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第3話 魔法も夢も王子様も救いもないんだわ
しおりを挟む最悪な気分の時、決まって見る夢ってない?
――俺にはある。最悪な気分の時、そうまさに今日みたいな朝、決まって見る夢。
その夢の中の俺はまだ高校生で懐かしい学ランを着てる。
たった一ヶ月しか通わなかった高校の制服だ。
薄暗い部屋のテレビの前で、俺は膝を抱えたまま目の前で流れる映画をぼんやり眺めている。チカチカ変わる映像が俺の顔を照らす。
象徴的なサントラ。
プリンセス映画でこそないけど、似たようなラブストーリーだ。
貧しい少女が金持ちの男に見初められて、美しいレディになる。
母さんが好きだった映画だ。
どれだけ努力しても散々だった人生が、運命の男との出会いで一変する。
男と出会った後の少女はまるで別人だった。運命ってそんなにすごいものなんだろうか。人間が丸ごと変わってしまうぐらい?
「好きな人ができたの」
後ろから聞こえてきた声に俺は振り向いた。
俺と同じようにテレビの光に照らされた母さんが、映像に釘付けになったまま口を開く。
「彼について行くことにしたの。ごめんなさい。運命なの。彼と離れるなんて考えられない。愛してるの」
俺は黙ったまま、またテレビへと視線を戻した。
王子様がお姫様の手を引いて馬車に乗り込む。幸せそうな二人の笑顔。
運命とか、愛とか、恋とか。まだよく分からない。それって性欲と何が違うんだろ。「ヤらせて」をオブラートに包んだら「愛してる」になる。それだけじゃないの。
白馬のひく馬車が走り始めた。
外からも、車が出て行く音がした。
部屋には一人、俺だけが取り残される。
高校に上がるまで面倒を見てくれていたのは、母さんのせめてもの愛情だったのか。どうなのか。
息子にありったけの借金を残して、男と夜逃げするのが"運命"ってやつの結果なら、そんなものクソだと、俺は思う。
――ピピピピピピピピ。
「………うるさ」
聞きなれたアラームの音で目を覚ました。
カーテンの隙間から夕日が差し込む夕方6時。
いつも通りの起床。
ベッド兼ソファーから眠ぼけ頭でフラフラ立ち上がって、目をしょぼしょぼさせながら浴室に向かった。
古き良き木造アパートの二階。
この小さな部屋が、俺の唯一の居場所だ。
アパートの名前はポコアポコ。大家の爺さんによるとイタリア語の名前らしい。イタリア語なんて俺にはちっとも分からないけど響きが良くて気に入っている。ポコアポコ。
ちなみにこのポコアポコ、そのかわいい名前とは裏腹になかなか過酷な場所である。夏は激アツ、冬は激サム。壁は激薄で、周りの治安はサイアク。
だけど、大家が放任主義なお陰で結構住みやすいし、住人も大人しい。……俺以外の住民は大人しいの方が正しいかも。
……なんにせよここに俺は子供の頃からずっとお世話になっている。良いアパートだ。
「、」
部屋の隅から隅まで十歩にも満たないような小さな1Kは、寝ぼけたまま歩き回るのにもピッタリ。
俺は暗いユニットバスでポイポイ服を脱ぎ捨て、シャワーの蛇口を捻った。
「いて」
顔に水が飛んだ途端、口の端にピリッと痛みが走って顔をしかめる。
……え、口内炎? ヘルペス? どっちにしろ最悪。
湯気を手のひらでキュキュッと拭って鏡を覗き込んだ。
「……うわ、ブサイク」
誰だこれ。
死人みたいな顔色の男がドアップで映って、俺は思わずのけぞった。
ビビった。誰だこのブサイク。
暗いブルーの瞳が無愛想な顔でこっちを睨んでいる。
それでなくても冷たい色をしているのに、まつ毛が落とす影と、濃い隈のせいで余計に陰気な感じがする暗い目元。
頬のドス黒い青あざ。唇の端の大きな傷。
「……ああ」
そういえば俺、またフラれたんだったっけ。
「……」
いっそのこと忘れたままで良かったんだけど。
無言でポンプを押すとカシュッと音を立ててほぼ水と変わらないシャンプーが出てきた。
……よりによって今?
普段なら少しも気にならないようなことで心がささくれ立つ。替えも切らしてたわ。買いに行かなきゃ。あーあ。
フラれてこんな風になるなら、付き合わなければいいのにね。
告白されて、見た目が嫌いじゃないから。押されまくって、断るのも大変だし。
そんな理由で付き合ってはフラれ、付き合ってはフラれ。
気づけばもう6回目。おめでとう。立派な地雷男が完成していた。
男運が悪いところは母さん譲りなのかもしれない。
あの人も、変な男にばかり好かれる人だった。大袈裟じゃない。本当に、変な奴であればあるほど好かれるのだ。「そういう星の下に生まれたんだと思って諦めなさい」とは、母さんの言葉である。その通りなのかもしれないけど、少なくとも、子供相手に言う台詞ではない。
「、」
もう一度鏡を覗き込む。
顔は多分父親譲りだ。母さんにちっとも似てないから。
「俺の父親ってどこの国の人?」
「北国」
俺の持ってる父親の情報ってそれだけ。
オーケー。北国。日本はちょうど真ん中にあるわけだから……そう、少なくとも南半球じゃないってことはわかったよね。貴重な情報だ。
母さんはそれ以上をマジで頑なに語ろうとしなかった。何があったの?なんて聞くまでもない。例に漏れず、ロクでもない男だったのだ。
「……痛すぎ」
気づいてしまうと余計に痛む気のする傷に顔を歪めながら、タオルでワシワシ頭を拭いた。口元の傷って本当にダルいよね。
適当な服に袖を通して。適当に髪を乾かして。
狭い玄関にしゃがみ込んで靴紐を結んでいると、頭の上の蛍光灯が突然ブツッと音を立てて消えた。それから不穏な音を立てながら、ついたり消えたりを繰り返す。
「……うわ、」
思わず顔を顰めて頭上を見上げた。
……こんなに嫌なことって連続するもの?
それでなくても気が滅入ってるのに勘弁してほしい。
点滅しているのは、古いアパートにふさわしい今時なかなか見ない昭和レトロな蛍光灯。
……これ、コンビニに売ってるか?
ブブブとハエの羽音みたいな音を立てて、電気が点滅する。ホラー映画の冒頭かよ。不気味すぎ。
「……はあ、帰りコンビニ寄るの面倒くさ」
蛍光灯って勝手にLEDに変えてもいいんだっけ。どうなんだっけ。
靴のつま先をトントン地面にぶつけながらボンヤリ考えた。
あ~、こんなこと考えるのも面倒くさいな。仕事に行くってだけでも面倒くさいのに。仕事終わりの体を引きずって朝コンビニで「蛍光灯ってあります?」とか聞くのも面倒くさい。そんで、朝の交代前、夜勤明けの疲れ切った店員に「ハア……、そこにないならないっすね……」とか冷たく言われなくちゃならないんだろ。あー、面倒臭い。
「……まじでクソDV男も水っぽいシャンプーも古い蛍光灯もみんな死んでくれ」
たかが蛍光灯。されど蛍光灯。
電気を消そうと振り返った部屋の惨状が、人生うんざりモードの俺に止めを刺す。
シンクに積み重なってる皿、洗わなきゃ。出し損ねたゴミ袋も朝出しに行かなきゃ。その前に瓶缶の分別。てか明日のシャツにアイロンかけてないわ。
あー……、まじで全部放り出したい。
「……全部いっぺんに片付けば良いのになあ」
パチン、と指を鳴らしたら何もかも解決しないかな。しないわな。
……悲しいかな、現実には魔法も夢も王子様も救いもないのである。
そう、俺はお姫様でも王子様でもない、しがない平民なので。フラれてぶん殴られてサイアクな気分でも、働かなきゃ飯が食えないので。
子供にはとても聞かせられない、夢も希望もない愚痴を内心で呟きながら、ノソノソ立ち上がった。
まあ、実際、どんなにイヤなことばかりの人生でも、助けてくれる人もいないし、一人でなんとかしていくしかないのだ。今までそうしてきたみたいに。
「……おし、行ってきます」
空元気の「いってきます」が、薄暗い部屋に虚しく響いて消える。
……何してもネガティブな感じになるのはついたり消えたりする陰気な蛍光灯のせいだ。そう。きっとそう。
こういう日は無心で労働して、バッチリ稼いで、さっさと寝るに限る。
カチ。電気を消した。
ガチャン。ドアを閉める。
剥き出しの外廊下には夕焼けが差し込んでいる。
外はポタポタ小雨が降って……、
「……あれ?」
そういえば俺、今朝、どうやって家まで帰ってきたんだっけ。朝焼けに似た夕焼け空を見上げて、ふとそんなことを思った。
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