を境に腕と胸の肌の色が違っておりました。侍女はそれを日焼けと言っております。
「お日様に当たっていると肌が焼けるんですよ。大丈夫です。日が経てば元に戻りますよ」
「元に?この色が無くなってしまうの?」
「はい。元の真っ白なお肌になりますよ」
「嫌よ…お願い。このままにはしておけないの?」
「お嬢様、これは打ち身と同じで日が経てば治るんです」
ワンピースと髪飾り以外に、この体に残ったマクシム様が無くなるようでわたくしは、はしたなくも声をあげて泣いてしまいました。おろおろする侍女たちには申し訳ない事を致しました。
それから4日経ち、モントさんが特別な荷馬車に揺られて帰って参りました。
あの日から10日以上経過していて、体がそれ以上に傷まないよう薬草を浸した布で全身を覆い、その上にあの場に咲いていた花なのでしょう。棺の上には萎びた花が置かれておりました。
王宮からは国王陛下から直々の呼び出し状がお兄様の執務机の上に山になっております。お兄様も叔母様も「放っておいていい」と仰います。
きっと帰国されればこの呼び出し状は開かれる事もなく暖炉にくべられるでしょう。
「お兄様は今日も?」
「はい、なんでもアルメイテ国で大事なご商談と。捜索の方は続けております。帰途につかれた際は立ち寄ると聞いております。明日はモントの葬儀で御座いますが旦那様はお戻りにはなれないでしょう」
「わたくしが代理で参列を致します」
「しかし…」
家令の心配は判ります。御者は爵位が高くなればなるほど危険性もある仕事。
それを当人も、その家族も理解した上で働くのですが、モントさんのように命を落としてしまえばご家族の心中は如何ばかりか。これも以前のわたくしなら何も感じなかったでしょう。
人はいずれ死ぬもの。
母が亡くなり心が折れかけたわたくしに、王宮の講師たちはそう言ったのです。
不老不死などないのだから、何時までも故人を思い泣くものではないと。
他人の死に感情を向ける必要はないと教えられたのです。
――そんな事はない。その人があって自分があるのよ――
為政者として感情を捨てるならそれでもいいかも知れません。
ですが、わたくしは感情を知ってしまいました。
嬉しい、楽しい、悲しい、そして怒り。
慈しむ愛情や、それを失う虚無の悲しみ。
感情があるからこそ、嫉妬や妬みもあるけれど希望もあるのだと。
明日のモントさんの葬儀には参加する旨を伝えます。どんなに厳しい言葉を掛けられようと、わたくしにはそれを受け止める必要があるのです。
しかし、モントさんのご両親は一言もわたくしを責めることなく、わたくしが無事であった事を喜んでくださいました。長く公爵家に勤め、モントさんのお父様も公爵家で御者をしておりました。
「息子も胸を張って神の御許に逝けるでしょう。私は誇りに思っています」
わたくしを気遣ってモントさんのご両親は言葉をかけてくださいました。
ですが、悲しくない筈はないのです。
棺が土に埋まるとモントさんのご両親は膝から崩れ落ちました。
ただ背を撫でるしか出来ない無力さをわたくしは感じたのです。
公爵家に戻って1週間。今日も返事のない部屋に侍女が入って来ます。
静かな部屋の中、わたくしは、何もかも無くなってしまいました。
お揃いのマグカップも、マクシム様が採ってきてくださった安寿草の蜜も馬車に置いたままでわたくしの手元に残ったマクシム様との品はワンピースと髪飾りだけ。
マクシム様の髪色の土埃に塗れたワンピースを握りしめ、顔をうずめ、ただ涙を流すだけで御座います。
「お嬢様、雨が降ってきましたので窓を閉めましょうね」
侍女が声を出すと、廊下側の扉が開いて他の侍女やメイドも部屋に入ってきます。
パタパタと窓を閉める音の向こうにはマクシム様の色を雲が覆い、空も泣いているかのような雨。
「お嬢様、お目目が真っ赤で御座います。皆が心配致しますよ」
「お嬢様、宿場町の近くに従兄弟が住んでいるんです。山で迷子になった人とか見つけるの得意なんです。きっと見つけてくれます。だから!だから元気出してくださいっ」
「そうですよ!お嬢様が泣いていたら、その方も心配しますっ」
マクシム様との生活が無ければ、侍女やメイドの声が私に聞えたでしょうか。
今まで時間になれば決められた仕事をする彼女たちをわたくしはどんな風に見ていたのでしょう。
「ありがとう‥‥皆…ありがとう」
「さぁ!もう泣くのは終わりです!にっこり笑うんですよ。お嬢様っ」
「さて!今日こそは洗わせて頂きますからねっ」
彼女たちは誰にも会いたくないというわたくしは部屋に籠り、日に数回食事を運んできてくれる侍女に泣きながら数口のスープを食べさせてもらうだけの日々でございました。
湯殿に行くと、侍女が服を脱がせてくれます。
戻った時に着ていたワンピースは強制的に脱がされたのですが今日は優しく脱がせてくれます。
「擦り傷も目立たなくなりましたね。もう!旦那様を叱り飛ばすところでした」
手綱と鞍が当たっていた部分は肌に擦り傷があったのですが、傷の痛みよりもマクシム様の事が心配で瘡蓋になった事も気が付きませんでした。
「わぁ!久しぶりのお嬢様の髪。やっぱり綺麗。上手に洗ってくださっていたんですねぇ。洗髪剤が残ると髪が傷むんですけど全然傷んでないです」
「そうね…とても…丁寧に‥うくっ…うぅぅっ」
「はいはい、涙が出る前に体も洗いましょう」
くすんだ肌が綺麗に洗われて、元の肌の色になっていきます。
ですが、ドレスの袖を取ったワンピースだったからか、肩を境に腕と胸の肌の色が違っておりました。侍女はそれを日焼けと言っております。
「お日様に当たっていると肌が焼けるんですよ。大丈夫です。日が経てば元に戻りますよ」
「元に?この色が無くなってしまうの?」
「はい。元の真っ白なお肌になりますよ」
「嫌よ…お願い。このままにはしておけないの?」
「お嬢様、これは打ち身と同じで日が経てば治るんです」
ワンピースと髪飾り以外に、この体に残ったマクシム様が無くなるようでわたくしは、はしたなくも声をあげて泣いてしまいました。おろおろする侍女たちには申し訳ない事を致しました。
それから4日経ち、モントさんが特別な荷馬車に揺られて帰って参りました。
あの日から10日以上経過していて、体がそれ以上に傷まないよう薬草を浸した布で全身を覆い、その上にあの場に咲いていた花なのでしょう。棺の上には萎びた花が置かれておりました。
王宮からは国王陛下から直々の呼び出し状がお兄様の執務机の上に山になっております。お兄様も叔母様も「放っておいていい」と仰います。
きっと帰国されればこの呼び出し状は開かれる事もなく暖炉にくべられるでしょう。
「お兄様は今日も?」
「はい、なんでもアルメイテ国で大事なご商談と。捜索の方は続けております。帰途につかれた際は立ち寄ると聞いております。明日はモントの葬儀で御座いますが旦那様はお戻りにはなれないでしょう」
「わたくしが代理で参列を致します」
「しかし…」
家令の心配は判ります。御者は爵位が高くなればなるほど危険性もある仕事。
それを当人も、その家族も理解した上で働くのですが、モントさんのように命を落としてしまえばご家族の心中は如何ばかりか。これも以前のわたくしなら何も感じなかったでしょう。
人はいずれ死ぬもの。
母が亡くなり心が折れかけたわたくしに、王宮の講師たちはそう言ったのです。
不老不死などないのだから、何時までも故人を思い泣くものではないと。
他人の死に感情を向ける必要はないと教えられたのです。
――そんな事はない。その人があって自分があるのよ――
為政者として感情を捨てるならそれでもいいかも知れません。
ですが、わたくしは感情を知ってしまいました。
嬉しい、楽しい、悲しい、そして怒り。
慈しむ愛情や、それを失う虚無の悲しみ。
感情があるからこそ、嫉妬や妬みもあるけれど希望もあるのだと。
明日のモントさんの葬儀には参加する旨を伝えます。どんなに厳しい言葉を掛けられようと、わたくしにはそれを受け止める必要があるのです。
しかし、モントさんのご両親は一言もわたくしを責めることなく、わたくしが無事であった事を喜んでくださいました。長く公爵家に勤め、モントさんのお父様も公爵家で御者をしておりました。
「息子も胸を張って神の御許に逝けるでしょう。私は誇りに思っています」
わたくしを気遣ってモントさんのご両親は言葉をかけてくださいました。
ですが、悲しくない筈はないのです。
棺が土に埋まるとモントさんのご両親は膝から崩れ落ちました。
ただ背を撫でるしか出来ない無力さをわたくしは感じたのです。
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