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VOL:10 リシェルがいない

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いつも通り午後になってからは持ち込まれる仕事を仕分けし内容を見て後輩に回したり、下調べが必要なものについては該当箇所に付箋を付け、手空きになった後輩を連れて資料室に向かう。合間を縫うように幾つかの書類を作り終えたセルジオは終業時間となり、さて帰ろうと荷物を手に取った。後輩への声掛けも忘れない。

「ちゃんとやっておけよ」
「あの、先輩。これは翻訳も必要なんですけど見て貰えますか?」
「そう言う事は時間内に言ってくれないと残業になるだろう?お前達と違って俺は分刻みで動いてるんだ。翻訳なら明日の事だ。お前も時間配分をしながら仕事はしろよ」


セルジオは残業をした事がない。かと言って手を抜いた仕事をするわけでもない。納期には遅れた事はないし後輩の面倒見もよい。一部には「要領が良い」と揶揄されてもいるがとりわけ褒めるような功績は無くとも失敗もない。公僕たる王宮職員の見本とも呼ばれている。

セルジオの仕事に対する考え方は「程々に」である。
功績をあげたり、大きな失敗をすればどうしても目立ってしまう。不要な波風を立てるに等しくセルジオはそれを望んでいない。良くも悪くも目立ってしまえばアフターを楽しめないから、敢えて目立たず、回ってきた仕事は片付ける。


手をひらひらとさせて庶務課を出たセルジオは街中にあるケーキショップに立ち寄った。


「君、最近入った子?」
「はい、先週からなんです。御贔屓に」
「贔屓にしてあげてもいいけど…ここ、何時まで?」
「今日は閉店までなんです。で、お客様、どのケーキに致します?」
「そうだな。この後休憩時間ないの?」
「えっ?休憩時間ですか…さっき取ったばかりなので…すみません」
「君が食べたいってのを幾つか見繕ってよ」
「あ、ではこのブルーベリーのタルトとアップルパイが焼き立てなんです。全部1つづつで宜しいですか?」


少し垂れ目な若い店員の女の子をショーケース越しに品定めをしながらセルジオはリシェルにとケーキを購入していると、後ろからセルジオを呼ぶ声が聞こえた。


「あら?今日はケーキ?甘いものは苦手って言ってなかった?」
「俺が食う訳じゃないから甘かろうと何だって関係ないだろう」
「ふーん。え?ちょっと待ってよ。私ブルーベリーは苦手よ。それ要らないわ」


声を掛けてきたのはジャニス。店員はジャニスに言われブルーベリーのタルトはキャンセルかと問うてきた。


「キャンセル?君が選んだんだから買うよ」
「はぁぁ?何を無視してんのよ?今日は機嫌が悪いのね。ま、いいわ。いつもの所で待ってるわ」
「今日はパスだ。お前に構ってる時間はねぇんだよ」


ジャニスはいつもと違うセルジオの物言いにキッと睨みつけながら店の入り口まで移動した。セルジオはそんなジャニスの事など視界の端にも入れずに会計を済ませるとラッピングされた箱に入ったケーキを受け取った。

入り口まで歩くと待ち構えていたジャニスが箱に手を伸ばしてきた。

「お前のじゃない。触るな」
「酷い言い方~。ね?今日ちょっと時間いいでしょ?」
「急いでるんだよ。また今度にしてくれ」
「今度じゃダメなの。ね?時間限定なのよぅ~。タイムセールなんだからさぁ」
「他の男に頼めよ。俺は今日忙しいんだ」
「そんな冷たいこと言って良いんだぁ?奥さんに言っちゃおうかなぁ」


セルジオはジャニス言葉にあの日の言葉を思い出した。
2人の関係、いやジャニスと体の関係を持つ男は皆同じ事を考える。
「後腐れ無い関係」それがルールだったはず。

だからセルジオとジャニスの関係は10年以上続いている。
そこに恋愛感情なんていうものが無く、お互いの見た目がそれなりによく体の相性もいい。お互いの良い所だけを切り取っての付き合いなので悩む必要もなく快適。

セルジオにとってもジャニスにとってもお互いは「恋人」であり「他人」

勿論、愉しむにあたって宿代に豪華な食事や時に淫靡に見える宝飾品などはアイテムとして買い与える事はあったけれど、「情」が混じるような感情は抜きに付き合っているはずだ。

厳密に言えばセルジオはまだリシェルとの間に子はいないので独身と言えば独身だが、職場でも「妻帯者」の扱いは受けているため、ジャニスとの関係が公になるのは好ましくない。


「そういうのはナシって話だっただろう」
「えぇーっ?でもタイムセール終わっちゃうんだもの。ね?買ってよ~。これで最後だしその後は目一杯サービスするから!」


ジャニスとは昨日今日の付き合いではない。これでタイムセールとやらに付き合ってしまえば結局なし崩しに時間宿に流れ込んでしまうのは目に見えていた。

セルジオはジャニスの手を振り解き、背中にジャニスの罵声を受けながら家路を急いだ。




「あれ?リシェは?まだ帰ってないのか?」


帰宅し、扉を開けると窓も開けていなかったのか父親の加齢臭のツンとした香りと母親が何処かに出掛けたのかふりまくった香水の混じった吐きそうな空気が部屋の中に充満していた。

こんな時間に帰宅をするのは滅多にないセルジオは色んなものがその辺に散らばったままの部屋、食べかけの朝食に蠅が数匹飛びまわっているテーブルを見てジャニスに呼び止められた時よりも気分が悪くなった。

時計を見れば19時。この時間は余程の事がない限りリシェルは帰宅している時間だ。

「何買ってきたの?もう夕食の時間だって言うのにちっとも帰ってきやしない。食べ物?お腹空いちゃったからそれでも食べるわ」

セルジオから取り上げるようにケーキの入った箱を奪ったアメリーは断りもなく開封し、ケーキをむんずと掴むと小さめのカットケーキだったが2口で食べきり、また箱に手を伸ばして次のケーキを貪った。

「リシェの分は残しておいてくれよ」
「また買ってくればいいでしょ。ねぇ、このケーキ。結構イケるわね。どこで買ったの?」


結局母親のアメリーが8個あったケーキを全て食べてしまい、リシェルのケーキは無くなった。

誰も夕食を作ろうとする者はおらず、腹をすかせた父親のゴメスが干し肉などの乾物を漁り出し、水瓶から柄杓で水を汲んで顎から水瓶にボトボトと溢しながら水を飲む。

「汚ねぇな。水瓶の中身を全部入れ替えねぇといけなくなったじゃないか」
「そんなのは嫁にやらせればいいだろう。知った事か」

両親の口の悪さは今に始まった事ではない。
セルジオは舌打ちをして、乱暴に椅子に座り、壁掛け時計を見上げた。
時間はもう21時なのにリシェルは一向に帰宅をしない。

セルジオは心に少しばかりの焦りを感じた。
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