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第九章
バールの朝
しおりを挟む王都ジゼルの円形広場に面したバールで、バヤジットは朝食をとっていた。
貴族のみが暮らすクオーレ地区とは違い、外の街はこの時間、商人達の食事や買い付けで賑わいを見せる。と言えど、ふた月前と比べて目に見えて人の数が減ったのは──砂嵐の季節が近付いたのと、帝国とのいざこざが原因か。
活気が失われた広場を横断してバザールの方角へ荷物を運んでいるのは、隊商宿から出てきたラクダ乗り達だ。
「近ごろの街道は危険みたいですぜ。なんでも帝国の土地じゃあ、わたしらキサラジャの隊商が盗賊に襲われても知らんぷりなんですわ。どうぞ襲ってくださいって帝国がけしかけとるとも言われとります」
「……」
上の空なバヤジットに世間話をしているのは、目の前の石窯で豆のスープを混ぜている亭主。
釜の奥で煮込まれすぎた豆を取り除き、調理用の臼の中に入れていた。練り料理にでもするようだ。
「びびって動けないキャラバンが多くて材料の仕入れもひと苦労です。…聞いていらっしゃいますか将官さま」
「将官さまに気安く話しかけるんじゃないよ、バカだねぇ」
お喋りをやめない男に対しては厨房からピシャリと苦言がとぶ。
奥から出てきた亭主の娘が、カウンターに座るバヤジットへ湯気の立った器を差し出した。
「炊き飯です、どうぞ」
「……俺は頼んでいないが」
「将官さまにサービスです!」
香辛料が芳ばしい炊き込み飯を置いて逃げるように戻っていく。
「おおいふざけるなぁ家にそんな余裕は無いぞ!」
亭主は客前にも関わらず、逃げた娘を大声で怒鳴っていた。
どうしてサービスされているのかわからないバヤジットが黙っていると、すぐ隣りの椅子を引いてスっと座った者がいた。
シアンだ。
彼はカウンターに背を向けて座り、バヤジットを覗き込んだ。
「芳ばしい香りですね、その炊き飯」
「…っ、シアンか」
「ええ僕です。おはようございます」
今朝のシアンは隊服を着ていた。ウッダ村から戻ったあの日に、今後はそうするようバヤジットがきつく命じたからである。
「邸宅にいらっしゃらないと思ったらここで朝食をとっていたのですね」
「こういう人が集まる場所は情報収集に向いているからな」
「のわりに、話が弾んでいるようには見えませんでしたけれど?」
「……」
「…?」
「…っ…いや、少し昔の事を思い出していて……な。そのせいだ」
「そうですか」
とくに興味もなさそうなのに、人懐く関わろうとしてくるシアン。
そんな彼の顔を数秒見つめたバヤジットは、目線が合わさったことで我に返り、弾かれるように目をそらした。
「お前こそ何用だ、シアン。いくら俺にまとわりついたところで王宮警備兵にしてやる事はできないぞ」
「ああ…あれ、僕の頼みを覚えていたのですね。ほんの冗談ですから気にせず忘れてください」
「だったら俺に付いてくるな」
「それは誤解ですね。ここでバシュと会ったのは偶然ですよ?」
席についただけで注文をしないシアンは、ニコニコとよからぬ笑顔をバヤジットに向けてそんな事を言っている。
「俺の家から遠いうえにクオーレ地区の外だぞ?偶然出会ってたまるか」
「そう睨まれましても……。だって貴方がお命じになったのでは?」
「ん?何の話だ?」
「──あそこ、彼は大喜びです」
「──?」
シアンが手を上げて、広場のほうを指し示す。
振り返ったバヤジットがその先を目で追うも、何人もの人間がいてシアンが何を指しているのか判断できない。
「ん……?」
すると広場の反対側から、明らかにこちらを目指して走ってくる人影があった。
その少年は、見習い用の隊服を着ている。
口に入れた何かをもぐもぐと呑み込んで、走る彼はシアンの前で止まった。
「見つけたよシアン!迷子になっちゃダメじゃないか」
「僕はずっと君を見張っていたから大丈夫」
「そうなのか?ならいいよ」
朝っぱらから元気いっぱいな声で話しかけてきたのは、シアンと同じくバヤジットの邸宅で匿われているオメルだった。
今の彼が食べているのは、开心果を砕いて小麦と混ぜた焼き菓子だ。
「よっ、バヤジットさま!このたびはすごく世話になりましたありがとう!」
「っ…!? 」
「……オメル、敬語がちょっと不自然だね。今度僕が教えようね」
「そ、そうか?ごめんなさい」
シアンに指摘されて素直に謝ったオメル。
バヤジットは俯いたオメルをまじまじと見下ろした。
兵団の部下であったなら叱咤したであろう。そんな短気なバヤジットでも、この少年を怒るのは気が引けた。
お互い黙ってしまったので、代わりにシアンが間を取り持つ。
「浴場で湯治をしてくるようにと、オメルに外出許可をくださいましたね?それで彼はクオーレ地区から出てこられたのです」
「なるほどな。それでお前達はここにいるのか」
「オメルひとりで街を歩かせられないので、こうして僕もついてきました」
「まぁそれがいいだろう。お前も ついでに 身体を休めてこい」
「……」
「…っ…まだ何か用か」
シアンが相変わらずの笑顔を貼り付けてこちらを見るので、バヤジットは悪い予感しかしない。
「言いたい事があるなら早く──ッ」
「…お気付きですか、バヤジット・バシュ。僕とオメルのふたりで出向けば、浴場でナニが起きるのか」
「ナニがとは、何がだ」
「……愉しい時間になりそうですネ 。僕は身体を休めるどころではなくなりそうですが」
「……!!」
シアンの意図を察したバヤジットが、舌を打つ代わりに歯を強く食いしばる。
広場の石畳を睨んで、その後オメルを睨んで、隣のシアンを横目に睨み付けて──
最後に目を閉じたバヤジットは、声を震わせて呟いた。
「待て、俺も共に行く……!!」
「そうですか。僕達はいっこうに構いません」
「──???(えっえっ?大丈夫か?バヤジットさますごい顔が怖いけど大丈夫か?)」
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