7 / 40
「好き」の距離 ~ifバルザックの場合
三話目
しおりを挟む
ジュリアス様が襲われたと聞いてから、二週間たってしまいました。本当はもっと早く行きたかったのだけれど、バルザック様の仕事が忙しくて、なんだかんだと結局今日になってしまったのです。
(バルザック様に会えなかったのは、明らかに兄さまの陰謀よね……)
お見舞いに持って行くお菓子を作りながら、ふとそんなこと思う。思って、首を傾げます。
(あら? わたくし……ジュリアス様のところに行くより、バルザック様に会えるほうが嬉しい……?)
「うーん……」
「何を唸ってるんだ?」
「あ、レオン兄様」
「うまそうだな」
「もう、勝手に食べないでくださいませ! 兄さまのはこっちですわ!」
手をピシャリと叩き、別のお皿を渡します。せっかく作ったのに、勝手に食べられては困ります。
「それ、お父様のリクエストだから全部食べないでくださいね?」
「うっ?! ごほっ! げほっ!」
「ちょっ……兄様、大丈夫ですか?!」
ちょうど食べたばかりのあたりで声をかけてしまったのだろう。咽ている兄の背中をさすり、傍らにあった自分用の冷めた紅茶を渡しながら、悪いことをしてしまったかしらと内心思います。
けれど、バルザック様に会えないのは兄の陰謀と勝手に決めつけ、それ以上は何も言わないでおきました。
「はーっ、死ぬかと思った。あ、そろそろザックが迎えが来るんじゃないか?」
「え? もうそんな時間なのですか?! 大変、準備しなくちゃ!」
お見舞いのお菓子とは別に、バルザック様用に作ったものも用意します。そろそろ迎えに来てしまうと慌てていたわたくしは、兄がなにやら呟いていたことにも気づきませんでした。
***
「……まるでデートに行くみたいに嬉しそうだよな」
バルザックの名前を出した途端、妹の顔がパッと綻ぶ。
最近、身体の調子がいい妹を見ながら、バルザックの言葉を思い出す。
「『気づいてないだけで、アイツの心がどこにあるのかわかってる』、か……」
確かにそうだなと、妙に納得した私だった。
***
行く前に「何があるかわからないから剣を持っていけ」と兄に言われましたが、「こんな格好で剣なんて把けるわけないでしょう?!」と突っぱね、護身用としてスティレットを二本持って行くことで納得させました。
そして途中で、聞きたくもない噂話が耳に入ってしまったのです。
辛いはずなのにそれほど辛くはないことに驚きました。だから、敢えてジュリアス様の噂話のことを聞いてみることにします。
「あの……バルザック様」
「ん? どうした?」
急に立ち止まってバルザック様に問いかけます。彼は、なんだ? という顔をしていました。
「あの……」
「ルナ?」
「ジュリアス様が結婚間近って……本当、でしょうか?」
ちょっと辛そうな顔をしたあと、慰めるようにポンポンと頭を叩いてくれた。
「噂では、な。実際はどうなのかわからんが」
「お相手の方は……」
「あー……俺はよくは知らんが、ラインバッハ侯爵家のお嬢様だと噂になってるそうだが……」
「そうですか……」
侯爵家のお嬢様ですか……と内心で呟きます。辛くて仕方がない話ですのに、どうして平気なのでしょう? むしろバルザック様にこうされているほうが嬉しいのはどうしてなのでしょう……?)
バルザック様が何か声をかけようとして口を開けたその時でした。キンッ、と空気が一瞬で張り詰めます。
それと同時に二人で同じ方向を向きました。
(さすが、お父様とレオン兄様が認めた方だわ)
端からは慰めているようにしか見えない状態で、二人で小声で話します。
「ルナ、今日、俺は一本しかない」
「わたくしはスティレットがありますし、いざとなったらあちらから奪いますから。バルザック様はどうなさいますか?」
「そうだな、奪うか。……少し下がってろよ?」
「はい」
バルザック様が急に手を繋いで来て、別の意味でドキドキします。
そして二人でゆっくりと歩き出そうとしたその時でした。出で立ちは黒装束。
けれど、顔をバッチリ晒している不審者十人ほどに囲まれたのです。
そのいでたちに、この人たち……絶対に馬鹿よね……と呆れてしまいます。
黒装束なのに肝心な顔を隠していないのです。もしジュリアス様襲撃の残党だとしても、『ホルクロフト家なら絶対にあり得ないミスだ』と兄なら言うでしょう。
その時、一人の男性が声をかけてきました。
「……バルザック・リーヴスだな?」
「おや、俺ってば男にもモテモテ? でも、すまんなぁ。俺はコイツしか目に入らないんだ……よっ!」
「ぐあっ!!」
本当にもててたら嫌だわ、と思いつつ、バルザック様が動いたと同時に彼の邪魔にならないよう、スッと下がります。
先手必勝! とばかりに声をかけてきた男性を襲って昏倒させ、腰に差していた剣を奪ったその手法は、実に鮮やかでした。そのことに感心します。
「なっ!? 貴様! やれっ!」
「うわぁ……何かやな感じ!」
わたくしも同感です!
腰に隠していたスティレットを出し、襲ってくる輩を確実に昏倒させます。もちろん殺気を醸し出してる方は確実に殺します。
けれど、確実に数を減らしているはずなのにどこから涌いて出るのか、中々減らないことに業を煮やし始めたその時でした。
「貴様ら、何をやってる?!」
レオン兄さまの声……? そう思った瞬間でした。
「ぐはっ!」
「バルザック様!?」
バルザックが叫びました。振り向くと、左腕と腹にナイフが刺さっていたのです。
「こんの……!」
腕に刺さったナイフを抜き様に、殺気のする方向へナイフを放つバルザック様。断末魔の声のあとで、ドサリと何かが落ちた音がしました。どうやら命中したようです。
(う、そ…よね…?)
けれど、わたくしは微かに身体が震え、兄がバルザックに駆け寄って行くのをぼんやりと見つめます。
「ザック?! 大丈夫か!」
(い、や……)
わたくしだけを見つめる、優しい笑顔が喪われてしまう。
そんなのはいやです……許されません。
「バルザック様……?! 嫌ーっ!!」
「余所見なんかしてんじゃねーよ、ネエチャン!」
その声に反応し、振り向き様に相手の喉を掻き切ると鮮血が飛び散ります。
「が……っ」
「この野郎!!」
鮮血を浴びないように避けると次の男性が襲いかかり、降り降ろされようとしていた剣を避け、すかさずスティレットを相手の腹に、抉えぐるように刺します。
「がはっ!」
「よくも……よくも……っ!!」
怒りで我を忘れます。
ドレスにかからないようにしながら、刺したスティレットを相手の腹から抜くと鮮血が飛び散りました。刺した相手の剣を奪い、蹴りを入れて倒して踏みつけ、確実に止めを刺すため心臓めがけて剣を刺そうとすると、どこからか「ルナマリア、殺すな! 生け捕りにしろ! 命令だ!」と声が聞こえたのです。
それはよく知った声でした。
『兄の命令は絶対』なのですから。
***
「ル、ナ……?」
「喋るな!」
「へ……き、さ」
駆け寄ってきたレオンハルトに支えてもらいながら身体を起こすと、首を掻き切った相手をよけ、ルナマリアを襲おうとしていた男が急に動きを止めて吐血する。
「よくも……よくも……っ!!」
ルナマリアの怒りの声がする。
「レ、オン、ルナ一人じゃ……」
「大丈夫だ」
「だが……」
ルナマリアに目を向けると、少し横に動きながら刺したスティレットを相手の腹から抜き、鮮血が飛び散るところだった。刺した相手の剣を奪い、蹴りを入れて倒して相手を踏みつけ、確実に止めを刺そうとするルナマリア。
焦ったレオンは叫ぶ。
「ルナマリア、殺すな! 生け捕りにしろ! 命令だ!」
そう言うと、レオンは自分の懐から小瓶を出して黄色と緑色の小粒を取り出し、俺に口を開けさせるとその粒を放り込む。「我が家の薬だ。吐くなよ」と言いおいて、腹に刺さったナイフを抜かないように気を付け、俺の服を脱がしにかかった。
だが。
「……ザック?」
「ルナ、すげえなあ。騎士団の騎士より強いんじゃねえか? ――マジで惚れ直す」
語尾にハートがつくほどの、甘くうっとりとした俺の声に、レオンは目を眇めて俺を見る。
「……おい」
「ちゃんと刺さってるって!」
結局服を裂いて前を開き、上半身裸にすると、確かにナイフが刺さっていた。そこから出血していたが、レオンが思っていた程の出血ではなかった。
もちろん、俺も。
「抜くぞ」
「……抜いてほしくないんだけど」
「毒が塗ってあったらどうすんだ! 抜くぞ!」
レオンは自分の服の袖を引きちぎって丸め、ナイフの側に置く。
動くなよと俺に言いおいてから腰からぶら下げていたポーチを探り、塗り薬と水、念のために何かの丸薬を用意した。そして何か考えながら眉間に皺を寄せつつ、何かの丸薬を先に口に放り込む。
「解毒薬だ。念のためだから、吐き出すなよ?」
そう言って水を飲ませてくれるレオン。それから有無を言わせずにナイフを引き抜き、すぐに丸めた袖を押し付け、止血する。
その手際のよさを、ボーッと眺めていた。
***
「レオン、痛てえって!」
「我慢しろ! 処女か、お前は! これは自分で押さえてろ!」
「処女って……痛たたた……」
(血が変色してる……くそっ! なんだ?! なんの毒だ?!)
薬草学を……ホルクロフト家だけの薬草学を勉強したのは妹だけだ。そのことに焦る。
(くそっ! やっとけばよかった! 今の薬が効くことを祈るしかない!)
もう片方の袖も引きちぎり、更に半分に引き裂くと一つは丸め、一つは切り込みを三つ入れ、一本の長い包帯状にする。押さえていた手を退けさせ、押し付けていた袖をはずすと変色した血と鮮血が混じっていた。
丸めた袖の一つをもう一度押し付けて血を吸わせると、今度は鮮血のみになった。
ポーチから消毒液の入っている小瓶を出し、ちょっと口に含んで消毒し、吐き出す。
「染しみるぞ」
「え?」
そういい置いて今度はちゃんと口に含み、押し付けていた袖をとった途端、傷口に向かって霧吹き状に吹き掛けた。
「いっ?!」
「だから染みると言っただろうが!」
塗り薬を塗り、もう一つの包帯状にしたもので、とりあえず傷口を塞いで縛る。
「道具や薬が足らん。あとできちんと治療してやる」
「あー……すまんなあ……。それにしても、何か、身体が熱いんだが……」
そう言われてバルザックの額に手をやると熱が出ていた。
「まずいな……」
そう呟いたあと、ドカッと言う音がし、最後の一人を昏倒させて妹がこちらに戻って来る。
「バルザック様! お怪我は!?」
「ああ、ご覧の通りさ……」
「ああ、なんて酷い……! やっぱり殺っておけばよかった!」
「せっかくの証人を殺さないでくれ……」
私は苦笑をしながらも、遅れ馳せながらやって来た騎士団員達に指示を出しながらそっとその場を離れ、二人きりにしてやった。
***
「ルナ……俺の、お姫様……ますます惚れ直しちまったよ……」
「バルザック様……」
「何か……、目が霞んで、ルナマリアの顔が見えない……」
「い、や……置いていかないで……! 一人にしないで!」
「一人じゃないさ……俺は、お姫様の側にずっといる……」
バルザック様の青ざめた顔の瞼が落ちて行きます。
「嫌! 死なないで! やっとわかったのです……貴方が好きだと……!」
「ルナ……俺のお姫様……俺も、好きだ。もし生きて帰れたら……何でもしてくれる?」
「何でもしますし、何でも貴方の言う事を聞きますわ! ですから……っ、死なないでくださいませっ!」
青ざめた顔の瞼が、いきなり開かれました。目が会った途端、ニヤリと微笑まれ、騙されたことに気づきます。
「い、今の」
「何でもするんだよな?」
「で、ですから、あの」
「何でも言うこと聞くんだよな?」
「そ、それは……っ」
いきなり腕を引かれてバルザック様に倒れ込みます。その状態のまま頭を押さえつけられ、キスをされました。
「んんーっ! ……んっ……う、ぁ」
――身体が熱くなるような、大人のキスを。
唇が離されたあと、コツン、と額同士をくっつけられます。少しだけ怒っているバルザックの淡蒼の瞳が、目に入りました。
「……心配させんじゃねえ」
「……申し訳ありません」
「俺でいいんだな?」
「はい。やっとわかりましたから」
「結婚しよう、ルナマリア」
「はい」
チュッ、ともう一度唇が合わさり、離れるとバルザックが倒れてしまいました。
「バルザック様?!」
それに慌ててよくみると、かなり青ざめています。額に手をやるとかなり熱いのです。
ちょうどそこへ兄が戻って来ました。
「ルナ……これなんだが、何の毒だ? とりあえずは解毒薬を口に放り込んでおいたが……」
バルザック様を気遣いながら、変色した血の着いた布を見せられました。臭いや変色具合から、アレだろうと見当をつけます。
「我が家の解毒薬を飲ませたのなら大丈夫でしょう。毒は……おそらくジギタリスです。調合したのは知識のない者だったのでしょう……死にはしませんが、しばらくは熱が出ます」
「なるほど」
兄と一緒にバルザック様を見下ろし、兄は何か考え事を、わたくしは薬草の調合と看病が大変そう、と考えていました。
(バルザック様に会えなかったのは、明らかに兄さまの陰謀よね……)
お見舞いに持って行くお菓子を作りながら、ふとそんなこと思う。思って、首を傾げます。
(あら? わたくし……ジュリアス様のところに行くより、バルザック様に会えるほうが嬉しい……?)
「うーん……」
「何を唸ってるんだ?」
「あ、レオン兄様」
「うまそうだな」
「もう、勝手に食べないでくださいませ! 兄さまのはこっちですわ!」
手をピシャリと叩き、別のお皿を渡します。せっかく作ったのに、勝手に食べられては困ります。
「それ、お父様のリクエストだから全部食べないでくださいね?」
「うっ?! ごほっ! げほっ!」
「ちょっ……兄様、大丈夫ですか?!」
ちょうど食べたばかりのあたりで声をかけてしまったのだろう。咽ている兄の背中をさすり、傍らにあった自分用の冷めた紅茶を渡しながら、悪いことをしてしまったかしらと内心思います。
けれど、バルザック様に会えないのは兄の陰謀と勝手に決めつけ、それ以上は何も言わないでおきました。
「はーっ、死ぬかと思った。あ、そろそろザックが迎えが来るんじゃないか?」
「え? もうそんな時間なのですか?! 大変、準備しなくちゃ!」
お見舞いのお菓子とは別に、バルザック様用に作ったものも用意します。そろそろ迎えに来てしまうと慌てていたわたくしは、兄がなにやら呟いていたことにも気づきませんでした。
***
「……まるでデートに行くみたいに嬉しそうだよな」
バルザックの名前を出した途端、妹の顔がパッと綻ぶ。
最近、身体の調子がいい妹を見ながら、バルザックの言葉を思い出す。
「『気づいてないだけで、アイツの心がどこにあるのかわかってる』、か……」
確かにそうだなと、妙に納得した私だった。
***
行く前に「何があるかわからないから剣を持っていけ」と兄に言われましたが、「こんな格好で剣なんて把けるわけないでしょう?!」と突っぱね、護身用としてスティレットを二本持って行くことで納得させました。
そして途中で、聞きたくもない噂話が耳に入ってしまったのです。
辛いはずなのにそれほど辛くはないことに驚きました。だから、敢えてジュリアス様の噂話のことを聞いてみることにします。
「あの……バルザック様」
「ん? どうした?」
急に立ち止まってバルザック様に問いかけます。彼は、なんだ? という顔をしていました。
「あの……」
「ルナ?」
「ジュリアス様が結婚間近って……本当、でしょうか?」
ちょっと辛そうな顔をしたあと、慰めるようにポンポンと頭を叩いてくれた。
「噂では、な。実際はどうなのかわからんが」
「お相手の方は……」
「あー……俺はよくは知らんが、ラインバッハ侯爵家のお嬢様だと噂になってるそうだが……」
「そうですか……」
侯爵家のお嬢様ですか……と内心で呟きます。辛くて仕方がない話ですのに、どうして平気なのでしょう? むしろバルザック様にこうされているほうが嬉しいのはどうしてなのでしょう……?)
バルザック様が何か声をかけようとして口を開けたその時でした。キンッ、と空気が一瞬で張り詰めます。
それと同時に二人で同じ方向を向きました。
(さすが、お父様とレオン兄様が認めた方だわ)
端からは慰めているようにしか見えない状態で、二人で小声で話します。
「ルナ、今日、俺は一本しかない」
「わたくしはスティレットがありますし、いざとなったらあちらから奪いますから。バルザック様はどうなさいますか?」
「そうだな、奪うか。……少し下がってろよ?」
「はい」
バルザック様が急に手を繋いで来て、別の意味でドキドキします。
そして二人でゆっくりと歩き出そうとしたその時でした。出で立ちは黒装束。
けれど、顔をバッチリ晒している不審者十人ほどに囲まれたのです。
そのいでたちに、この人たち……絶対に馬鹿よね……と呆れてしまいます。
黒装束なのに肝心な顔を隠していないのです。もしジュリアス様襲撃の残党だとしても、『ホルクロフト家なら絶対にあり得ないミスだ』と兄なら言うでしょう。
その時、一人の男性が声をかけてきました。
「……バルザック・リーヴスだな?」
「おや、俺ってば男にもモテモテ? でも、すまんなぁ。俺はコイツしか目に入らないんだ……よっ!」
「ぐあっ!!」
本当にもててたら嫌だわ、と思いつつ、バルザック様が動いたと同時に彼の邪魔にならないよう、スッと下がります。
先手必勝! とばかりに声をかけてきた男性を襲って昏倒させ、腰に差していた剣を奪ったその手法は、実に鮮やかでした。そのことに感心します。
「なっ!? 貴様! やれっ!」
「うわぁ……何かやな感じ!」
わたくしも同感です!
腰に隠していたスティレットを出し、襲ってくる輩を確実に昏倒させます。もちろん殺気を醸し出してる方は確実に殺します。
けれど、確実に数を減らしているはずなのにどこから涌いて出るのか、中々減らないことに業を煮やし始めたその時でした。
「貴様ら、何をやってる?!」
レオン兄さまの声……? そう思った瞬間でした。
「ぐはっ!」
「バルザック様!?」
バルザックが叫びました。振り向くと、左腕と腹にナイフが刺さっていたのです。
「こんの……!」
腕に刺さったナイフを抜き様に、殺気のする方向へナイフを放つバルザック様。断末魔の声のあとで、ドサリと何かが落ちた音がしました。どうやら命中したようです。
(う、そ…よね…?)
けれど、わたくしは微かに身体が震え、兄がバルザックに駆け寄って行くのをぼんやりと見つめます。
「ザック?! 大丈夫か!」
(い、や……)
わたくしだけを見つめる、優しい笑顔が喪われてしまう。
そんなのはいやです……許されません。
「バルザック様……?! 嫌ーっ!!」
「余所見なんかしてんじゃねーよ、ネエチャン!」
その声に反応し、振り向き様に相手の喉を掻き切ると鮮血が飛び散ります。
「が……っ」
「この野郎!!」
鮮血を浴びないように避けると次の男性が襲いかかり、降り降ろされようとしていた剣を避け、すかさずスティレットを相手の腹に、抉えぐるように刺します。
「がはっ!」
「よくも……よくも……っ!!」
怒りで我を忘れます。
ドレスにかからないようにしながら、刺したスティレットを相手の腹から抜くと鮮血が飛び散りました。刺した相手の剣を奪い、蹴りを入れて倒して踏みつけ、確実に止めを刺すため心臓めがけて剣を刺そうとすると、どこからか「ルナマリア、殺すな! 生け捕りにしろ! 命令だ!」と声が聞こえたのです。
それはよく知った声でした。
『兄の命令は絶対』なのですから。
***
「ル、ナ……?」
「喋るな!」
「へ……き、さ」
駆け寄ってきたレオンハルトに支えてもらいながら身体を起こすと、首を掻き切った相手をよけ、ルナマリアを襲おうとしていた男が急に動きを止めて吐血する。
「よくも……よくも……っ!!」
ルナマリアの怒りの声がする。
「レ、オン、ルナ一人じゃ……」
「大丈夫だ」
「だが……」
ルナマリアに目を向けると、少し横に動きながら刺したスティレットを相手の腹から抜き、鮮血が飛び散るところだった。刺した相手の剣を奪い、蹴りを入れて倒して相手を踏みつけ、確実に止めを刺そうとするルナマリア。
焦ったレオンは叫ぶ。
「ルナマリア、殺すな! 生け捕りにしろ! 命令だ!」
そう言うと、レオンは自分の懐から小瓶を出して黄色と緑色の小粒を取り出し、俺に口を開けさせるとその粒を放り込む。「我が家の薬だ。吐くなよ」と言いおいて、腹に刺さったナイフを抜かないように気を付け、俺の服を脱がしにかかった。
だが。
「……ザック?」
「ルナ、すげえなあ。騎士団の騎士より強いんじゃねえか? ――マジで惚れ直す」
語尾にハートがつくほどの、甘くうっとりとした俺の声に、レオンは目を眇めて俺を見る。
「……おい」
「ちゃんと刺さってるって!」
結局服を裂いて前を開き、上半身裸にすると、確かにナイフが刺さっていた。そこから出血していたが、レオンが思っていた程の出血ではなかった。
もちろん、俺も。
「抜くぞ」
「……抜いてほしくないんだけど」
「毒が塗ってあったらどうすんだ! 抜くぞ!」
レオンは自分の服の袖を引きちぎって丸め、ナイフの側に置く。
動くなよと俺に言いおいてから腰からぶら下げていたポーチを探り、塗り薬と水、念のために何かの丸薬を用意した。そして何か考えながら眉間に皺を寄せつつ、何かの丸薬を先に口に放り込む。
「解毒薬だ。念のためだから、吐き出すなよ?」
そう言って水を飲ませてくれるレオン。それから有無を言わせずにナイフを引き抜き、すぐに丸めた袖を押し付け、止血する。
その手際のよさを、ボーッと眺めていた。
***
「レオン、痛てえって!」
「我慢しろ! 処女か、お前は! これは自分で押さえてろ!」
「処女って……痛たたた……」
(血が変色してる……くそっ! なんだ?! なんの毒だ?!)
薬草学を……ホルクロフト家だけの薬草学を勉強したのは妹だけだ。そのことに焦る。
(くそっ! やっとけばよかった! 今の薬が効くことを祈るしかない!)
もう片方の袖も引きちぎり、更に半分に引き裂くと一つは丸め、一つは切り込みを三つ入れ、一本の長い包帯状にする。押さえていた手を退けさせ、押し付けていた袖をはずすと変色した血と鮮血が混じっていた。
丸めた袖の一つをもう一度押し付けて血を吸わせると、今度は鮮血のみになった。
ポーチから消毒液の入っている小瓶を出し、ちょっと口に含んで消毒し、吐き出す。
「染しみるぞ」
「え?」
そういい置いて今度はちゃんと口に含み、押し付けていた袖をとった途端、傷口に向かって霧吹き状に吹き掛けた。
「いっ?!」
「だから染みると言っただろうが!」
塗り薬を塗り、もう一つの包帯状にしたもので、とりあえず傷口を塞いで縛る。
「道具や薬が足らん。あとできちんと治療してやる」
「あー……すまんなあ……。それにしても、何か、身体が熱いんだが……」
そう言われてバルザックの額に手をやると熱が出ていた。
「まずいな……」
そう呟いたあと、ドカッと言う音がし、最後の一人を昏倒させて妹がこちらに戻って来る。
「バルザック様! お怪我は!?」
「ああ、ご覧の通りさ……」
「ああ、なんて酷い……! やっぱり殺っておけばよかった!」
「せっかくの証人を殺さないでくれ……」
私は苦笑をしながらも、遅れ馳せながらやって来た騎士団員達に指示を出しながらそっとその場を離れ、二人きりにしてやった。
***
「ルナ……俺の、お姫様……ますます惚れ直しちまったよ……」
「バルザック様……」
「何か……、目が霞んで、ルナマリアの顔が見えない……」
「い、や……置いていかないで……! 一人にしないで!」
「一人じゃないさ……俺は、お姫様の側にずっといる……」
バルザック様の青ざめた顔の瞼が落ちて行きます。
「嫌! 死なないで! やっとわかったのです……貴方が好きだと……!」
「ルナ……俺のお姫様……俺も、好きだ。もし生きて帰れたら……何でもしてくれる?」
「何でもしますし、何でも貴方の言う事を聞きますわ! ですから……っ、死なないでくださいませっ!」
青ざめた顔の瞼が、いきなり開かれました。目が会った途端、ニヤリと微笑まれ、騙されたことに気づきます。
「い、今の」
「何でもするんだよな?」
「で、ですから、あの」
「何でも言うこと聞くんだよな?」
「そ、それは……っ」
いきなり腕を引かれてバルザック様に倒れ込みます。その状態のまま頭を押さえつけられ、キスをされました。
「んんーっ! ……んっ……う、ぁ」
――身体が熱くなるような、大人のキスを。
唇が離されたあと、コツン、と額同士をくっつけられます。少しだけ怒っているバルザックの淡蒼の瞳が、目に入りました。
「……心配させんじゃねえ」
「……申し訳ありません」
「俺でいいんだな?」
「はい。やっとわかりましたから」
「結婚しよう、ルナマリア」
「はい」
チュッ、ともう一度唇が合わさり、離れるとバルザックが倒れてしまいました。
「バルザック様?!」
それに慌ててよくみると、かなり青ざめています。額に手をやるとかなり熱いのです。
ちょうどそこへ兄が戻って来ました。
「ルナ……これなんだが、何の毒だ? とりあえずは解毒薬を口に放り込んでおいたが……」
バルザック様を気遣いながら、変色した血の着いた布を見せられました。臭いや変色具合から、アレだろうと見当をつけます。
「我が家の解毒薬を飲ませたのなら大丈夫でしょう。毒は……おそらくジギタリスです。調合したのは知識のない者だったのでしょう……死にはしませんが、しばらくは熱が出ます」
「なるほど」
兄と一緒にバルザック様を見下ろし、兄は何か考え事を、わたくしは薬草の調合と看病が大変そう、と考えていました。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
477
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる