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最終話『愛しい肩の重み』
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「悪趣味」
どこまでも静謐な時間は、彼の不機嫌そうな声によって終わりを遂げた。パッと視線を上げると、柱に身体を預けたままの体勢で此方を薄目で眺めてくる彼と目が合った。
ばくり、と心臓が跳ねる。
「いつから、見てたんですか」
一気に、口の中が乾燥する。
「言って欲しい?」
「……いや、いいです」
絞り出すように口にすると、彼は伸びをしながら、欠伸を噛み殺した。その隙を突いて、洋介は反射的に桜の花弁を握りしめて、パーカーのポケットにしまい込んだ。今更遅いと分かっていても、そうせざるを得ない心境だった。
「洋介」
「……なんですか」
「ちょっと、こっちにおいで」
「え、なんで……」
「いいから」
言われて、渋々とカウンタースウィングを開けて中に歩みを進める。すると彼が入れ替わりにカフェスペースの方に向かったので、洋介は所在無くその場に立ち尽くした。
一脚の椅子を持って、彼が帰ってきた。すると彼はそれを、さっきまで座っていた椅子の隣に置いた。彼が再び同じ椅子に腰掛ける。そしてそのまま、新しく置いた方の椅子の座面を、ぽん、と一つ叩いた。
「ん」
「え、なんですか」
「座って」
「は?……なんで」
「いいから」
男の意図が全く分からない。が、彼の意思は固く、譲ろうという気配が全く感じられなかった。洋介は仕方なく、促されるままに椅子に腰を下ろした。すると。
肩に、すり、と。彼の顔が寄せられた。
「30分」
そう呟いたきり。
彼は、また目を瞑った。
訪れた状況を、上手く飲み込む事ができない。身動き一つ取れないばかりか、ろくすっぽ息も吐けない。洋介は、全くもって自由がきかない状況にあって、ただ、彼が触れている部分にのみ全神経を傾けた。
心臓の位置は耳の裏側では無かった筈だ、確か。
この人に、この音が届いていないといいのだが。無駄な思慮だろうか。それでも、そんな風に思いを馳せてしまう。
相手が何を考えているのか、まるで分からない。
恋、とは。
こんなに、ままならないものだっただろうか。
遡って考えてみても、ここまで掴み所のない感覚に捉われた記憶は無い。だから、過去の例と対比の仕様がなく、胸の内には戸惑いしか生まれなかった。
暫く、濁流の様に襲い来る感情に攫われて悶えていたが、それも最初の数分で終わった。彼の寝息が、再び聞こえてきたからだ。
洋介は、それを耳にした途端、全てがどうでも良くなった。
どうでもいい。
触れてくる温度を。
安心しきった彼の表情を、知れたから。
なんかもう、どうでもいい。
閉め忘れた扉から、春の風が舞い込む。桜の花弁がまた一つ、今度は、彼の鼻先に。洋介は敢えてそれを無視する事にした。
起きた時、この事に気付いたら、彼はどんな顔をするだろう。
膨れる?
それとも、困った様に笑う?
眉を寄せて、悪態を吐く?
想像するだけで。
胸が、ふくふくと温まった。
「悪趣味」
どこまでも静謐な時間は、彼の不機嫌そうな声によって終わりを遂げた。パッと視線を上げると、柱に身体を預けたままの体勢で此方を薄目で眺めてくる彼と目が合った。
ばくり、と心臓が跳ねる。
「いつから、見てたんですか」
一気に、口の中が乾燥する。
「言って欲しい?」
「……いや、いいです」
絞り出すように口にすると、彼は伸びをしながら、欠伸を噛み殺した。その隙を突いて、洋介は反射的に桜の花弁を握りしめて、パーカーのポケットにしまい込んだ。今更遅いと分かっていても、そうせざるを得ない心境だった。
「洋介」
「……なんですか」
「ちょっと、こっちにおいで」
「え、なんで……」
「いいから」
言われて、渋々とカウンタースウィングを開けて中に歩みを進める。すると彼が入れ替わりにカフェスペースの方に向かったので、洋介は所在無くその場に立ち尽くした。
一脚の椅子を持って、彼が帰ってきた。すると彼はそれを、さっきまで座っていた椅子の隣に置いた。彼が再び同じ椅子に腰掛ける。そしてそのまま、新しく置いた方の椅子の座面を、ぽん、と一つ叩いた。
「ん」
「え、なんですか」
「座って」
「は?……なんで」
「いいから」
男の意図が全く分からない。が、彼の意思は固く、譲ろうという気配が全く感じられなかった。洋介は仕方なく、促されるままに椅子に腰を下ろした。すると。
肩に、すり、と。彼の顔が寄せられた。
「30分」
そう呟いたきり。
彼は、また目を瞑った。
訪れた状況を、上手く飲み込む事ができない。身動き一つ取れないばかりか、ろくすっぽ息も吐けない。洋介は、全くもって自由がきかない状況にあって、ただ、彼が触れている部分にのみ全神経を傾けた。
心臓の位置は耳の裏側では無かった筈だ、確か。
この人に、この音が届いていないといいのだが。無駄な思慮だろうか。それでも、そんな風に思いを馳せてしまう。
相手が何を考えているのか、まるで分からない。
恋、とは。
こんなに、ままならないものだっただろうか。
遡って考えてみても、ここまで掴み所のない感覚に捉われた記憶は無い。だから、過去の例と対比の仕様がなく、胸の内には戸惑いしか生まれなかった。
暫く、濁流の様に襲い来る感情に攫われて悶えていたが、それも最初の数分で終わった。彼の寝息が、再び聞こえてきたからだ。
洋介は、それを耳にした途端、全てがどうでも良くなった。
どうでもいい。
触れてくる温度を。
安心しきった彼の表情を、知れたから。
なんかもう、どうでもいい。
閉め忘れた扉から、春の風が舞い込む。桜の花弁がまた一つ、今度は、彼の鼻先に。洋介は敢えてそれを無視する事にした。
起きた時、この事に気付いたら、彼はどんな顔をするだろう。
膨れる?
それとも、困った様に笑う?
眉を寄せて、悪態を吐く?
想像するだけで。
胸が、ふくふくと温まった。
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