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***
覚悟と叫び
しおりを挟む「団長。失礼します」
「……今度はお前か、カイ」
「はい。お話があると伺いまして」
「あぁ。外で騒いでたうるさい奴らのせいでな」
「……すみません」
執務室に入ったカイに、団長は呆れたように笑った。
「お前らが喧嘩なんて今に始まったことじゃねぇけど、お前が本音ぶつけるなんて初めてなんじゃねーか?」
「……あいつがあまりにも馬鹿だったんで」
「俺からしてみりゃお前も十分馬鹿だ。安心しろ」
「……すみません。報告義務を怠りました」
カイは気まずさに口を閉じる。
団長はそんなカイを見て、
「お前の気持ちも考えもわかってる。リシュを守ろうとしたんだろ」
薄く笑いながら資料に目を落とした。
「カイ」
「はい」
「あいつ……リシュから、何か聞いたか」
「何か、とは」
「あいつがここに来る前のことだ」
その口振りから、やはり団長は全てを知っているのだとカイは思う。それが、少し悔しいとも思った。
「……聞いてません。ただ、大切な人をもう失いたくないと。それだけは聞いてます」
「ハッ……お前、信頼されてるんだな」
「え?」
意味がわからなくて聞き返すものの、団長はそれ以上は何も言わず。
「あいつ、あのままじゃ何しでかすかわからないぞ。しっかり見張ってろ」
「わかってます」
「とりあえず寝かしてやれ。お前も休め」
「……はい。あの、団長。俺の処分は」
「あ? リシュと仲良く謹慎だ。黙って寝てろ」
「……了解しました」
頭を下げてから、執務室を出る。
先ほどリシェルと言い合った場所には、もうその姿はなかった。
(……部屋に戻ったか?)
それならば、そのまま寝かせてやるのが得策だろう。
カイも、部屋に戻って少し休むことにした。
……しかし、それが間違いだとはまだ気が付いていなかった。
────
朝の光が差し込む執務室。
団長が書類に目を通していたそのとき、扉が荒々しく開いた。
「団長!」
「どうした、カイ」
「これを見てください!」
カイが一枚の紙を差し出す。
わずかに震える指先。
団長は眉をひそめ、それを受け取った。
"退団願"
整った筆跡に、団長の目が細くなる。
"任務を全うできなかったこと、深くお詫び申し上げます。本件をもって、団を離れます。長い間、お世話になりました。ありがとうございました。──リシュ"
しばし沈黙が訪れ、耐えられなくなったカイの声が低く落ちる。
「起きて部屋に行ってみたら、もう誰もいませんでした。装備も全て置いたまま、身一つで出ていったようです」
団長は紙を握りしめ、額に手を当てた。
「……まさかこんなに早く動くとは」
しばらく黙り込んだのち、静かに命じた。
「カイ。これはまだ俺の手元に預かっておく。だが、あいつは今――危うい」
その声に、カイが顔を上げる。
「はい」
「……あいつは、自分の命を投げ出すような顔をしていた」
団長は深く息を吐き、険しい声で言い放つ。
「急いで探し出せ。何かする前に――必ず、生きて連れ戻してこい」
「了解しました」
カイは振り返りざま、拳を握りしめた。
扉を開け、駆け出していく。
執務室に残された団長は、椅子に腰を下ろし、
握りしめた退団願を机に叩きつけた。
「……まったく、あいつは」
短く、苦い笑みを漏らす。
窓の外では、鳥の囀りが聞こえ始めている。
「……死ぬなよ。リシュ」
朝の光はあまりにも穏やかで。それがかえって、彼の胸を締めつけた。
執務室を飛び出したカイは、馬に乗り必死でリシェルを探していた。向かった場所は、大体わかっている。
(王都に戻ったんだ。あいつ、一体何をする気だ!?)
すでに陽は真上を向いており、焦るカイを無情にも温かく包み込んでいた。
森を抜け、王都まで一直線で向かう。
まだ大丈夫。まだ間に合うはず。そう信じて。
「勝手に行かせてたまるか……!」
低く唸るように呟き、手綱を握る力が強くなる。
あの退団願を見つけた瞬間の、胸を抉るような感覚が蘇る。
"任務を全うできず、申し訳ありません"
それだけを書き残して、姿を消したリシェル。
(どうして俺は! あの後部屋に戻ったんだ! あいつが、リシュが追い詰められてることくらい、わかってたはずなのに!)
いくら後悔しても、今隣にリシェルがいない事実は変わらない。それが、途方も無く苦しくてたまらなかった。
ふと、木々の奥に人影が見えた。
カイは迷わず馬を降り、声を張り上げる。
「リシュ!」
リシェルは反射的に足を止めた。
服の裾が泥に汚れ、肩で息をしていた。
振り返るその瞳には、迷いではなく、確固たる意志が宿っている。
「……来ないでください」
「来ないで、じゃねぇ! お前、どこへ行くつもりだ!」
「分かってます。また命令違反です。でも――行かなきゃいけないんです!」
木々の間に風が吹き抜け、金の髪が揺れた。
その声は震えていたが、目は逸らさなかった。
「……あの人が、黒炎に関わっているなら……それを止められるのは、俺しかいません」
リシェルは唇を噛みしめる。
「放っておけば、また誰かが犠牲になる。だから――もう、見ているだけなんてできない」
カイは言葉を失った。
説得のための言葉が、ひとつも出てこない。
ただ、彼女の決意の重さだけが痛いほど伝わってくる。
「行かせねぇ」
カイの声が低く落ちた。
次の瞬間、彼はリシェルの腕を強く掴んでいた。
「命令違反どころか、これは脱走だぞ。お前が何を背負ってようが、今は戻れ。団長も――」
「団長に迷惑をかけていることならわかってます」
リシェルは掴まれた腕を見つめ、静かに言った。
「心配してくれていることも。……でも、今回はどうしても従えません」
カイの眉がわずかに動く。
「お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
「分かってます」
その声は、弱さよりも覚悟で満ちていた。
「俺はもう、誰かに助けてもらわないと生きていけないリシュでいたくない。――あの夜、何もできなかった自分のままじゃいられないんです」
リシェルは腕を振りほどいた。
その手のひらが震えているのを、カイは見逃さなかった。
「……リシュ、行くな。帰ってこい。今ならまだ間に合う」
切実な言葉に、リシェルは首を横に振る。
「すみません。もう戻れません。……もう、これ以上皆さんにご迷惑はかけられません」
「誰もお前のことを迷惑だなんて思ってない。知ってるだろう」
「はい。だからこれは俺のわがままです。すみません。見逃してください」
リシェルは小さく微笑んだ。
「俺が行かないと、また誰かが犠牲になってしまう。もう、そんなの嫌なんです」
風が吹いた。
彼女は踵を返し、森の奥へと走り出す。
「リシュ――!」
叫びが響いた。
追いかけようとした足が、一瞬、止まる。
背を向けた彼女の姿が、もう別の世界の人間のように見えた。
「……くそっ……」
カイは歯を食いしばり、拳を握る。
そしてカイもまた、踵を返した。
「うあああああああああ!!!」
その叫び声は焦燥ではなく。どうにもならない自分への憤りだった。
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