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序 章☆騙された令嬢(3話)

嵌められた男爵家

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ランス男爵が伯爵家を後にして30分ほど経った時、幼子が1人サロンに入ってきた。
続いて女性が入ってくる。

子供は男の子で迷うことなくライアル伯爵の元に真っ直ぐ走って行った。

「おじいちゃま、お話終わったの?」


インシュアは目と耳を疑った。何故この男の子が伯爵の事を「おじいちゃま」と呼んでいるのか理解が出来なかったのだ。

伯爵家はベンジャーしか子供が居ない。
それはベンジャーは余りにも美丈夫ゆえに誰もが知っている共通事項だ。
だが、【父】ではなく【祖父】と呼んでいるのは何故なのか?


今日の昼に貴族院で婚姻の届けも出してきて結婚式は挙げてなくても夜は初夜である。
初夜も済んでおらず、時間で言えば1日も経っていないのだ。

困惑するインシュアに、まるで親兄弟姉妹を紹介するかのようにベンジャーは女性をソファの隣に座らせると男の子を膝の上に抱いた。

「紹介しよう。僕の最愛、メイサだ。この子は僕の息子でヨハン、3歳になる」

「お、お待ちください…どういう事なのです?」

「どういうも何も。僕の最愛の女性と子供を紹介しただけだ」

「あの…待ってくださいませ…その…あの言葉やカードは…」

「あぁアレ?そうしないと君は結婚してくれないだろう?」

「では…わたくしは…」

「愛してもらえるとでも思った?僕の愛はメイサだけのものなのに」

「そんな‥‥ではこの結婚は無効ですわ。その方と結婚すれば良いではありませんか。昨日の今日になりますが離縁をしてくださいませ!わたくしは傷がつこうと問題御座いません」

「バカなことを言っちゃいけないよ」

そう言ったのはベンジャーの父、ライアル伯爵だった。
容赦なくベンジャーが言葉の刃をインシュアに投げつける。

「メイサとはもう10年以上の恋人なんだ。こうやって子供もいる。でもメイサは平民でね。君も弟がいるから判るだろう?貴族であるための結婚って事だ」


国の定めた法律は嫡男と言えど貴族は貴族籍を持つ者と結婚をした場合しか爵位の譲渡が認められない。平民のメイサと結婚すればベンジャーは貴族籍を失い、ライアル伯爵家はあと取りを失う。一人息子だったベンジャーに後を継がせるためにランス男爵家を利用する事にしたのだった。

だが離縁をするとまたベンジャーは貴族の女性を探さねばならない上に、ヨハンに家督を譲るための養子縁組は子供が20歳以下の場合は認められず、ベンジャーは3歳の息子が20歳になるまで離縁はしないと言う。

「では17年もわたくしにお飾りの妻をしろと言うのですか?!」

「たった17年じゃないか。君の弟が18だったか?それよりも短い期間だ」

「そんな‥‥離縁、離縁をしてください!」

「お断りだね。いいじゃないか。何もせずに君は17年も伯爵夫人でいられるんだ。貧乏な男爵家ではあり得なかっただろう?子供も生む必要なんか一切ない。買い物なんかも【自分の金】ならいくらしてくれたって構わない」



なんと人を馬鹿にした話だろうか。インシュアが【帰ります】と告げ立ち上がろうとすると後ろにいた使用人がインシュアの肩を押して再度ソファに座らせた。



「君の弟…マルクス君と言ったかな。学院も優秀な成績で卒業だそうだね?」

「おっ!弟は関係ないでしょう!!」

「文官になりたいんだってね。婚約者選びもこれからだろう?君が何もしなければマルクス君も順風満帆に過ごせると思うんだが?」

「弟に何かしたら絶対に許さないわ!」

「あら、何もしないわよ?私達はお茶会でちょっとお喋りをするだけだもの」



口元を扇で隠しているが、ライアル伯爵夫人の目は半月型を描いている。
在りもしない噂を流し、弟の評判を地に落としてそれをなんとか手助けしようと奮闘するライアル伯爵家という図式が出来上がっているのだ。

そうする事で姉の嫁ぎ先であるライアル伯爵家は同情票を集める。
嘘だとしても一旦地に落ちた評判はなかなか元には戻らない。弟だけでなく実家のランス男爵家も折角収支が少ないながらもプラスになったと言うのにまたマイナスに転がり落ちるだろう。


インシュアは手のひらに爪が食い込むほど手を握りしめた。


「たった17年、伯爵夫人として過ごせばいいだけだ。ヨハンが養子縁組出来れば離縁をしてあげるよ。そうなれば君に居てもらう理由がない。むしろ穀潰しに成り下がるだろうしね」

「誰かに言おうとしても無駄よ。喋った時点で弟さん…判るわね?」

「我々も無駄に金を使いたくはないんだ。特に命を消すのは一瞬だが葛藤もしてしまうんだよ。最近多いだろう?破落戸に身ぐるみ剥がされて…あぁギッチェ子爵の息子はどこに行ったのかな」

「まぁ怖いわねぇ。物騒な世の中ですわ。オホホホ」

「だが騎士団も警護団も牢番すら小遣いを欲しがる世の中も困ったものだ。ワハハ」

「世の中金次第とはよく言ったものですわ。保釈金を払えばいつもの生活は出来ますし、積み方次第でなかった事にもなるご時世ですものね」



ライアル伯爵家にインシュアの味方など誰一人いない。

一刻も早く嫁いでほしいと言ったのは、養子縁組が出来るのは妻帯者のみ。
養子縁組をするうえで、経済的に問題がないのは言うまでもないが必須条件に婚姻生活が10年以上あり、なおかつ子が出来なかった、病気などで若くして死亡した場合のみとあるのだ。

そして家督を譲るための養子縁組は成人したものでなければならない。
何もわからない、言い含めやすい子供の言葉は自主的な意思なのか強制されたものか判らないからだ。ヨハンが成人するまでにはあと17年。次期当主とする為にはもう3年が必要。


いくらベンジャーが金があり、美丈夫だと言っても誰しも平等に年を取る。
女性には20歳くらいまでという妙な適齢期があるが男性も26、27歳を過ぎると今度は女性との年齢差が生まれ敬遠をされてしまうのだ。

ヨハンの各種年齢を基軸に置けばあと数年の余裕があったが、現在26歳のベンジャーを加えればここ1、2年がリミットだったのだろう。

それに3歳のヨハンを屋敷の敷地内に閉じ込めておくのも限界を感じていたのかも知れない。
【妻の領地から数日遊びに来ている子】だと言えば誰も疑わない。
詳細に調べれば何の関係もない子だと判るだろうが、そんな手間を掛けても誰も得をしない。

むしろ、あの流行病で両親を亡くし、高齢の親戚筋に育てられているのをインシュアが不憫に思ってせめて学園に通わせたいと言った願いをベンジャーが叶えてあげたと美談にされかねない。


平民との間に子をもうけているとなればベンジャーは貴族籍を抹消される。
誰かにこの事を打ち明ける事さえできれば、被害者の立場としてすぐさま離縁は出来るだろう。

しかし、そうすれば弟や父に何をされるか判らない。

弟の噂を流す前に逮捕をされる可能性はある。だがライアル伯爵家はそれなりの資産家なのだ。
金にものを言わせて弟や父の命も闇の者に消させる事も出来るのだ。

騎士団は判らないが警護団は貴族ではなく基本が一般の平民で構成されている言ってみれば街の護衛だ。金に困っている者は幾らでもいるだろう。
彼らは捕まった所で金を握らせればどうにでもなるとインシュアに言っているのだ。


「わかり…ました」

「物わかりが良くて助かるよ。早速だが荷物を運ばせよう」


荷馬車の荷を解かなかった理由もここにあったのだ。
インシュアが持ってきた荷物はこのライアル伯爵家の本宅に運ばれるのではなく、敷地内にある離れに放り込まれるのだ。それは荷物だけではなくインシュア自身も。


「飢えられては困るから1日2食。食事だけは出してやろう」

「・・・・」

「いやね。男爵家ともなると礼も言えないのかしら。躾がなってないわね」

「ありがとう‥‥ございます」


通常時は伯爵家の侍女としての立場となるメイサ。伯爵家に住み込みとすれば一緒にいる事もベンジャーの世話をする事も疑う者など誰もいない。
品行方正で女の影がないのではなく、女が屋敷の中に既にいただけだ。
親の執務を手伝っていたのではなく、公に出来ない愛を屋敷で育んでいただけだった。


ちらりと使用人を見れば、おそらくは歯向かえば「紹介状」が出ないのだろう。
紹介状が無ければまともな職に就く事はかなわない。例え前職が家令であってもだ。
そして彼らもまた低位貴族の出身者ばかり。同じように脅されているのだろうと、こうなってみれば容易に想像がつく。


まるで抓み出されるかのように離れに押し込まれたインシュア。

何故かついてきたメイサが去り際に捨てセリフをプレゼントしてくれた。

「せいぜい頑張ってね?17年限りの伯爵夫人♪」


それから半年の間、食事が運びこまれてくるか、どうしても断れない夜会へのお誘い以外は離れの玄関ドアが開く事はなかった。

時折父に出す手紙も検閲をされてしまうため、滅多なことは書けない。
救いだったのは、この離れは書庫代わりにされていたと見えて本や書類を読む事で【時間が潰せる】上に、その本は【専門書】が多かった事だ。

インシュアは半年、本を読みふけった。


離れにインシュアを押し込んだ事はライアル伯爵家の大きな誤算となりインシュアにとって最大の武器であり防具となった。

知識という何よりも鋭い剣と強固な鎧をインシュアが手に入れたからだ。
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