伯爵様の恋はウール100%

cyaru

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第27話   汚嬢様に置き土産を

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目が覚めたスナーチェは侍女が洗面をしに来ない事に呼び鈴を鳴らし続けた。

リンリン!リリリリン!!
寝台の枕元に天井から垂れ下がる紐を何度引いても誰もやってこない。
思い切り強く引くと「ブチッ」と切れて、呼び鈴も一緒に落ちてきてスナーチェの頭に当たった。

「イーッ痛いッ!誰かっ!誰かいないの!マリシャス!マリシャス!!」

しかし、いつもなら飛んでくるマリシャスも来ない。
廊下から人の気配はするのに扉を開ける者がいないのだ。

貴族の令嬢は1人で起き上がって洗面などを済ませたりしない。
寝台の上でメイドに顔を温かいタオルで拭いてもらい、寝台から出れば着替えもさせてもらう。ずっと昔はスカッドやスペリアーズと大きな寝台でも余裕をもって3人が寝られたので、朝は大忙しのメイド達だった。

「今日はマリシャスもカディの所に連れて行って歌劇を語ろうと思ってたのに!」

その後も「誰かいないの!聞こえないの!」声を張り上げるが誰も部屋に入って来なかった。



★~★

その日から10日目。
ゼスト公爵家でスカッドがヘリンの頬を張った日。

スナーチェは荒れ放題になった部屋にある寝台の上から動けなかった。

誰も部屋に来なかったのではなく、部屋は外鍵で施錠されていて外に出られなかった。
見た目が可愛いのと転落防止にスナーチェの部屋はバルコニーはあっても外には出られない。窓には可愛い彫り物を施した格子が付いていて上下に風を入れる程度にしか開かない。

メイドや侍女が呼び出しを待つコネクティングルームには入れるが、そこから廊下に出る事は出来ない。こちらも外鍵で施錠されていたからである。

施錠され閉じ込められた事にスナーチェは手当たり次第に物を投げつけて部屋の中は嵐が吹き抜けて行った状態に散乱を極めていた。

扉の下に申し訳ない程度に付いた小窓は猫が通るためのものではなく、反省をする子女に食事を供給するもの。最初の3日は怒りからその食事も床や壁に投げつけたが空腹には耐えられずスナーチェはパンを拾って食べて、投げた品に水滴となった水を舐めた。

4日目からは食事を投げつけたりはせずに寝台までトレーごと持って来て食べた。
清潔だったシーツは食事のシミやパンくずが落ちて、寝汗と混じって酷い香りが漂う。

割れたガラスから風は入って来るが不快な香りを部屋の中に満遍なく広げるだけ。

「なんで私が閉じ込められなきゃいけないの?!なんでよ」

状況が判らない。今日こそは部屋から出して貰うと激しく扉を叩いた手が痛い。
説明を求めようにも扉は開かなかった。





2週間経っただろうか。もう日が昇った数を数えるのも面倒になったスナーチェ。
寝台の周りに散乱するトレーの数を19まで数えてやめた。

ガチャリ。扉が開く音に顔を向ける。

「やっと出られる!」気の焦りは足をもつれさせ、寝台から転げ落ちたスナーチェは物を投げつけて散乱し、割れた花瓶の破片がキラキラと光る床に滑り落ちてしまった。

幸いに手のひらに赤い筋を何本かで済んだが、聞こえてきた声にビクリと体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。

「まるで汚嬢おじょう様ね。ざまぁないわ」

転んだスナーチェを見下ろしていたのはマリシャス。
いつものメイド服ではなく、仕事が終わった後に帰宅する際に着替える私服でマリシャスはスナーチェを見下ろしていた。

「マリシャス・・・どういうこと?」
「どういう?さぁどうかしらね。いつも他人様に忠告して差し上げているのに自分の事は判らないなんて滑稽だわ」
「だ、だって朝起きたら誰も来ないのよ?呼んでも‥貴女も来なかったじゃない」

マリシャスのつま先が割れて取っ手しか残さないカップの残骸を蹴り飛ばした。
コッコと然程に飛ばす取っ手が転がって行く。

「なんで来なかったか、それを察するのもサバサバ物事を片付けていく貴女の専売特許だったじゃない。あら?言われないと気が付かないの?私はここまで貴女を思ってヒントをあげてるのに」

「言われないと判らない事だってあるでしょう?!」

「あらそう?いつもいつもボーン子爵令嬢にガタガタ抜かしているから、過去の言動も踏まえてだと思っていたけど、その場その場だったのね…ま、解ってはいたけど。いいわ。私はもう十分だから今日はサヨナラを言いに来たの」

「サヨナラって…マリシャスは私の側にいたいって言ってたでしょ?!」

「えぇ。汚嬢おじょう様に仕えて来たけれど。ふふっ。この先までお付き合いは出来ないわ。私だって襤褸を着て社交場に出なきゃいけない汚臭様おくさまの供はしたくないもの」

「マリシャス・・・意味が解らないわ。何も判らないの。どうしてそんな事を貴女が言うのか。カディの所に貴女も連れて行って歌劇の話をしようと思ってたのよ?なのに…部屋からは出られない。突然そんな意味不明な事を言われても判らないわよ!!」

「なら教えてあげる」

マリシャスは床に転がるスナーチェの元に歩み寄ってくると転んだままのスナーチェの手を踏みつけた。赤い筋を作るだけで済んだ手のひらに花瓶の破片が食い込んでスナーチェは顔を歪めた。


「アンタは私の大事なお嬢様を傷つけたの。大勢の令嬢の前で罵倒し気弱なお嬢様が泣いても汚い言葉を浴びせ続けた。ドレスが野暮ったいですって?そりゃそうよ。僅かな小遣いも手慰みの刺繡をしたハンカチを売ったお金も食べる物もない子供たちにパンを買ってたんだもの。お嬢様は王妃殿下からもノブレスオブリージュの表彰もされてたの。知らなかったでしょ?知ろうともしなかったものね?」

「な、なんのこと?覚えがないわ」

「覚えてないのはここにきてすぐ判ったわ。だってアンタが口にする罵詈雑言はその場の思い付きばかりだったもの。お嬢様はアンタの玩具じゃないの。茶会に来いですって?気を病んだお嬢様を屋敷にまで乗り込んで更に罵倒。ビルボ侯爵家に立て付けば領民は住処を失う。お嬢様はもう修道院にしか逃げ場がなかった。そうしないとまたアンタの呼び出しに応じなきゃいけなかったからよ」

「判った・・・その子に謝るわ。だから足をどけて。手が痛いのよ」

「だから何?お嬢様の綺麗だった腕には自死しようとした傷が一生残るってのに。アンタはそこまでお嬢様を追い込んでおきながら存在すら忘れてた。でも安心して?誰も貴女の存在を忘れないようにってずっとお手伝いしてあげてたでしょう?人って善行は忘れちゃうけど逆はずっと根に持ってるから」


スナーチェはハッとした。
マリシャスとの会話は楽しかったがほとんど、いや全てが誰かの悪事を伝えるもの。
それを基に茶会に招いた令嬢達に「指導」と「注意」を繰り返してきた。
最近では侍女頭の娘の事。そこはまだ何もするに至っていないが・・・。

「自分の味方が誰もいないってサバサバしてるアンタなら大丈夫。襤褸を着て社交場に出てもアンタなら野暮ったくない着こなしが出来るわ。散々有難い指導をしてきたアンタだもの図太く生き残って痴態を晒して?あははっ」

喉をクックと鳴らし笑い始め、終いには声をあげて笑うマリシャス。
しかしスナーチェはマリシャスが手に乗せている足の足首を掴んで言い返した。

「ハッ!とんだ阿婆擦れを掴まされてたって訳ね。でもお生憎様。誕生日が来れば私は屈指の大富豪ムウトン伯爵家に嫁ぐのよ?ムウトン伯爵家が嫁いできた私に襤褸を着せるわけがないわ。残念だったわね」


スナーチェの声にマリシャスは「ぷっ」と吹き出した。

「ホント残念。どこまでも残念。そのムウトン伯爵家。とっくに婚約は解消になってるのに。お花畑って素敵だわ。理解出来ない世界だから見る事が出来ないのがホント・・・ざぁんねん♡」


マリシャスはスナーチェに掴まれた足首を振り上げてその手を切ると、背を向けて扉に向かって歩いた。

「バラ色の人生ってよく聞くけど、アンタの花畑色の人生。謳歌して?あはっ」

マリシャスが部屋から出て扉が閉じるとカチャリと施錠の音がする。
婚約が解消されていたと聞かされたスナーチェも馬鹿ではない。

部屋に閉じ込められこの現状が父のビルボ侯爵の怒りをかった事と直ぐに結びついた。
扉の奥から廊下にスナーチェの叫び声が漏れ聞こえるが使用人達はそれどころではなかった。


「またか?!」
「はいっ。どちらのお部屋で待って頂きましょうか?」
「旦那様はまだ2人目のお客様をお相手されているし…」


ムウトン伯爵家との婚約解消はその日のうちに貴族の間には広まる。
婚約発表のお披露目をしていなくても2年間婚約をしていれば両家の婚約は万人の知るところ。

翌日からひっきりなしにビルボ侯爵家には多くの家から「抗議文」と「面会の先触れ」が届いた。貴族は体面も気にするが感情に任せて動く危険性も知っている。

娘がスナーチェから嫌がらせを受けていてもビルボ侯爵家に苦情を申し入れる事でビルボ侯爵家と姻戚関係になるであろうムウトン伯爵家との取引に支障が出る事は避けたかった。
今は良くてもスナーチェが嫁げば女主人となるのは確実だったし、嫁いでくれた妻に逃げられないようにとムウトン伯爵家も苦情を申し入れた家には報復すると考えていたからである。

が、ムウトン伯爵家との縁が切れたのなら遠慮はいらない。
ビルボ侯爵家と取引をしなくてもムウトン伯爵家との取引が残れば生きていける。

慌ただしくやって来る客の対応に追われるビルボ侯爵家の使用人達を横目にマリシャスは風を切るように颯爽と玄関から出て太陽を仰いだ。

スナーチェに気にいられると言う事は使用人達には嫌われると言う事。
たとえ、使用人達から賄にネズミの死骸を混ぜ込まれてもマリシャスは信念を貫いた。

「お嬢様は心を鬼にして言い難い事を言っているだけなんです」
馬鹿な侯爵は娘の事をたった一人褒めるマリシャスの言葉を鵜吞みにした。
結局のところ、良い話はない娘だから、聞こえの良い言葉に他を見なかっただけだ。

本当は公爵子息との陳腐な結婚式まで拝んでやろうと思ったが、やめた。
人は「上」に堕ちる事は無く一方通行なのだから。



予定よりも早い出立だが、悔いはない。

――これでやっとお嬢様の元に逝ける――

スナーチェに「生き地獄」を置き土産にしたマリシャスは真の主が待つ修道院に向けて旅立った。
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