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散らばった菓子
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庭園の木々に若葉が芽吹いた頃、パンサラッサ侯爵家の令嬢ファデリカはレイデス国第一王子トリトンの呼び出しを受けて登城、長い王宮の回廊を騎士に先導されて歩いていた。
前を歩く騎士の背が、向かいから誰かが来た事を告げた。
わきに避け、ドレスを少し抓んで軽く頭を下げる。
「ファデリカ。久しぶりだね」
「はい、ネレイド第二王子殿下にはご機嫌麗しくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか」
「アハハ。もう止めてくれ。ファデリカにそんな事を言わせたい訳じゃない。頭をあげてよ」
レイデス国には3人の王子がいる。ファデリカを呼び出した第一王子トリトン、そして目の前のネレイドは国王によく似た金髪碧眼の美丈夫で文武二道。2人のうちどちらかが間もなく立太子すると噂されている。
「今日は兄上に?」
「はい」
「そうか。だが今までのように気軽に遊びに来てほしい。妃たちも喜ぶ」
「ありがとうございます。ふふっ。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
「待ってるよ」
ネレイドは人懐っこい笑みを浮かべて、軽く手をあげるとファデリカが先程まで進んできた廊下を歩いて行った。その背をカーテシーで見送り、案内の騎士の言葉に頭をあげる。
目的の部屋はもうすぐそこにある。
案内の騎士が扉の前を守る騎士に声をかけると、中から扉が開いた。
薄く開いた扉の向こうに見知った顔。黒い正装はアスクレックス公爵家嫡男のバズヘッドだった。
彼が第一王子の部屋にいるとなれば、立太子するのはは第一王子なのだろう。
左近衛中将と二つ名で呼ばれ知にも世故に長けている男である。
目があうと、薄いその目が温度と笑みを浮かべる。
「どうぞ」と開かれた扉の中に入れば、ソファの中央に第一王子トリトン殿下。
その後ろには赤い隊服のアールシア公爵家のマディックが立っている。
彼もまた、右近衛少将と二つ名で呼ばれ剣を握ればその隣に並ぶ者はいない。
――これはもう決まりね――
「トリトン第一王子殿下。パンサラッサ侯爵家が娘、ファデリカ。お召しに与り罷り越しました」
「ファデリカ。良く来てくれたね。かけてくれ」
向かいのソファを示され、腰を下ろすと部屋の開け放たれた窓から心地よい風が吹き込んで、ファデリカの緩く纏めた銀髪が少し靡いた。
「遅くなったが確認をして欲しい」
間にあるテーブルに指3本を添えてスッと差し出された書類には国王、教皇、そして目の前のトリトン第一王子殿下の御印とサインが入っていた。
「確かに」
書面の向きを変えようと半回転程した時、入り口が途端に騒がしくなった。
指を離し、ソファに座る姿勢を今一度正した。
目の前のトリトン第一王子は眉間に皺を寄せ、不快である事を隠しもしない。
後ろのマディックは表情こそ変わらないが、扉に視線だけを向けている。
背後では、バズヘッドが部屋に入れろという声の主を諫めている。
トリトン第一王子の表情が弛み、ファデリカに微笑みかけながら侍女を手招きする。
同時に招かざる客が入室してきた事を感じ取った。
「疲れた時には甘いものが良いと聞いてね」
バシッ!!【兄上ッ!!】
侍女が手にした菓子の籠が弾かれて中身の菓子が色とりどりの雹を降らせるように床に散らばった。
「もっ申し訳ございませんっ」
咄嗟に侍女が散らばった菓子を拾おうとしゃがみ込むがトリトンは【そのまま】と声をかけて侍女の動きを止めた。主の顔を見上げ、礼をすると底に数個の菓子が残った籠をテーブルに置き定位置まで下がった。
しまったと一瞬顔が強張ったが声の主はトリトン第一王子に縋るかのようにまた声をあげた。
「兄上っ!!」
「拾え」
「え?…」小さな声を発し、第三王子ナイアッドは床に散らばった菓子に目をやった。しかしそれもすぐになかったものとなり、また兄を呼んだ。
「二度目だ。拾えと言ってる。三度目はない」
氷点下の眼差しと、凍てつく氷の槍のような言葉に第三王子ナイアッドは怯んだ。
しばらくトリトンとナイアッドの睨み合いが続いたが、ナイアッドは悔し気に目を逸らし、顔を背け片膝をついて散らばった菓子を数個掴んだ。
ナイアッドは掴んだ菓子をテーブルの籠に投げるように入れていくが、テーブルの下。兄トリトンとファデリカの中央ほどの位置に菓子が1つまだ転がっていたのに気が付いた。
しかし、それを取るにはどちらかに立ち上がって、その場から移動してもらわねばならない。
どちらに頼みやすいか。言わずもがな。
「ファデリカ。足元の菓子を取っ――」
「お前が取るんだ」
「兄上っ!さっきから何なんだ!」
「二度目だ。お前が‥‥取るんだ」
「だがっ!」
「這い蹲れば手が届くだろう」
「俺に床に這い蹲れと言うのか?!兄上っ。兄上は王太子になるかも知れないが、俺だって王子だ!その俺に床に這い蹲れとはいったい―――」
「聞こえなかったか?這い蹲って菓子を取るだけだ。貴様が今までしてきた事に比べれば簡単だろう?」
部屋に温度はあったのだろうかとファデリカは窓から差し込む明るい光に目をやった。
それはトリトンの言葉に屈したナイアッドが四つん這いから頭を下げてテーブルの下に差し込んだその姿から目を逸らしたようにも見える。
婚約は破棄とはなったものの、10年以上婚約者だったナイアッドにかけてやれる最後の情けだったのかも知れない。ほんの数年前までは仲睦まじい2人だったナイアッドとファデリカ。
誰よりも近かった心の距離は、今はもう遠すぎる上に交わる事もないとトリトンは目を閉じた。
前を歩く騎士の背が、向かいから誰かが来た事を告げた。
わきに避け、ドレスを少し抓んで軽く頭を下げる。
「ファデリカ。久しぶりだね」
「はい、ネレイド第二王子殿下にはご機嫌麗しくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか」
「アハハ。もう止めてくれ。ファデリカにそんな事を言わせたい訳じゃない。頭をあげてよ」
レイデス国には3人の王子がいる。ファデリカを呼び出した第一王子トリトン、そして目の前のネレイドは国王によく似た金髪碧眼の美丈夫で文武二道。2人のうちどちらかが間もなく立太子すると噂されている。
「今日は兄上に?」
「はい」
「そうか。だが今までのように気軽に遊びに来てほしい。妃たちも喜ぶ」
「ありがとうございます。ふふっ。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
「待ってるよ」
ネレイドは人懐っこい笑みを浮かべて、軽く手をあげるとファデリカが先程まで進んできた廊下を歩いて行った。その背をカーテシーで見送り、案内の騎士の言葉に頭をあげる。
目的の部屋はもうすぐそこにある。
案内の騎士が扉の前を守る騎士に声をかけると、中から扉が開いた。
薄く開いた扉の向こうに見知った顔。黒い正装はアスクレックス公爵家嫡男のバズヘッドだった。
彼が第一王子の部屋にいるとなれば、立太子するのはは第一王子なのだろう。
左近衛中将と二つ名で呼ばれ知にも世故に長けている男である。
目があうと、薄いその目が温度と笑みを浮かべる。
「どうぞ」と開かれた扉の中に入れば、ソファの中央に第一王子トリトン殿下。
その後ろには赤い隊服のアールシア公爵家のマディックが立っている。
彼もまた、右近衛少将と二つ名で呼ばれ剣を握ればその隣に並ぶ者はいない。
――これはもう決まりね――
「トリトン第一王子殿下。パンサラッサ侯爵家が娘、ファデリカ。お召しに与り罷り越しました」
「ファデリカ。良く来てくれたね。かけてくれ」
向かいのソファを示され、腰を下ろすと部屋の開け放たれた窓から心地よい風が吹き込んで、ファデリカの緩く纏めた銀髪が少し靡いた。
「遅くなったが確認をして欲しい」
間にあるテーブルに指3本を添えてスッと差し出された書類には国王、教皇、そして目の前のトリトン第一王子殿下の御印とサインが入っていた。
「確かに」
書面の向きを変えようと半回転程した時、入り口が途端に騒がしくなった。
指を離し、ソファに座る姿勢を今一度正した。
目の前のトリトン第一王子は眉間に皺を寄せ、不快である事を隠しもしない。
後ろのマディックは表情こそ変わらないが、扉に視線だけを向けている。
背後では、バズヘッドが部屋に入れろという声の主を諫めている。
トリトン第一王子の表情が弛み、ファデリカに微笑みかけながら侍女を手招きする。
同時に招かざる客が入室してきた事を感じ取った。
「疲れた時には甘いものが良いと聞いてね」
バシッ!!【兄上ッ!!】
侍女が手にした菓子の籠が弾かれて中身の菓子が色とりどりの雹を降らせるように床に散らばった。
「もっ申し訳ございませんっ」
咄嗟に侍女が散らばった菓子を拾おうとしゃがみ込むがトリトンは【そのまま】と声をかけて侍女の動きを止めた。主の顔を見上げ、礼をすると底に数個の菓子が残った籠をテーブルに置き定位置まで下がった。
しまったと一瞬顔が強張ったが声の主はトリトン第一王子に縋るかのようにまた声をあげた。
「兄上っ!!」
「拾え」
「え?…」小さな声を発し、第三王子ナイアッドは床に散らばった菓子に目をやった。しかしそれもすぐになかったものとなり、また兄を呼んだ。
「二度目だ。拾えと言ってる。三度目はない」
氷点下の眼差しと、凍てつく氷の槍のような言葉に第三王子ナイアッドは怯んだ。
しばらくトリトンとナイアッドの睨み合いが続いたが、ナイアッドは悔し気に目を逸らし、顔を背け片膝をついて散らばった菓子を数個掴んだ。
ナイアッドは掴んだ菓子をテーブルの籠に投げるように入れていくが、テーブルの下。兄トリトンとファデリカの中央ほどの位置に菓子が1つまだ転がっていたのに気が付いた。
しかし、それを取るにはどちらかに立ち上がって、その場から移動してもらわねばならない。
どちらに頼みやすいか。言わずもがな。
「ファデリカ。足元の菓子を取っ――」
「お前が取るんだ」
「兄上っ!さっきから何なんだ!」
「二度目だ。お前が‥‥取るんだ」
「だがっ!」
「這い蹲れば手が届くだろう」
「俺に床に這い蹲れと言うのか?!兄上っ。兄上は王太子になるかも知れないが、俺だって王子だ!その俺に床に這い蹲れとはいったい―――」
「聞こえなかったか?這い蹲って菓子を取るだけだ。貴様が今までしてきた事に比べれば簡単だろう?」
部屋に温度はあったのだろうかとファデリカは窓から差し込む明るい光に目をやった。
それはトリトンの言葉に屈したナイアッドが四つん這いから頭を下げてテーブルの下に差し込んだその姿から目を逸らしたようにも見える。
婚約は破棄とはなったものの、10年以上婚約者だったナイアッドにかけてやれる最後の情けだったのかも知れない。ほんの数年前までは仲睦まじい2人だったナイアッドとファデリカ。
誰よりも近かった心の距離は、今はもう遠すぎる上に交わる事もないとトリトンは目を閉じた。
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