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VOL:4 息をするように嘘を吐く

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その夜、帰宅したセルジオはいつものように「残業で湯殿を貸してもらった」と良い香りをさせていた。

いつもとなんら変わる事無く、玄関から入って来るセルジオ。

リシェルはセルジオが本当の事を言ってくれるか問うてみようと思った。同じくヨハネスから受け取っている総額600万近くの金。これについても使途を問い正したかった。

両親の面倒をみるのならみるで、ちゃんと話をして欲しかったし、そんな話になっているのなら現実としてリシェルの給金からセルジオの両親の生活費を捻出している状態も変えねばならなかった。

何より不貞をしているのであれば、夫婦関係はもう破綻しているも同然。
外に女性がいるのなら、セルジオにとってリシェルは両親の面倒をみる家政婦でしかない。セルジオとリシェルはヨハネスが考えた通り両親がいる手前、同居を始めてからは褥を共にした事はないからだ。


「お帰りなさい。今日もこんな時間まで‥大変なのね」
「ん?あぁそうだな。もう1時か。飯は要らない。夜食が出たんだ」
「そうなのね。ところでね、セルジオ話があるの」
「また父さんや母さんのことなら止めてくれよ。疲れているのに余計に疲れる」
「そんな…でも貴方の両親なのよ?何よりお義兄様のヨハネス様には話をしてくれたの?」
「してるって。返事が来ないのを俺のせいにしないでくれよ」
「貴方のせいになんかしてないわ。でももう2カ月になるのよ?遅すぎない?」
「兄上だって忙しいんだよ。皆がリシェの都合に合わせて動いてくれる訳じゃないんだ」
「そんないい方しなくても‥。私の都合に合わせてくれと言ってるんじゃないわ」


この日もいつもと同じように一方的に話を打ち切り、寝室の扉のドアノブにセルジオは手を掛けた。
リシェルはそんなセルジオを追って寝室に入った。

リシェルはセルジオに「疲れているのに申し訳ないけれど」と断りを入れた。
上着を椅子の背に投げるように掛け、袖のボタンを外すセルジオの背にリシェルは意を決し声を掛けた。


「セルジオ。本当のことを言って。私に隠している事はない?」


袖のボタンを外すセルジオの動きが止まった。
リシェルは息を飲んだ。

セルジオの影がランプに揺れ、振り向きもせずにセルジオは答えを返した。


「隠し事?ないよ。俺が今までリシェに隠し事をしたり嘘を吐いた事があったか?」
「誤魔化さないで。お義兄様からお金を受け取ってるんじゃないの?」
「金?何の事だ。そんな金があるならちゃんとリシェに渡しているよ」


そこまで言うとセルジオは振り向いて少し首を傾げてリシェルに愛を告げた。


「愛してるのは今も、昔もリシェだけだ。もしそんな金があるならリシェに黙っているはずが無いだろう?それとも俺が他の女に貢いでいるとでも?アハハ…冗談にも程度があるよ。あり得ない。絶対に」


近づいてくるセルジオから甘い香りが強くなる。
そしてリシェルは気が付いてしまった。

シャツのボタンが外れて襟で隠れる場所。
セルジオの首筋に吸い付く事で散る花びらが日を置いて消えそうなものまで幾つも見える。疎いリシェルでもそれが何を意味するのは言葉にせずとも理解できる。

そんな男が囁く愛の言葉に何の意味があるだろうか。

リシェルの心はサーっと冷えていく。
不思議と涙は出なかった。

怒りよりも先に感じたのは「呆れ」で、セルジオに対してもだが、今まで体を重ねる事もご無沙汰だとしても気が付かなかった自身への「呆れ」を強く感じた。


まじまじとセルジオの顔を見てリシェルは思った。

――息をするように嘘を吐ける人だったんだ――


本気で愛していた事も、セルジオの為なら仕方ないと思っていた気持ちも何もかもがリシェルの中で砂のように崩れていく。

形が無くなればもう存在しないに等しい。
あっさりとリシェルは気持ちの切り替わりを感じた。


「変な事、聞いちゃってごめんなさい。疲れてるのよね。先に寝てて。あと少し繕い物が残っているの」


こんな時でもセルジオに向かって笑える自身にリシェルが一番驚きを感じつつも、笑顔で声を掛けてリシェルは寝室を出て行った。


空が白み始めるまでリシェルは何も考えず、ただ椅子に腰を下ろした。一番鳥の声に焦点がやっと合った気がしてリシェルはいつものように義両親とセルジオの朝食を準備した。

そっと寝室に入り、チェストの引き出しから結婚祝いにと兄に買ってもらったショールを取り出す。セルジオは静かな寝息を立てていた。

――いつもなら――

セルジオの寝顔を見て、いつもなら「悪かった」とやって来るのに来なかったセルジオ。
いや、やって来たとしてももうリシェルには許すとか許さないとかそういう次元の感情も無かった。

一度閉めた引き出しを再度開けて、リシェルは下着などを取り出した。
惨めなほどに荷物が少ない事に寝室を出て「ふふっ」と笑いが零れた。

小さなトランクに衣類を押し込み留め具を掛ける。
大事なものは留守の間に義両親に何かされてはたまらないとミケネ侯爵家の鍵付き収納箱に預けているし、見回してもリシェルの物は見当たらない。

「さ、行こうかな」


リシェルはトランク1つを手にして家を出た。

玄関に鍵をいつものように施錠した後、格子の付いた引き戸を小さく開けて部屋の中に鍵を落とした。

カチャン。

小さな音が玄関に響くが寝ている家人は誰もその音に気が付かなかった。
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