銀狼【R18】

弓月

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雨の鎮魂歌

雨の鎮魂歌_3

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 ローは行ってしまった。

 ……セレナは止める事ができなかった。

 脱力して立ち尽くす彼女の足の裏からは、岩の冷たさが直に伝わってくる。

“ 止めなくてはならなかった…… ”

 何としても、どんな手を使っても……彼を引き留めなくてはならなかったのに。

「ごめんな さい…っ」

 セレナが黙って見送る事しかできなかったのは、ローの無表情の背に、有無を言わせぬ怒りの色が含まれていたから。

 その怒りの矛先は " 人間 " である自分にも等しく向けられているのだと知っているからだ──。



 暮色は消えた。

 厚い雲が現れ

 滝とは別の水音が、彼女の耳に届く。



ポチャ ──ポツッ



 セレナは胸の前で手を組んだ。



 組んだ手に、閉じた瞼に──

 落ちる雨粒の異様な重たさよ。

 次第に雨の勢いは増していき、彼女の髪をドレスを、容赦なく濡らした。

 それに合わせて、徘徊していた狼達は各々の巣に入っていく。野生の獣にとって雨で体温を下げることは命取りなのだ。

 そうして、ただひとり祭壇前に残されたセレナは、両手を握り合わせ、星のひとつとして臨めない吹き抜けの空を仰いだ。

 雲の縁を白く照らす…其処に在る筈の月を

 雨雲の向こうに在る月を、濡れた顔で見上げた。


 この状況で──彼女は何を祈るのか…。


 仔狼の安否か

 ローの帰還か

 それとも、新たな流血の可能性を嘆いているのだろうか


 しかしセレナの祈りが届くには、空の月はあまりにも遠く、其の光はあまりにも弱々しかったのだ……。




 大地を叩く雨。

 そして──出口の洞窟から音がする。




「──…っ」

 咄嗟に向けた彼女の目に映ったのは、銀の毛皮を纏った大きな狼だった。

「ロー!…──ッ」

 セレナは駆け寄ろうとした。だが、その足はすぐに止まってしまう。

 ぬかるんだ地面から止まった勢いで泥が跳ねた。

パチャ!

 洞窟から出てきた銀狼の、その口に、焦げ茶の狼が咥えられている。

「…そん な…」

 小さな狼の姿

 ──まだ子供である事は明らかである。

 咥えられていた仔狼は背中から血を流し、ぐったりと動かなかった…。

 銀狼はゆっくりと動き出した。

 彼の帰還に気付いた狼も穴から姿を現しその周囲に集まりだす。


 益々激しさを増した雨が──

 彼等の毛皮を打ち付けた。

 耳鳴りのように頭の奥まで響いてくる。


「……」


 彼は仔狼の身体を岩場の上に静かに寝かせ、前に立ち尽くすセレナと一瞬だけ目を合わせると、その横をすり抜けて湖へと進む。

 セレナは振り返ったが、彼は此方に背を向けた。

 そして銀狼は畔で一度立ち止まると湖の奥──滝壺へと飛び込んだ。



バシャっ...



 滝の奥に映る影が、獣から人の形に変わっていく。

 セレナは彼の後を追って湖の畔に歩いた。

 ……するとその瞬間

 背後から一匹の狼が咆哮ホウコウをあげた。


「──…ッ」


 互いに頃合いを計ったように、それは数匹に増えて咆哮の声も大きさを増す。

 尾を長く引くその声は威嚇的な吠え方ではない。

 彼等は動かない仔狼を取り囲み、涙を溢す天を仰いで透き通った声を聖地に響き渡らせた。

 ──幼い頃から

 森から聞こえる狼の遠吠えは、夜眠れなくなるほどの恐怖を彼女に与えてきたものだ。

 けれど今彼女が聞くこの遠吠えは、これ以上無いほどの悲しみを帯びた、……まるで鎮魂歌。

 切ないレクイエムだった──。




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