あなたが1から始める2度目の恋

cyaru

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第06話  ポジティブ・シンキング

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3家が1家VS2家の形で争い始めると、他家の貴族達はその様相を面白おかしく噂し始めた。

「とんでもない噂が出回っているわ」

憤慨したエスラト男爵夫人が帰宅をするなり、被っていた帽子をぐしゃりと握りしめた。広がったツバの部分にあしらわれている飾りが外れて足元に落ちた。

「どうしたんだい?可愛い顔が台無しだよ」
「貴方はもう!!本当に暢気なんだからっ!」

貴族は話題に飢えている。それが嘘か本当かは関係なく面白ければそれでいい。
争う3家の中でエスラト男爵家に対しての根も葉もない噂話を広めているのは2家のどちらかか、どちらともか。

エスラト男爵家に使用人がいないのは、娘が薬草で酩酊させた男を引き入れて毎夜遊んでいるのを知られたくないから。

婚約が無くなったのは他に思う男性が出来てチャールズが邪魔になり、ついでにビヴァリーの美貌に嫉妬して嵌めてやろうとシェイナが計画したものだ。

どれもこれも全く事実ではないのだが、面白おかしく貴族たちは更に勝手な肉付けをして広めていく。

同時に位置としては平民にも近い男爵家。
商売にも影響が出始め、平民の経営する小さな薬草店や薬問屋の発注が減り始めてしまった。

「エスラト家の薬草は効能がない。だって娘の男遊びや悪巧みも止められないんだから。なんて言われたのよ?そんなことに効くような薬草があったら全世界のどこの家庭もは起こしやしないわ」

「まぁまぁ。そう憤るな。言いたい奴には言わせておけばいい」

「そんな悠長なことを!売り上げも来月は半減、いえそれ以下よ。どうするの。工房で働く者への給料だってこのままじゃ半年分しかないわ。領地から薬草を輸送してくれる商会も来月以降は見合わせるとも言ってるのよ?」

憤って噂が消えるわけでもない。放置をしている訳でもないが否定をすればするほど噂は悪意を帯びて広がっていく。エスラト男爵も頭を抱えた。

妻の言うように段々と悪い方に転がっていて、先々代、先代からの信用の積み重ねで取引をしてくれていた商会も自分と同じように代替わりをしていて、恩や義理で商売をする時代でもなくなっている。

発注量を減らすだけで何とか取引はしてくれているがそれも何時まで持つ事か。

「いっそのこと、この国の爵位を陛下に返上して他国で商売をした方がいいかなと考えてるんだ」
「あなた‥‥」
「判ってるよ。そんな簡単な事じゃないって事くらい。だが一旦縁が切れれば再度の取引をしようにも他の卸先を確保してしまっているだろうし、元の割合に戻してくれと言ってもきついだろうなぁ。新規開拓も元々が中小零細の商会が我が家の顧客だったんだ…開拓しようにも相手がいない」


昔馴染み、幼い時から共に成長してきて竹馬の友とも言えるガネル男爵の頼みを「情」で受け入れてしまった事に今更悔やんでもどうにもならないが、責任を痛感する夫のエスラト男爵の隣に夫人はドカリと腰を下ろし、その背を撫でた。

シェイナの母であるエスラト男爵夫人は出自が鍛冶屋。平民の娘だった。
鍛冶屋の工房は職人たちの火傷などが後を絶たない。かと言って仕事をしないわけにもいかず治療をする為の薬を安く売ってくれるところを探していた時に、エスラト男爵と出会った。

時代は変革の時期。
昔ながらに剣を打ち、刃こぼれした剣を打ち直ししていた実家はシェイナが生まれた頃に廃業した。騎士達も数年のうちに「兵士」と名を変えて剣と盾ではなく銃剣を手にする。

それまでの時代が長く、鍛冶屋をしている家はそれなりに数が合ったものだが今では一般家庭で使う包丁や鍋、農作業で使うすきくわの製造にシフトし数が減った。

顧客のすそ野は広がったけれど単価が安くなり商売として成り立たなくなったからである。

剣が3本売れれば家族が1年食うに困らず、10本のうち直しをすれば5人の職人が雇える。そんな時代はもう終わったのだ。どの家庭も日替わりで包丁を変えて料理をする訳でもなく、毎日鍋を買ってくれるわけでもないのだから。

他国に行くのは、エスラト男爵領で栽培される薬草や医療用の植物の卸先も数が少なくなっていて「エスラト男爵領産」というだけで敬遠されている現状がある。


エスラト男爵も判っている。領地で栽培されるそれらの供給が止まればこの国の薬品作りは停滞する。3代続けて品質改良を行ってきて、そのシェアは今や3割を占めている。

領地を返上する際は「原状回復」せねばならないので、育っている薬草などは全て引き抜き、焼却。一切が残らないので、エスラト男爵領産の分が無くなれば需要と供給のバランスは崩れ、薬草類の価格が高騰する。そのトバッチリを食らうのは末端にいる国民。

育てている植物の中にはエスラト男爵領でしか採れない胸の病に効果があるトリカブト、痛み止めにとセイヨウナツユキソウやセイヨウシロヤナギ。そして…モルヒネの原料となるケシがある。

それらは他の領地では全く根が張らず枯れてしまった。鉢植えですら枯れてしまい唯一育っているのがエスラト男爵領。

先々代、エスラト男爵という爵位を賜り領地も賜った初代が生涯を掛けて土作りをした産物だった。

この日を予見もしていたのか「もしもの時は」と原状回復をせねばならなくなった時の為に、当時の土は小高い丘にも見える高さに積まれていて、そこには雑草と呼ばれる草ですら1本も生えていない、種が飛んでも腐るだけで全く根付かない禿山となっている。

その土を10年以上の歳月をかけて全て剥ぎ取り、新しく土を入れたのが初代。
土を混ぜれば嵩増しも出来ると試したそうだが、混ぜてしまった土に植物は根付かなかった。つまり、栽培している植物を焼き、丘になった土をその上に被せてしまえば領地を賜った時と同じく不毛の地になるという事だ。


「良いんじゃない?」

夫の覚悟を知った夫人は、怒りもすっかりおさまり憑き物が落ちたようにスッキリした顔。

「新天地でくわでも振るって土作りから始めるのも面白そうだわ」
「すまないな。私が力不足なあまりに」
「いいんじゃない?悪友とも完全に縁が切れるし。さぁって…ど・こ・の・国に・し・よ・う・カナァ♡」


ガネル男爵に金を融資する事にした時、夫人は反対をしたが昔ながらの縁の重要さも知っている。ガネル男爵が「重要な縁」に当て嵌まるかと言えば首を傾げたが、それでも夫の友人である事は間違いなく、いざとなれば「金だけ諦めればいい。稼げば何とかなる」と割り切った。

それが融資した金を慰謝料代わりに受け取れ!と、したところで事が済まなくなった。

それでも、悲観している時間があれば前を向いた方がいい。
ポジティブ・シンキングな妻を見てエスラト男爵も気持ちを気分になり元気が出たのだった。
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