国を滅ぼされた生き残り王女は、男装して運命を切り拓く。

青花美来

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告白

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 王宮近くの丘の上。

 夜の闇を切り裂くように、馬が木に繋がれている。


「……くそ、どうやって中に入るか……」


 カイは木陰に身を潜め、城門の警備を睨みながら思案していた。

 その時、何かが枝を折るような音がして振り向いた。

 木々の間から、ふらつく足取りで現れた影。

 見る間に倒れ込むその姿を、カイは反射的に駆け寄って抱きとめた。


「リシュ!? おい、どうした!」


 リシェルの肩には、深々と矢が突き刺さっていた。

 血が、彼の手のひらを濡らす。


「……隊長……?」


 掠れた声でそう呟くと、彼女は微かに笑った。


「なんでここに……」

「お前を連れ戻しに来たに決まってんだろ!」


 怒鳴り声に、リシェルは眉をひそめる。

 けれど、その目は焦点を失い始めていた。


「どうして……そんな……」

「それより、なんだよその怪我!」


 カイが矢に手を伸ばすが、リシェルは小さく首を振った。


「……ちょっと……しくじりました」


 そう言ってリシェルは自分で矢を掴み、ためらいなく引き抜いた。


「馬鹿! なにしてやがる!」


 カイが怒鳴り、すぐに布を裂いて止血する。

 リシェルは苦痛に顔を歪めながら、それでも淡々と答えた。


「……急所は……それてます。問題ありません」

「問題だらけだろ……っ! 放っといたら死ぬぞ!」


 カイは彼女を抱き上げると、馬に乗せ、自らも飛び乗った。


「隊長……」

「喋るな。血が流れる。今は生きることだけ考えろ」


 リシェルは何か言いかけたが、唇を動かす前に視界が滲んだ。

 カイの怒鳴り声が、遠くで響く。


「もう二度と勝手な真似はするな。……これは命令だ。破ることは許さない」


 その声だけが、遠のく意識の中に刻まれた。




 まぶたの奥に、誰かが必死に自分を呼ぶ声が残っていた。

 重たい瞼を持ち上げると、淡い灯の下、木の天井が見えた。

 ここは……傭兵団の宿舎の一室?

 包帯で巻かれた肩がじくじくと痛む。

 身を起こそうとした瞬間、隣で椅子が軋んだ。


「――動くな」


 低い声。

 振り向けば、カイがそこにいた。

 目の下には隈が浮かび、疲れ切った顔。

 机には血の滲んだ包帯の山と、空になった薬瓶。


「……隊長」

「黙って行くなって言っただろ」


 怒りを含んだ声が部屋に響いた。

 その声の奥には、焦りと苛立ち、そして恐怖が混ざっている。


「あんな状態で逃げ出して、何考えてたんだ! 死ぬ気か!」

「……もう放っておいてください! 俺は、傭兵団をやめたんです!」


 リシェルはかすれた声で言い、布団を払って立ち上がろうとする。

 だが、カイが即座に腕を掴んだ。


「勝手なこと言ってんじゃねぇ!」


 掴んだ手に力がこもる。

 その目は怒りと同時に、どこか必死な色を帯びていた。


「俺がそれを許すはずがねぇだろ!」 

「なっ……」

「頼むから、自分から死ににいくようなことしないでくれ……!」


 カイの声は、怒っているのにどこか懇願するようで。

 リシェルは胸の奥が熱くなり、何も言い返せなくなった。


「……お前が矢を抜いて血が噴き出した時、本当に生きた心地がしなかった」


 リシェルは目を伏せ、唇を噛む。

 それを見て、カイはそっとリシェルの腕を引き寄せた。

 抗う暇もなく、彼の胸の中に包み込まれる。


「……無事でよかった。本当に、良かった」


 肩口で囁くような、心底安心したような息遣いに、リシェルの胸は熱くなる。

 傷口の方が痛いはずなのに、今はどうしてか、胸が痛くてたまらなかった。


「た、いちょ……」

「前に言ってただろ。大切な人を失うのが怖いって」

「……はい」

「俺も同じだ。……今は、お前を失うことが怖くてたまらない」

「っ!」


 硬い鎧の感触の奥に、確かに伝わる体温。

 それは命令でも叱責でもなく、ただ必死な思いだけだった。

 頬から、うっすらと鼓動の音が伝わってくる。


「……離して……ください」


 掠れた声しか出なかった。だけど、カイはゆっくりとその腕を緩めてくれた。

 そしてそのまま両手でリシェルの肩を掴み、真っ直ぐに目を覗き込む。


「頼むから……なんでも一人でやろうとするな。頼むから無茶しないでくれ」

「っ……」

「……リシュ、俺を信じろ」

「え……?」

「何かあるなら頼れ。できないなら、ほんの少しでいい、相談しろ」

「でも……」

「でもじゃない。言っただろ。"俺はいなくならない"って」


(やめて……そんなふうに優しくしないで……)


「俺が、必ずお前のそばにいる。何があっても離れないから。……だから、頼むからこれ以上心配させんな」


 その言葉が胸に突き刺さる。

 胸の奥で、何かが軋んだ。

 もう、誰にも迷惑をかけたくなかった。

 誰のことも失いたくなかった。

 だから、傭兵団を抜けてでも――ひとりで真実を追おうと決めたのに。

 なのに。

 そんなふうに優しくされたら、そんなふうに抱きしめられたら。この胸に刻んだ決意が、揺らいでしまう。

 縋りついてしまいそうになる。

 "助けて"って、言ってしまいそうになる。


「……どうして……」

「ん?」

「どうして、そんなこと言ってくれるんですか」

「……」

「どうして、俺と一緒にいてくれるんですか。どうして、俺を助けてくれるんですか。どうして、そんなにも俺を心配してくれるんですか」


どうして。

どうして。

そんな疑問の言葉をぶつけて誤魔化さないと、泣き崩れてしまいそうで。

今にも溢れそうな涙を必死に堪えながら、カイを見上げる。

そんなリシェルに、カイは今まで見たことがないくらいに、優しい笑みを浮かべた。


「……どうして、五年もの間気が付かなかったんだろうな」

「……え?」

「こんなにも、お前はしっかり"女"の顔をしているのに」


 その言葉に、リシェルは固まる。


「大したやつだよ。お前は」


 ついにこぼれ落ちた涙を、カイは不器用ながら、優しく拭った。


「そうだな。……"惚れた弱み"だ。……そう言ったら、さっきの答えになるか?」


 衝撃が強すぎて、何も言葉を発することができない。

 そんなリシェルを見つめるカイは、愛おしそうに、もう一度抱きしめる。

 温かいのに、苦しいほどに胸が締めつけられて息が詰まる。

 目が泳ぎ、何が起こっているのかがわからなくて。

 それでも――彼の腕の中で、抗う力はもう残っていなかった。


「いつから……?」


 かすれた声で問うと、カイはわずかに目を伏せた。


「さぁな。今そんなこといいだろ」

「もしかして、みんな知って……?」

「安心しろ。多分気づいてるのは俺だけだ」

「っ……」


 胸の奥で何かが崩れる音がした。

 安堵したのか、それとも恐怖したのか、自分でもわからない。

 リシェルの膝から力が抜け、崩れ落ちそうになった瞬間、カイがすかさず支える。

 気づけば、横抱きにされていた。

 そのまま、そっと布団の上に戻される。


「……動揺させて悪い。でも、これ以上黙ってはいられなかった。許してくれ」


 カイの声は低く、けれど今まででいちばん正直だった。

 そう言いながら、彼はリシェルの頭に手を伸ばし、優しく撫でた。

 その仕草があまりに自然で、胸の奥が痛くなる。


「また勝手にいなくなろうとか考えんなよ」


 静かに、けれど決定的な声音で告げる。


「俺は、どこまでもお前についていくからな」


 それだけ言うと、カイはゆっくりと立ち上がり、振り返ることなく部屋を出ていった。

 閉じられた扉の向こうで、足音が遠ざかっていく。

 リシェルはその場に取り残されたまま、動けなかった。

 バレていたこと、抱きしめられたこと、そして――たぶん告白されたこと。

 一度にたくさんのことが起こりすぎて、頭がついていかない。

 胸が痛いのに、どこか温かくて、涙が止まらなかった。

 その夜、リシェルは一睡もできなかった。
 
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