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第七章
夢も信念も
しおりを挟む「…おやすみなさいかな」
それから、薬(阿芙蓉)の作用で睡魔に襲われた彼はシアンの胸で瞼を閉じ始めた。
それに気付いたシアンはようやく彼を解放して、再び寝台に寝かせてやる。
「…シアン……まだ……言ってない」
「……?」
「お礼……あの時、助けに来てくれて……」
「…いいよ。もう、おねむり」
「う……ん……」
興奮して叫んでたくさん喋ってその疲れもあるのだろう。
パシパシと瞬きを繰り返した目は、安心したようにゆっくりと閉じて開かなくなった──。
シアンは布団を綺麗にかけ直して、彼の裸体を隠す。
「…お待たせしました。もう入って結構ですよ」
「……」
それからシアンが、オメル以外の何者かに向かって声をかけた。
すると部屋の扉が開く。
「──…気付いていたのか。勘のいい奴だ」
入って来たのはこの邸宅の主、バヤジットだった。
バヤジットは大きな片手に複数の器を持ち、それをシアンに差し出す。
「食べろ、お前たちの夕食だ。…片方は寝たようだが」
「…!? バシュ(将官)ともあろう御方がわざわざ…?このような事までして頂かなくとも」
「王宮へ出向いた帰りに、ついでに宿舎で調達しただけだ。それにあそこの食堂は無法地帯だが、俺が顔を出せばそれなりの牽制になる」
「ですが…」
「よく分からんところで歯向かうな」
べつに歯向かった訳では無いのだが、バヤジットは怒ったふうにずいと器を突き出した。
夕食が盛られたそれらを受け取ろうとする。ただ、シアンの片手で複数の器は受け取れずどう貰うべきかと悩んでしまう。
「…どうした、食欲が無いのか?」
「いえ…」
さらに言えば、鼻先に差し出されたそれらは四人前かと思うほどの量で、小食なシアンがそれだけで食欲を失くしたのは事実でもある。
「もう少し後で、彼が目を覚ましてから僕も頂きます」
「ならそうしろ」
シアンが誤魔化して笑うと、今度はあっさりと承諾してバヤジットは器を卓上に置いた。
「それから今後は宿舎へ近付くな。建て前上 兵団の雑務は続けてもらうが、訓練に顔を出す必要もない。食事は朝と晩にここへ運ばせる」
「…っ…いえ、流石にそこまで甘える訳にいきません」
「甘えではないだろう。黙って俺の言う通りにすればいい」
横でオメルが起きていればすぐさま礼を言うだろう。しかしシアンは複雑な顔でバヤジットを見上げた。
「それほど僕たちが邪魔ですか」
「……!」
バヤジットの言動が自分たちへの単純な優しさからではないと気付いている。
…とは言え彼が何か企みを隠し持っているわけではない。この男はいつも実直で、誠実であるが故に嘘をつこうとしないだけだ。
「そうだな……邪魔だ。お前の存在は兵団にとって害でしかなく、扱い辛い」
「だから貴方は僕をこの部屋へ閉じ込めようと?」
「…っ…クルバンは悪しき慣習だが未だに続いている。上流貴族の推薦を受けたお前を追い出すのは俺であろうと難しい。であればこれが最善だろう」
「波風を立てず他の兵士を刺激せずバシュの監視下でひっそりと暮らす……確かにそれが最善ですね。貴方の兵団を守るために」
「そういう事だな」
「…そこまで兵団の質にこだわる理由をお聞きしても?」
「問われるまでもなく、キサラジャと陛下をお守りする為だ。それが近衛兵である俺の信念だからな」
信念
それを聞いたシアンの表情が、一緒の間をあけた後──ほんのりと柔らかく、それでいて苦しげに染まった。
「それは──…素敵な理由ですね」
羨ましいと、ボソリと呟いた言葉はバヤジットに届かない。
「待て、どこへ行く?」
「外へ出ます」
「お前は俺の話を聞いていなかったのか…っ」
「聞いておりました。貴方の使命も信念も真っ直ぐで美しい。……そして正しい」
「では…」
「しかし僕にもここへ来た目的があるのです。それは貴方の庇護下にいては叶わぬ事だ」
シアンは相手の横を素通りして外へ出た。
温かいような重苦しいような塊が、彼の魂にこびり付く。
あの笑顔もあの強い眼光も、シアンには縁遠い存在だ。
夢も
信念も
シアンには無い。……いや、失くしただけか。
きっとずっと昔に失った物だ。
取り戻せない──。
もう二度と、手に入れる事はないのだろう。
──…
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