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本編

【都市へ】27.ビターなお味

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「何を話していた」
 チョコレートの入ったカップをテーブルに届けると、早速カウンターで男に絡まれていたことを訊ねてきた。

「オススメメニューを聞いていただけです」
「しつこく口説かれていたんじゃないのか」
「せっかくのチョコレートが冷める」
 ラフィが腹を立てそうな話題から手元のチョコレートに移す。
 不満そうな表情から納得していないようだが、あまり愉快でない話だ、それ以上追及てこない。

 ラフィは、昔からそんな所があった。
 仕事となれば別だが、個人的なこととなると聞いても不愉快になるとわかっているものは、深く追及しない。
 育った環境のせいで自身の心を守ろうとする自衛精神でもあるが、それではいつまでたっても上辺だけのコミニュケーションしか出来なくなる。ときには底まで掻き回し、新鮮な水を入れて流してやらないと、不満や不安が心の内のおりとなって溜まり、いつか上辺の水まで腐らせる。

 ラフィが手元のカップへ視線を落とした。
「……変なにおいだな。本当にチョコレートか?」
 そうっと鼻を近づけ、猫が真新しいものに警戒するみたいににおいを嗅ぐ仕草をしたラフィが、怪訝そうな声を上げた。

「においはカカオです」
「カカオ以外が問題だ」
 濃いカカオの中にスパイシーな香りがする。記憶にあるミルクと砂糖とカカオが溶け合った甘い香りとは程遠い、ビターなにおいのする真っ黒で泥のようにドロッとした温かく得体の知れない飲み物。
 ラフィがティースプーンでかき混ぜると、何やらザラザラしていて、見た目は本物の泥そのもの。

「……飲んでいいものか?」
「口にできないものを、飲み屋で出さないでしよう」
「最近にこれを飲んだ奴は、なんで飲もうと思ったんだ」
「虫も蛇も平気で食べる人が何を言っているのか」
「だって、見た目は肥溜めだぞ」
「肥溜めから野菜は出来ています」
「肥溜めは直接飲まないだろう」
「そのカップに入っているのは肥溜めではなく、この国でのチョコレートなので、においはカカオ」
「だが、見た目は肥溜め……」

 料理を口にする店であるにも憚らず、不衛生な会話を堂々巡りさせ、カップの中を睨んだまま、かき混ぜるばかりでなかなか口をつけなかったラフィが、ようやく恐る恐るカップを傾け、僅かに舐めた。
「苦っ! 辛っ! 不っ味い!!」
 店内中に聞こえる声で言うと、あちこちから忍び笑いと、苦笑が起った。向けられる客たちの視線が「やっぱりな」と物語っているようで、ラフィの反応は正解らしい。

「毒でも入っているのじゃないか」
「なんの目的でだ」
 相当、不味かったのか、嫌なものを遠ざける体でテーブルの上のカップを滑らせる。ピーマン嫌いな幼児が、ピーマンの入った皿を物理的に遠ざけようとする、それだ。

 スススッとテーブルの端っこに寄せられ、顔を背けられ、ラフィに嫌われたチョコレートを貰い、一口啜ってみる。
 濃いカカオの苦味とスパイスと辛さ、ドロッとしているのはトウモロコシの粉だろう、その香りも混ざっている。チョコレートを作り慣れていないのか、スパイスの辛い粒やら、苦くてガリッとしたカカオニブの粒やら、口の中にジャリジャリしたものがだいぶ残る。――趣向品というより、薬だな。
 お世辞にも美味しいとは言えないが、慣れてくると癖になる味だ。

「そんな不味いもの飲むな」
「体には良いそうなので」
「逆だろう。寿命が縮む」
 相当、口に合わなかったようだ。
 スパイスが入っているからか、体の芯からホカホカと温かくなってくる飲み物ではある。が、奢ってくれると言われても、二枚目は遠慮したい。
 味が好みかどうかより、もの珍しさで頼む客目当ての代物だ。

 結局、ラフィが舐める程度しか口にしなかったチョコレートは、俺が全部飲んだようなものだった。一杯だけの注文でよかった。
「口直しにどうぞ」と、料理と酒が運ばれてきた。
 チョコレートとの料理の相性云々ではなく、口直しが必要な味だから、最近に頼んだ方がいいとの助言だったのか。

 苦くて辛いチョコレートとは打って変わって、料理はラフィの口から文句一つ出ずに黙々と食べるほど味が良かった。
 アクアパッツァと違い、シンプルな塩味の海鮮蒸し焼きなのだが、オーブンで蒸し焼きにされた炭の香ばしさが生かされている。程よい火の通り具合で、タラはふっくらとしていて口に入れるとほろほろと解け、貝はだし汁をたっぷり含んでいて噛めば口いっぱいに海の味が広がる。付いてきたレモンを絞って掛け、サッパリといくらでも食べられる。
 海老のクリームソース和えも、オススメされただけあって、海老味噌が濃厚なソース、身はプリプリで、酒が進む味だった。

「飲んだら、暑くなってきた」
 ラフィがフードの兎の毛皮を邪魔くさそうに手で払う。
 食後のデザートにアイスクリームと紅茶を頼む。
 氷菓子は、小鍋にミルクと砂糖を混ぜ、塩を撒いた雪に半分埋めて固まるまで混ぜれば出来る、この国の冬限定定番スイーツだ。寒い中で食べる気にはなれないが、熱くなった体を冷やすには丁度いい。

 アイスクリームを食べ、温かい紅茶で一服し、程よく温まったところで店を出た。
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