〜espoir〜五つ星オーベルジュのオーナーだなんて、こんな僕には向いてません!

鱗。

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第二章 『一番星』

掛け替えのない、一番星

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「それって、たぶん、英才教育だと思うんだけど」

社員寮にある大食堂では、忙しなく人が行き来をし、微かな笑声や、和やかに談笑する声が、ひと時の憩いの時間を過ごしている従業員達の耳障りの良いBGMとなっている。その中にあって、すっかり定位置になった窓際の席に座り、本日のランチメニューの一つである蟹チャーハンを一口頬張った僕の耳に届いた輪島さんの意外な一言は、食器乾燥機対応のステンレス製のスプーンを持つ僕の手をぴたり、と止めた。

「英才教育、ですか?」

「うん。家族旅行先に、毎年フランスに連れて行かれて、葡萄の収穫の手伝いさせられるなんて、なかなか聞いた事ないし。それに、おやつによく出されてたっていう、オレンジピールやドライフルーツ、お前が笑いながら話してたブラックペッパーも、ソムリエ資格の試験対策として味覚を育てる為の訓練としか思えないんだけど……」

元から興味があったからだろう。国内屈指の財閥の現当主で、しかも、このオーベルジュの出資者でありながら、自分達のボスだった女性を愛人にしていた人物……僕の養父が、僕という存在から見て、一体どんな人間だったのかを、ウケを狙って軽い自虐を織り交ぜながら話すと。僕なりの視点からくる、父親の奇人エピソードとして紹介した部分に、シェフソムリエである輪島さんは、僕が想像している以上の興味を示した。

フランスの葡萄畑で出会った麦わら帽子の金髪美少女との、甘酸っぱい思い出話には全く反応を示さなかったのに。やれやれ、なんとも分かりやすい人だ。

「まぁ、お前にとっては良い思い出ばかりじゃなかったかもしれないけどさ。もしも親父さんが、最初からお前にこのオーベルジュを任せるつもりでいたなら、親父さんの気持ちは、ちょっとだけ理解できるかな」

施設全体の運営管理にあたる溝口さんに、シェフソムリエとして、また、親友として相談役に回る機会もある輪島さんの、経営者側でもあった父親に寄せる一定の理解に触れて。僕は、暫くの間、食事を続ける意欲を放棄することに決めた。

「うちのワインセラーに並んでいるコレクションを見ても、いまいちピンときてる様子がなかった時は、ちょっと心配したけど。俺が余計な気を回す必要なんてなかったかもな」

「そんな、買い被りですよ」

輪島さんが言った通り、もしも本当に父親が、僕にこのオーベルジュを相続するつもりで英才教育を施していたとしても。その努力の成果が実を結ぶには、そもそもの才能が僕の中に無ければ何の意味も果たさない。手間暇を掛けて、痩せた土地を耕した所で、どうにもならないのと同じように。そんなつもりでいたなら、一言くらい言ってくれてもいいだろうに、分かり辛くも七面倒くさい手間を掛けて……御苦労様なことですよ、全く。

「なぁ、ワインについての話が出たから、お前に良い事教えてやるよ。このオーベルジュに纏わる、噂」

こんな風な滑り出しの話を真剣に聞いて、今までろくな目に遭った経験がなかったから、自然なままに身構える。とはいえ相手は、給仕長メートル・ド・テルである弘樹に接客のいろはを叩き込まれている間、並行してソムリエ見習いとしての勉学に努めている僕にとって、このオーベルジュにおける師匠の名を欲しいままにしている人物。このオーベルジュ『espoir』のシェフソムリエとして、名だたる賞を幾つも獲得している、その道の生き字引だ。

そんな存在を、あまり邪険に扱うのは、今後の僕の育成方針にも影響があるかもしれないし、感情的にも許せない。そんな打算でばかり、動いている訳ではないけれど。少なくとも、この人に対して多大なる好感をもってして、この数ヶ月を過ごしてきた僕からしてみたら、右も左も分からない僕をここまで鼓舞して導いてくれた大恩人の、他愛もない噂話の一つ聞いた所で、なんら苦ではなかった。だから、一応の興味関心を自分の中で醸成じょうせいしてから、輪島さんの話に静かに耳を傾けた。

「ほら、オーナーしか使用を許されない、お前も泊まった別棟があるだろ?なんでも、そこには沈没船から見つかったワインが隠されてるって話なんだよね」

「へぇ……それって、高いんですか?」

思わず庶民の感覚で返してしまった。財閥の当主の息子だからといって、日頃から贅沢な生活をさせて貰ってきた経験は殆どなかったものだから、つい興味の方向を品の無い方角に向けてしまった。けれど、一般家庭出身であった輪島さんは、その点に関しては僕と似通った感覚の持ち主だったのか、特別気に障ったような素振りは見せなかった。

「ワインとしては高い部類ではあるけど、無茶苦茶な値段設定はされてないよ。ただ、その希少価値は、値段で表せられるものじゃないかなぁ」

それはそうでしょうね、と頷く。沈没船のサルベージを専門とする企業もあるらしいのだけど、テレビで見た知識の限りでは、一回や二回潜っただけでは特筆した成果も上げられず、殆どが赤字経営だと聞いた事があるし。そもそもの保存状況の限りとして、深海はワインのそれを想定した場所ではない。だから、マニア向けのコレクション目的としてその価値を評価されているのも、納得の領域にあった。

「この先は、まことしやかな話になってくるんだけど……実はその沈没船には、このオーベルジュを邸宅にしていた元主人が乗船していたんだってさ。自分の乗る船が、いよいよ沈没すると分かって、人生を悲観した主は、そのまま自室で自分自身の命に手を掛けた。だから、そのワインには、無念のままにこの世を去った邸宅の元主人の血の手形が、べっとりこびりついてるんだとさ」

……ほら、この通り。話の終着点が何処に向かうのかと想像を巡らしてみれば、それは結局、よくあるオカルトに行き着いてしまいましたとさ。最初から特段真面目に話を聞いてはいなかったけれど、肩透かしを食らった感覚があるという事は、多少なりとも自分の中にある興味関心を傾けていられたという事なんだろうか。師匠を前にした弟子の立場としてみたら及第点じゃないですか。頑張ったな、僕。偉いぞ、自分。

それにしても、この場所に来たばかりの頃に比べてみたら、雲泥の差だと、しみじみ思う。僕みたいな何も成した経験を持たない人間にとっては、数々の輝かしい賞を軒並み受賞した経験を持つ、キラキラとした威光を放っているようにしか見えなかった輪島さんと、こんな風に砕けた会話が出来るようになれるだなんて……それだけ僕も、ここに馴染んできたってことかな。

いまでは輪島さんも、最初の頃にあった僕に対する敬語を綺麗さっぱり取り払って、他の従業員と接するのと同様に僕を扱い、開襟を開いてくれている。無駄に箱入り息子になってしまった、世間一般の常識というものに殊更疎い僕に対しても、輪島さんは、他の誰とも分け隔てなく接してくれていた。いまの僕にとって、彼は誰よりも親しみを感じさせてくれる温かい存在だった。

「一体、何の話ですか?」

そのままオカルト話に派生していった輪島さんの噂話は、夜な夜な館内を徘徊する亡霊の怪談話にまで広がりをみせていった。そのあまりの派生ぶりに、さて、これをどう収集したものか、と頭を悩ませていた僕の左耳に、フッと、清涼感のある声が届いた。

相変わらず、声まで格好が良いな、この子は。成る程、本日のランチは、僕達と同じ蟹チャーハンにしたんだね。奇遇じゃないか。

……なんて、気軽に声を掛けられたらいいのに。

「よう、千秋。まぁ、色々とここに関する噂話を、ちょっとな」

「相変わらず、いい趣味してますね」

「おかげ様で、勤続年数だけは誰にも負けてないからなぁ。お前は、やっと昼休憩か?」

挨拶代わりにひらひらと小さく手を振る輪島さんに向けて、またやってるよ、と言わんばかりに呆れ顔を作った千秋は、まるでそうするのが当たり前かの様に、僕の左隣の空いている席に着席した。いまだに、彼のこの距離感の詰め方には、どきりとする。自分自身の顔面偏差値に疎い人を相手にすると、慣れるまでが大変なんですよね。僕の内面にある問題なんだから、千秋本人を巻き込んじゃいけないとは分かりつつも、彼といると心臓がいくつあっても足りないなと思ってしまう自分の気持ちには、どうしても抗えなかった。

「はい。少し、やる事があったので」

「そっか。そういえば、今日から……春翔、お前の師匠は、頼りになるなぁ」

意地の悪い笑みを浮かべた……ようやくそうと分かるようになった、輪島さんの朗らかつ人畜無害な笑みを受けて、思わず苦笑する。この人は、人当たりが良く、誰に対しても安心感を与える穏やかな性質を持ちながら、時たまこんな風にしてサディスティックな一面をみせる人だった。今日この日における僕の境遇に照らして、こんな発言をしてくるのだから、尚更始末におけない。テーブルの足に小指ぶつけてしまえ。

「はい、本当に。千秋、今日からは、本格的に、君が僕の直属の上司になるわけだけど……その、年齢差だとか、立場とか、そうしたものには捉われずに、気が付いた事があれば、すぐに教えて欲しいんだ。例え叱られたとしても、それは真摯に受け止めるよ。だから、これから宜しくお願いします」

とはいえ、こうして面と向かって挨拶ができるように誘導してくれるのは、流石の手腕と言わざるを得ない。頭が上がらない相手って、誰にでも、一人や二人いるよね。僕にとっては、それが輪島さんというわけ。そして、これからは、そのラインナップに、隣に座る彼も名を連ねていくのだろう。

「………こちらこそ、宜しくお願いします」

むっつりと押し黙った後、ぼそりと静かに呟かれたそれを前にして、僕は、心象風景の中で、うーん、今日もか……と頭を抱えた。

最近の千秋は、いつもこんな調子だ。決して冷たい印象がある訳じゃないけれど、僕という存在が、彼という存在に対して干渉すると、こうしてワンテンポ、ツーテンポ……と誰の目にも明らかな余白を作ってしまう。

とはいえ、何故彼が、僕に対してそんな風に身構えてしまったり、硬い空気を身に纏ってしまうのかという理由に思い当たる節がある僕は、特別それを不快に感じたりはしなかった。

(……最初のアレが、いけなかったんだよね、きっと)

千秋と初めて邂逅かいこうした、あの日。僕達は、本来であれば、用意されたその時間を、血の繋がりがない兄弟として、家族として、その絆を確かめ合う時間にする必要があった。

けれど僕は情け無い事に、千秋の暖かい気遣いに触れて……その場で、子供の様にぼろぼろと泣き出してしまったんだ。

目の前にいる千秋の動揺は如何許いかばかりか、想像だに容易たやすい。兄として慕う努力を、気遣いを、優しさを向け、邂逅する日を待ち望んでいた相手が、こんなにも頼りない存在だと分かってしまっては、戸惑ってしまって当然だろう。彼の中にある今後の人間関係の優先順位や基準に、多大なる影響を与えてしまった可能性すらある。

その損失や代償を支払う事は、一朝一夕には立ち行かないだろうけれど。それは、今後の僕の努力と働きによって精算していくべきだと思うから。

"千秋と、いつか絶対に仲良くなりたい"

という目標を胸の中で高々と掲げ、例え、どんな障害が僕の目の前に立ち塞がったとしても、めげずに立ち向かうぞ、という気概を設けて、日々を過ごしていた。

(落ち着いたら、またゆっくり話そうって言ってくれたけど)

初めて一緒に時を過ごした、あの夜。千秋は、泣きじゃくる僕を主寝室にある大きなベッドに座らせて、僕の気持ちが落ち着くまで、ずっと寄り添ってくれていた。僕の隣に座って、僕の身体をすっぽりとその腕の中に納め、ゆっくりと僕の肩から背中を撫でて……

『貴方の返事を待っています。幾らでも、どれだけの時間が経っても、ずっと』

そう、優しく促してくれた彼の、しかし、確固とした決意と信念を秘めた熱い眼差しを、あの日からずっと忘れられずにいる。

そのまま気を失うようにして眠りについた僕が目覚めたとき。彼は、僕が使ったキングサイズのベッドの傍らにある椅子に座って、こちらの様子をじっと伺っていた。恐らく一睡もしていないだろう彼の様子に、思わずたじろいでしまった僕は、何の言葉も紡げずに、その場で固まってしまったのだけど。千秋は、僕に二、三、体調に関する簡単な質問をして、僕の体調に不具合がない事を一通り確認すると。そのまま無言で頭を下げてから、何事もなかったかのように、その場を去っていった。

そんな、目覚めたばかりの僕に対して、出来るだけ負担を掛けずにいようとしてくれた様子を見て。僕の『希望(家族)』になりたいと言ってくれた千秋の気持ちは、だから、きっと本物なのだろうと、思わずにはいられなかったけれど。

こうして、付かず離れずの距離感と佇まいを有しながら、積極性をもって僕にリアクションを示してこない現状に置かれているうちに、彼の中にある、僕への感情や想いが、あまりにも未知数で、曖昧に感じてしまって……勝手に不安を覚えてしまって。

折角設けた、"千秋と、いつか絶対に仲良くなりたい"という目標や気概があるにも関わらず。

掛け替えのない、一番星。
君は僕にとって、そんな存在なんだよ、と。

臆病者の僕は、いまだ、自分自身の正直な気持ちを、彼に伝えられずにいる。

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