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第60話
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父が仕事に戻ると同時に、私も学園に戻りました。
初等部は落第はないので、ついズルズルと休んでしまって。
母達が亡くなった日から3週間近くが経っていました。
母と姉を一度に事故で亡くした私に気を遣ってか、友人達から以前のように気楽に週末の遊びに声をかけられる事もなく……
なかなかに淋しい日々でした。
父や兄からも、お休みの日も邸から出ない私を心配している感じが読み取れて。
友人とお互いに気を遣い合うのなら、私はバックスやルビーと遊んでいた方が気楽だと思うのですが……
祖母から父に話があったのも、その頃でした。
祖母のトルラキア王国への移住が、母達が亡くなった事で延びていたのですが、とうとう来月に決まり。
私を連れて行きたい、と父に話したそうなのです。
「まずはお前の正直な気持ちを聞かせて欲しい」
「今、この場で決めなくてもいいのなら、私はお父様の意見が聞きたいです。
その上で、決めさせて下さい」
「……おばあ様がご心配されているのは、母もクラリスも居ないこの家で、これから女性として学ぶことの多いお前を、ちゃんと育てられるのか、と言うことだ。
もちろん、マナーやそれに伴うあれこれを教える家庭教師はいるし、例えばダウンヴィル夫人の所に通わせていただくのも良い、と思っている」
「ダウンヴィルには通わない方が良いと思います」
「どうしてだ? 夫人はお前の事を可愛がってくれているじゃないか」
……それは、ケネスの婚約者の、ご令嬢がきっと嫌がるから。
幼い頃からふたりは婚約していて、葬儀にもご両親と共に参列してくださっていましたが、ケネスとチェルシーと3人でいた私を暗い目で見ていらした。
これから私が定期的にケネスの邸に通えば、あの方は心まで暗くしてしまう。
例え単なる従妹であっても、1度疑ってしまえばそう見えてしまう。
自分が嫉妬に苦しんだから、私のせいで同じ様には苦しんでいただきたくないのです。
つまらない事だと言われるのを恐れて、ご令嬢はケネスに話せないでしょう。
私がそれ以上言わないので、父はじれったいようでした。
これが祖母や叔母だったら、わかってくださった。
だけど父や兄や、きっとケネス本人さえわかってくれない。
祖母が仰りたいのはこういう事です。
男性はいちいち口にしないと、わかってくれない。
女性でも、他人のマナーの先生になど言えない。
家族に女性が居ないのに、ちゃんと育てられるのかとは、こういう事なのでしょう。
扉がノックされました。
父が応じると、家令が銀のトレイを捧げるように入ってきました。
「旦那様、先触れが」
それを読んだ父が私の方を見ました。
「アシュフォード殿下からだ。
明日、お前に話があるそうだが、どうする?」
殿下が久しぶりに御出になる……
お忙しかったのが、済んだのだ。
お話は以前から『話したい』と、仰っていた事でしょうか。
それとも、今度は私に例のドレスを探して欲しいと仰せになるのでしょうか。
「畏まりました」
そう応える以外にありませんでした。
私も……事故の前夜に行った……あの、姉への呪いの話をした方がいいのでしょう。
打ち明けてしまえば、この苦しさが楽になるような気が致しました。
あの時の事を思い出すと、今も息が苦しくなって、汗が出てきます。
呪文も言えず、月を映したグラスの水も飲んでいない。
呪いなんて迷信で、本物じゃない。
信じてなんかいなかった。
死んで、と呪ったわけじゃない。
……ただ、ただ
クラリスに消えて貰いたかっただけ。
それでも、許されない事でした。
胸が痛くなり、浅い息を何度も繰り返して。
姉を呪い、母を巻き込んでしまったと、ここで父に話してみたら?
打ち明けて楽になりたい誘惑と、話したことで父からはどんな目で見られるのかの恐怖と。
『言った言葉は戻らない』
先代が仰っていた通り。
殿下にも、父にも。
今は話せないけれど、いつか、いつか……。
思い出しても、楽に息が出来るようになれば……
◇◇◇
「2ヶ月後にリヨンへ行くことになった。
3年以内には戻れると思うんだ。
前に船が遭難して行方不明になった第2王女がいただろう?
あの方が実は生きていてね。
王太子を倒して、王位後継の王太女になられたんだ」
2ヶ月後に行われる御祝いに、王太子殿下の名代として参加されて、そのままリヨンに残られ、王太女殿下のお手伝いをするのだと仰せになりました。
バロウズの使節団には、マーシャル様や侍従の方も含まれていて、あの方達も殿下とご一緒に残られるそうです。
「レイは結婚が決まっていたから、連れていきたかったけれど無理だとあきらめていたんだ。
だけど本人も、ほら母親のマーシャル伯爵夫人もどうしても一緒に、と言ってくれて。
レイの方は結婚は帰国してからのつもりだったんだけど、婚約者が簡単でいいから早めて欲しいと言うので、来月の終わりにすることになったよ。
それで、アグネスも俺のパートナーとして出席してくれないか?」
「……」
マーシャル様のご結婚式に、パートナーとして?
来月の終わり……
「君はまだ喪中だし、そんな席には行きたくないと言うなら、無理強いはしないけれど……そろそろ公にしたいと……」
「来月の終わり……私は居ません」
「居ません、ってどうして?」
無意識に、居ないと口にしていました。
急に決まったと仰っておられましたが、婚約を披露するはずの夜会の後のことでしょう。
本来なら、姉が殿下のパートナーとして出席した結婚式など、出られるはずもないし、出たくもありません。
「祖母に誘われまして、私も来月からトルラキアへ行くことにしました」
殿下は驚かれたのでしょう。
私からの相談も何もなく、聞かされたのです。
黙ってしまわれた殿下に、私は目を合わせず話し続けました。
「以前、殿下も好きな事をしてもいい、と仰っていらした。
私はトルラキアへ行きたいのです。
母も姉ももういなくて、ここには悲しい思い出しかなくて、しばらく離れたいのです」
父も兄も、私に良くしてくれているのに。
自分でも酷いことを言っているのはわかっていましたが。
殿下はリヨンに行かれてしまうけれど、ここには貴方との思い出が多すぎる。
「……確かに俺はそう、好きにして自由にして欲しい、そう言った」
「……」
「いつまで、と聞いてもいい?」
「中等部から、あちらの学校へ入って……」
「移住する、って事?」
殿下の声が低くなって……早口になって。
「お父上からも承諾は得たの? 旅券の申請も終わっているの?」
「……父からは、お前の好きにしていいと。
申請はまだです、今夜話して、手続きをして貰おうと思います」
「……」
殿下はずっと黙ってしまわれました。
そして。
「俺の勝手なあれだったけれど、今日は今まで言えなかったことを話して、もしも君が許してくれるなら、婚約を申し込みたかった」
私と婚約を、と?
殿下の言い出された事に理解が追いつかなくて。
「お父上やプレストンからドレスの話は聞いていない?
あれは俺の、俺の馬鹿な俺のせいで、君のお母上と……クラリスが。
亡くなってしまったのは、俺の……」
やめて、やめて!
ふたりが死んだ原因? そんなことは聞かなくてもわかってる!
急に呼吸が出来なくなりました。
心臓がきゅっとして、だらだら汗が出てきました。
手足が強張って寒くなってきて……
「俺は間違いばかりしてて……アグネス? アグネス!
ちゃんと息して!」
殿下の声が遠くから聞こえました。
抱き締めてくださって、背中を擦りながら何度も私の名前を呼んでくれていたのは聞こえていました。
段々と指先や口の辺りが痺れるよう……
私を姉の代わりにしようとなさっている残酷な殿下から逃げたくなって。
私は弱い自分を守る為、殿下から離れることを決めました。
初等部は落第はないので、ついズルズルと休んでしまって。
母達が亡くなった日から3週間近くが経っていました。
母と姉を一度に事故で亡くした私に気を遣ってか、友人達から以前のように気楽に週末の遊びに声をかけられる事もなく……
なかなかに淋しい日々でした。
父や兄からも、お休みの日も邸から出ない私を心配している感じが読み取れて。
友人とお互いに気を遣い合うのなら、私はバックスやルビーと遊んでいた方が気楽だと思うのですが……
祖母から父に話があったのも、その頃でした。
祖母のトルラキア王国への移住が、母達が亡くなった事で延びていたのですが、とうとう来月に決まり。
私を連れて行きたい、と父に話したそうなのです。
「まずはお前の正直な気持ちを聞かせて欲しい」
「今、この場で決めなくてもいいのなら、私はお父様の意見が聞きたいです。
その上で、決めさせて下さい」
「……おばあ様がご心配されているのは、母もクラリスも居ないこの家で、これから女性として学ぶことの多いお前を、ちゃんと育てられるのか、と言うことだ。
もちろん、マナーやそれに伴うあれこれを教える家庭教師はいるし、例えばダウンヴィル夫人の所に通わせていただくのも良い、と思っている」
「ダウンヴィルには通わない方が良いと思います」
「どうしてだ? 夫人はお前の事を可愛がってくれているじゃないか」
……それは、ケネスの婚約者の、ご令嬢がきっと嫌がるから。
幼い頃からふたりは婚約していて、葬儀にもご両親と共に参列してくださっていましたが、ケネスとチェルシーと3人でいた私を暗い目で見ていらした。
これから私が定期的にケネスの邸に通えば、あの方は心まで暗くしてしまう。
例え単なる従妹であっても、1度疑ってしまえばそう見えてしまう。
自分が嫉妬に苦しんだから、私のせいで同じ様には苦しんでいただきたくないのです。
つまらない事だと言われるのを恐れて、ご令嬢はケネスに話せないでしょう。
私がそれ以上言わないので、父はじれったいようでした。
これが祖母や叔母だったら、わかってくださった。
だけど父や兄や、きっとケネス本人さえわかってくれない。
祖母が仰りたいのはこういう事です。
男性はいちいち口にしないと、わかってくれない。
女性でも、他人のマナーの先生になど言えない。
家族に女性が居ないのに、ちゃんと育てられるのかとは、こういう事なのでしょう。
扉がノックされました。
父が応じると、家令が銀のトレイを捧げるように入ってきました。
「旦那様、先触れが」
それを読んだ父が私の方を見ました。
「アシュフォード殿下からだ。
明日、お前に話があるそうだが、どうする?」
殿下が久しぶりに御出になる……
お忙しかったのが、済んだのだ。
お話は以前から『話したい』と、仰っていた事でしょうか。
それとも、今度は私に例のドレスを探して欲しいと仰せになるのでしょうか。
「畏まりました」
そう応える以外にありませんでした。
私も……事故の前夜に行った……あの、姉への呪いの話をした方がいいのでしょう。
打ち明けてしまえば、この苦しさが楽になるような気が致しました。
あの時の事を思い出すと、今も息が苦しくなって、汗が出てきます。
呪文も言えず、月を映したグラスの水も飲んでいない。
呪いなんて迷信で、本物じゃない。
信じてなんかいなかった。
死んで、と呪ったわけじゃない。
……ただ、ただ
クラリスに消えて貰いたかっただけ。
それでも、許されない事でした。
胸が痛くなり、浅い息を何度も繰り返して。
姉を呪い、母を巻き込んでしまったと、ここで父に話してみたら?
打ち明けて楽になりたい誘惑と、話したことで父からはどんな目で見られるのかの恐怖と。
『言った言葉は戻らない』
先代が仰っていた通り。
殿下にも、父にも。
今は話せないけれど、いつか、いつか……。
思い出しても、楽に息が出来るようになれば……
◇◇◇
「2ヶ月後にリヨンへ行くことになった。
3年以内には戻れると思うんだ。
前に船が遭難して行方不明になった第2王女がいただろう?
あの方が実は生きていてね。
王太子を倒して、王位後継の王太女になられたんだ」
2ヶ月後に行われる御祝いに、王太子殿下の名代として参加されて、そのままリヨンに残られ、王太女殿下のお手伝いをするのだと仰せになりました。
バロウズの使節団には、マーシャル様や侍従の方も含まれていて、あの方達も殿下とご一緒に残られるそうです。
「レイは結婚が決まっていたから、連れていきたかったけれど無理だとあきらめていたんだ。
だけど本人も、ほら母親のマーシャル伯爵夫人もどうしても一緒に、と言ってくれて。
レイの方は結婚は帰国してからのつもりだったんだけど、婚約者が簡単でいいから早めて欲しいと言うので、来月の終わりにすることになったよ。
それで、アグネスも俺のパートナーとして出席してくれないか?」
「……」
マーシャル様のご結婚式に、パートナーとして?
来月の終わり……
「君はまだ喪中だし、そんな席には行きたくないと言うなら、無理強いはしないけれど……そろそろ公にしたいと……」
「来月の終わり……私は居ません」
「居ません、ってどうして?」
無意識に、居ないと口にしていました。
急に決まったと仰っておられましたが、婚約を披露するはずの夜会の後のことでしょう。
本来なら、姉が殿下のパートナーとして出席した結婚式など、出られるはずもないし、出たくもありません。
「祖母に誘われまして、私も来月からトルラキアへ行くことにしました」
殿下は驚かれたのでしょう。
私からの相談も何もなく、聞かされたのです。
黙ってしまわれた殿下に、私は目を合わせず話し続けました。
「以前、殿下も好きな事をしてもいい、と仰っていらした。
私はトルラキアへ行きたいのです。
母も姉ももういなくて、ここには悲しい思い出しかなくて、しばらく離れたいのです」
父も兄も、私に良くしてくれているのに。
自分でも酷いことを言っているのはわかっていましたが。
殿下はリヨンに行かれてしまうけれど、ここには貴方との思い出が多すぎる。
「……確かに俺はそう、好きにして自由にして欲しい、そう言った」
「……」
「いつまで、と聞いてもいい?」
「中等部から、あちらの学校へ入って……」
「移住する、って事?」
殿下の声が低くなって……早口になって。
「お父上からも承諾は得たの? 旅券の申請も終わっているの?」
「……父からは、お前の好きにしていいと。
申請はまだです、今夜話して、手続きをして貰おうと思います」
「……」
殿下はずっと黙ってしまわれました。
そして。
「俺の勝手なあれだったけれど、今日は今まで言えなかったことを話して、もしも君が許してくれるなら、婚約を申し込みたかった」
私と婚約を、と?
殿下の言い出された事に理解が追いつかなくて。
「お父上やプレストンからドレスの話は聞いていない?
あれは俺の、俺の馬鹿な俺のせいで、君のお母上と……クラリスが。
亡くなってしまったのは、俺の……」
やめて、やめて!
ふたりが死んだ原因? そんなことは聞かなくてもわかってる!
急に呼吸が出来なくなりました。
心臓がきゅっとして、だらだら汗が出てきました。
手足が強張って寒くなってきて……
「俺は間違いばかりしてて……アグネス? アグネス!
ちゃんと息して!」
殿下の声が遠くから聞こえました。
抱き締めてくださって、背中を擦りながら何度も私の名前を呼んでくれていたのは聞こえていました。
段々と指先や口の辺りが痺れるよう……
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