饕餮的短編集

饕餮

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短編

風船葛が運んで来た幸せ 後編

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 敦志と付き合うようになった四月の半ば、彼が「庭に植えてもいいか?」と黒い種を持って来た。なんだろうと思ってその種を見せてもらうと、白抜きのプリントが施されたようなハート型がついていた。

『可愛い! 何の種?』
『風船葛だ。知ってるか?』
『ううん』
『なら、後でググッてウィキってみろ』
『そうするわ』
『グリーンカーテンにもなるから、窓の近くに植えるといい』
『ありがとう』

 種を預かり、窓際の一角の土を掘り起こし、肥料を混ぜながら土を柔らかくした後で種を蒔く。仕事をする傍らで広い庭の半分程を家庭菜園にした。
 トマト、きゅうり、ピーマン、トウモロコシ、つるなしいんげんがところ狭しと並んでいる。夏にはたくさんの実をつけるのを楽しみにしていた。

 賢司も高校二年になり、そろそろ進路を考え始めたのか時々何か言いたそうに私を見ていた。多分、大学に行きたいんだろうけど、お金のこともあってか言えないんでいるんだろうと察しをつけ、然り気無さを装って後押しをする。

『ねえ、賢司』
『なに?』
『大学に行きたいなら、お金の事は気にしなくていいからね?』
『……え?』
『うふふー』

 席を立って箪笥の引き出しから通帳を出すと、それを賢司に渡す。

『え? 俺の名前? 姉さん、これ何?』
『開けてみて?』
『……! これ!』
『賢司が、バイト代の中から食費としてくれたものよ。まだ二年近くあるし、まだまだ貯められそうでしょ?』
『でも、姉さん。無理してるんじゃ……』
『え? してないわよ?』

 そう、無理はしてない。太陽光発電がついてるから電気代はほとんどかからず、せいぜい支払うのは自分のスマホ代、ネットのプロバイダー料金、水道とガス、税金、家にかかる諸費用くらいだ。
 外食もたまにしかしないから食費もそれほどかかってない。
 それに、私も賢司も必要なものさえ揃ってしまえば後はほとんどお金を使わないので、電気代や余ったお金は貯金に回せるのだ。

『この家を買った時にお金はかなり減っちゃったけど、あの時残ったお金はほとんど手付かずで残ってるし、前の会社よりも今の会社の方が給料がいいから、支払い分や食費を差っぴいても、貯金に回せるのよ。なんなら私の通帳、見る?』
『……イエ、エンリョシマス』
『それと、私が結婚しようが何しようが、ここは賢司の家でもあるんだから、大学受かったら独り暮らししようとか考えないでよ? 就職しようと何をしようと、賢司が結婚したいと思う人ができるまでここにいていいんだから。なんだったら、私が出て行ってもいいし』
『姉さん……?』

 戸惑いを浮かべる賢司に、私は苦笑する。あの家から一時間かけて今行ってる学校に通う意味を、私は知ってる。

『動物のお医者さんになる。そう言った賢司を、私は今でも覚えてるわ。だから今の高校に行ったのも、そこから近い大学に行きたいこともわかってる。だから私は、二人しかいないのに、無駄に広いこの家を買ったの。この意味、わかるでしょ?』
『あ……!』

 席を立ってガバッ、と抱き付いて来た賢司に思わずよろけてしまったが、それを我慢して、賢司の背中をポンポンと叩く。今はもう私の身長を簡単に越え、百八十近い身長になった賢司。
 両親や優衣のことがあったにも拘わらず、ぐれる事なく小さい時の夢を叶えようとしている賢司は、私にとって自慢の弟だ。

『俺、頑張って獣医師になる。ある程度修行して技術を身に付けたら、ここで開業してもいいんだよね?』
『もちろんよ。そのために買った家だもの。大学の費用までは出してあげる。だからその分ちゃんと勉強して、開業するまできちんと貯金しなさい』
『ありがとう!』

 他人なら、弟の犠牲になることはないと言うだろう。でも、大学に入って、本当に取りたかった資格を諦めた私。
 だからこそ、賢司だけは自分の夢を諦めてほしくなかった。



 この家を買って一年。賢司は夢に向かってますます勉強を頑張り始めた。敦志との交際も順調で、敦志と賢司の関係も良好で嬉しい。
 敦志は四月からあの家があった警察署に移動になってしまったのは寂しいが、それでもあの街の駅で敦志と待ち合わせてデートしたり、私がいる街でデートしたり、三人で食事をしたりということを繰り返していた。

 夏のある日、あの街で敦志とデートとしている時だった。

「お姉ちゃん?!」

 いきなり後ろから腕を掴まれた。怪訝そうに眉を顰めて後ろを見ると、会いたくもない優衣が私の腕を掴んでいた。隣にいた敦志も怪訝そうに私を見ている。

「今までどこにいたの?! お姉ちゃんや賢司に連絡しても全然繋がらないし、洋治さんに聞いても、洋治さんに連絡とってもらっても繋がんないって言うし……」
「彩、誰だ? それと、洋治って?」
「……縁を切った、元妹の優衣よ。洋治は私の元婚約者」
「ああ、なるほど」

 そう言った敦志の目は冷ややかで、でもどこか眩しそうな目をしていて。そのことに心がざわめく。

「それで? 今更何の用?」
「お父さんが倒れたの。時々、譫言でお姉ちゃんの名前を呼んでいて……」
「ふうん。でもそれ、私には関係ないわよね?」
「お姉、ちゃん?」
「だってそうでしょ? 縁を切るって言ったのはあの人自身で、その原因を作ったのは貴女なんだから。洋治もそう。今更私に何の用があるって言うの?」

 冷ややかにそう言うと、優衣を唇を噛んで俯いた。

「洋治さんは私と結婚したあともずっと後悔してて、謝りたい、って言って……」
「あら、結局式場をキャンセルしないで洋治と結婚したんだ。さぞや大変だったでしょうね」
「……っ」
「貴女を通じて今、洋治の謝罪は受け取ったからこれ以上の謝罪は必要ないし、私は洋治にもあの人にも会いたくないの」
「お姉ちゃん!」

 本当に今更なんだと言うのか。それとも私に入院費を出してほしいとか? それこそ冗談じゃない。貯金があるとはいえ、私にだって生活がある。
 それに貯金を切り崩すわけには行かない。

「お願い! 一目だけでもお父さんに会ってあげて!」
「必要ないでしょう? 目に入れても痛くない、愛娘の貴女がいるんだから。悪いけど、デート中なの」
「お姉ちゃん……」
「敦志さん、行こう?」

 優衣の腕を引き剥がし、敦志にそう声をかけるも敦志は動く気配がない。

「敦志さん?」
「俺は、優衣ちゃんと一緒に病院に行った方がいいと思う」

 そう言った敦志の目は、私には冷ややかな目を向け、優衣には優しい目を向けていた。私が見たことない程優しい笑顔を浮かべて。
 そのことに、ズキンと胸が痛む。

 美人で可愛い優衣。その目には涙が浮かんでる。
 それに比べ、姉妹とは思えないほど平凡で地味な私。世の中の男がどちらを選ぶのかなんてわかってる。
 でも敦志は違うと思っていた。敦志だけは、私を見てくれると思ってた。
 でも違ったのだ。そう信じた私はなんて愚かなんだろう。

 そう思った瞬間、敦志に本気で恋した私の心は粉々に砕けた。

 溜息をついて目を瞑ったあと、ゆっくりと目を開ける。敦志と目が合った瞬間、敦志は目を見開いて息を呑む。
 その目に映る私の表情と目は、無表情で虚ろな目をした女だった。

「……そう、わかった」
「お姉ちゃん! 一緒に行ってくれるの?!」
「行かない」
「お姉ちゃん……?」
「敦志さん、デートはここまでにしましょう。病院でもデートでも、二人で仲良く行ったら? 邪魔はしませんから」
「彩……?」
「本当に貴女は疫病神よね。貴女に会うと碌な事がないわ。……敦志さん、今までありがとう。さよなら」
「彩!」
「お姉ちゃん! 待って!」

 踵を返して走りだす。近くにあったバス停に停まっていたバスに乗り込むと同時にバスの扉が閉まると、バスは発車した。
 ちらりと後ろを振り返ったが、敦志や優衣が追いかけて来る気配はない。
 バスはそのまま駅がある方へと走り続けた。


 バスの中で敦志のアドレスや番号は消した。その後連絡が一切ないから仕事が忙しいのか、デートが忙しいのか、私に愛想をつかしたかしたんだろう。

 虚ろな目と無表情で予定よりも早く帰って来た私に賢司は何があったのか聞き出し、眉をしかめて哀しそうな顔をしたものの、結局は何も言わずに抱き締めてくれた。それにすがって泣く私を、背中を撫でながら慰めてくれた。


 ***


 あれから二週間。それなりに落ち着きを取り戻した私は、仕事の休みを利用して庭を弄っていた。風に揺れる風船葛を引っこ抜こうと何度か思ったものの、結局はその可愛さに癒され、抜けずにいる。
 もう一度「可愛い」と言って立ち上がり、伸びをしながら今日の夕飯はどうしようかな、と考えた時だった。後ろからいきなり抱き締められ、強い力で腰に腕が回される。
 賢司は今、部活でいない。部活の後でまっすぐバイトに向かうと言っていたから、助けを求められない。
 白昼堂々の痴漢、近所の人に助けを求めようかと思う間もなく顎を掴まれ、無理矢理横を向かされる。私を覗くように顔を近付けて来たのは、別れた敦志の顔。
 それに混乱しつつ、何か言おうとした途端口を塞がれた。

「あつ……、んんっ」

 今までされたことのない、濃厚なキス。敦志とは何度もキスをした。触れ合うような、慈しむようなキスを。
 だが、敦志にまだ抱かれたことはない。それが多少不満で不安だったが、大事にされているみたいで嬉しくもあったのだ。
 その敦志が、『食べる』という表現がぴったりな程私の口腔を舌で犯し、蹂躙して行く。

「んっ、んんっ、あつ、し、さん……?」
「この、馬鹿彩! 俺の話を最後まで聞かずに逃げやがって! さよなら? ふざけんな、誰がお前を手放すか!」
「え……?」

 唇を離され、わけがわからずおろおろしていると、敦志は私の身体を回して正面に向かせてからそのままギュッと抱き締め、はあっと溜息をついた。

「お前の元妹、最悪だな」
「え?」
「嘘つきだし。俺が知らないと思ったのか、あることないこと話をしてた。自分で奪っておきながら結婚直前でお前が逃げ、そのせいで結婚する羽目になったとか、結婚式でお前の友人たちに散々罵られたとか言ってたぞ」
「……罵られるのは当然じゃない。私から話したことはあまりないけど、招待状を出した友人たちはあの子のしたことを全て知ってるもの。中には目撃して、『その場で平手打ちと罵って来てやったわ!』って報告に来た人が何人もいたしね」
「そりゃ凄い」

 耳元で笑った敦志の声と、私をギュッと抱き締める敦志の腕の腕の中は、夢でも見てるんじゃないかと思うほど心地よくて。でも。

「暑い……」
「俺も暑い」
「なら、離して」
「いやだ。これから出かける予定なんだ。彩が逃げないって約束するなら離す」
「……もし逃げたら?」
「手錠を嵌めて逃げられないようにする」

 それは困る。近所の人に白い目でみられそうだ。

「どこに行くの?」
「行ってのお楽しみだな」
「もう。逃げないから離してくれる? 出かけるなら着替えないと」
「手伝ってやろうか?」

 ニヤリと笑った敦志に顔が暑くなるが、「馬鹿っ! 変態!」と軽く胸を叩くと、敦志は笑いながらキスをした後で離してくれた。家に戻って汗をさっと流してワンピースに着替え、戸締まりをしてからバッグに財布やハンカチ、スマホを入れて外に出ると、よほど暑かったのか敦志は車の中にいた。
 玄関の鍵を閉めて敦志の車に乗り込むと、敦志は車を走らせた。

 連れて行かれたのは車で三十分ほどの距離にある病院で、何で病院? と首を傾げながらも敦志の後ろをついていく。とある病室のところへ行くと、敦志はそのまま中へ入って行った。
 友人のお見舞いだろうかと何の気なしについて行くと、窓際に座っている男性が見えた。その見覚えのある顔に愕然とし、その場で足を止めた。

「下田さん、こんにちは」
「おや、寺田さん。おや? 後ろの女性は……っ! 彩……?」
「敦志さん、なんで……」
「下田さんが譫言で彩を呼ぶほど、後悔してたから、かな」
「彩……」

 キュッ、と唇を噛むと、そのまま父を見る。憔悴した顔と苦しそうに眉をしかめた父は、一年前よりも痩せたみたいだ。痩せたというよりもやつれた、といった感じだった。血色もあまり良くない。
 きちんとご飯を食べてるんだろうかと思わず心配してしまう。

「彩、俺が悪かったよ。全部彩の言う通りだった」
「……」
「式場資金は洋治くんに払わせたが、さすがにキャンセル料を支払うだけのものなど、彼にも我が家にもない。だから優衣と洋治くんを結婚させたが、式では散々な目にあった。優衣のせいで会社を辞めざるを得なかったよ。もちろん、洋治くんも」
「……」
「今は違う会社にいるが、いろいろあってね。そこも多分辞めるだろう。それに彩が出て行ったあと、優衣のことで母さんと喧嘩ばかりしててな。それに疲れて母さんとは最近別れたんだ。彩には酷いことを言ったと思ってる。今すぐ許してくれとは言わないが、どうか俺を許してくれ。この通りだ」

 頭を下げた父に、今更何を言っているんだろうとぼんやりと考える。でも、この人を憎んだことはない。
 売り言葉に買い言葉。本当は私も、後悔していたのだから。

「……いつ、退院するの?」
「今日、だが」
「入院費何かは?」
「もう支払いは済ませてある」
「退院したあと、どこに住むか決まってるの? それとも独り暮らし?」
「入院中に離婚したから、住むところはこれから探す」

 父の言葉に溜息をついて目をとじ、こめかみをぐりぐりと回す。住むところがないなら私の家に連れてこようか……なんて考えている私がいる。
 自分は甘いんだろうか。それとも、お人好しなんだろうか。

 目を開けてスマホを出すと、賢司に相談するべく簡単な説明を書いてメールを送る。たまたま休憩していたんだろう。賢司はすぐに返事をよこし、『父さんならOK!』とハートやら絵文字やらが書かれている、やたらハイテンションなメールが返って来た。
 それに呆れつつも、何も言わず私の行動を見ていた父に視線を合わせる。

「貴方さえ……お父さんさえ良かったら、私たちの家に一緒に住む?」
「私たちの、家?」
「賢司と二人で住んでる家。一軒家だし、部屋も余ってるし。庭も広いから、お父さんの好きな家庭菜園もできるわよ?」
「いい、のか?」
「いいから誘ってるんだけど」

 そう言うと、「済まない、ありがとう」と言って涙を流した。黙って私と父のやり取りを聞いていた敦志は、何も言わずに私の頭を撫でた。


 父を連れて敦志の車に乗ったあと、父が「役所に行ってくれ」と言うのであの街の役所に行った。何しに行ったのか問えば、転出届を出して来たと言い、その行動の素早さにそう言えば自分も同じことをしたなと苦笑した。
 家の権利書なんかは既に洋治名義に変えており、自分名義の通帳や実印なんかも既に持ち出しているから、あの家に帰る必要も、退院したことを告げる必要もないそうだ。
 優衣には離婚したことを告げてはいないが、そろそろ母親の口から伝わるだろうと、鼻を鳴らしていた。

 そのまま敦志に送ってもらい、もう一度敦志に番号とアドレスを教えてと言うと、ニヤリと笑って「貸しだ。次に会った時、覚えてろよ」とキスを落として帰って行った。何を言われるんだろうと思ったが、今朝と違ってまた会えるということに喜んだ。
 父を中に案内し、どの部屋がいいか決めてもらうと、父を連れて買い物に出かけた。余分な布団と父のための食器、食材がなかったためだ。
 先に役所に行って転入届を出して私の籍に入れると、例の大型スーパーに行って諸々の物を揃え、父の部屋のためのエアコンを買う。パソコンは必要かと問えば、パソコンは今のところ必要ないがタブレットが欲しいと言い、ついでに携帯も新しくしたいと言ったので携帯ショップに寄った。
 私たち同様に父も携帯を一旦解約して番号とアドレスを新しくしたことに驚いた。その辺は似た者親子なんだなと、妙に納得してしまったが。

 夕飯の席で、父といろんな話をした。
 この家のこと。賢司の進路。敦志さんとの馴れ初め……。
 結婚するまで父が獣医師と聞いた時は驚いたが、賢司がこの家で開業したいと言っていたと話すと、父は「そうか」と何かを考え込んでいた。
 バイトから帰って来た賢司は父の背中を思い切り叩くと、「これで許してやる」と笑いながら部屋へと行った。翌日、父が「車を貸してくれ」と言うので車を貸し、私は自転車で仕事に向かった。



 いろんなことがあった、この一年。これからもきっといろんなことがあるんだろう。


 父が会社を辞めて獣医師の修行をまた始め、賢司が大学を卒業する前に自宅を改造して開業したことも。

 隣の空地が売りにだされ、それを買って家を増築し、庭を広げて家庭菜園を広げたことも。

 増築して賢司夫婦や父と仲良く住んでいることも。

 「覚えてろよ」と言った敦志に散々抱かれ、そのことが元で出来ちゃった結婚し、敦志が父に殴られながらも、ずっと仲良く皆と一緒に住むことも。

 それは未来の話。


 ――敦志がくれた風船葛の種は、今日もその白い花と緑の風船を風に揺らしながら、いろんな幸せを見続ける。

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