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10 雨。
しおりを挟む目を閉じたまま私の両手首をやわらかく手のひらで包んでいたヒューをじっと見つめ続けていると、時折、元々濡れていた髪の毛から雫が小さく滴り落ちた。
ヒューの黒い髪にある雫たちは、キラキラとしていてとても綺麗だった。
雨はまだまだ強く降り続いている。
暫くしてヒューがやっと目を開けた時、穏やかな顔をしてとろけるように微笑んだから。なんだか私もとても満ち足りた気持ちになって。
「ありがとう。吸収して整えてくれたの解った。疲れちゃってない? 大丈夫……?」
「大丈夫。こちらこそありがとう、整えたかったの、とっても。だから嬉しい」
意外な答えが返ってきて。
でもその笑顔が嘘は言っていないことを証明してくれていたから、少しむず痒い気持ちになった。
急にヒューの手のひらで包まれたままの腕が恥ずかしくなって、雨を避けていたシールドを解除してヒューの手からも抜け出して屋根から飛び出した。
雨に濡れるのも、水に濡れるのも、本当は苦になることは一つもなくて。
いつもラディ兄さんの豊かな水の魔力があったから、どちらかというと水は得意な方だった。
「ニナ! 濡れちゃうからダメだよ」
慌てて私の手を引いて屋根の下へ戻そうとするヒューを逆に引っ張って、二人で雨の中へ出た。
ヒューの黒い髪に、あれよあれよという間にキラキラな雫が増えていく。そして私の髪も、同じ雫に包まれていったから。それがとても嬉しくて。
「気持ちいいね、南の雨は」
そう言って雨の中でヒューを見たら。
―――急に近づいてきたヒューの赤い瞳、とても大きく見えて。
それからすぐ、私の唇にさっきのアイスティーの香りがちょこんとのった。
あ、キスだ。暫くしてそう気付いた時にはもう唇は離れていて。
目の周りを赤く染めた余裕のない瞳のヒューがいた。私を上から覗きこむように見ていた。
どうして? 本当はそう聞きたかったけど、雨も降り続いていたし余計なことはどうでもよくなって。
「唇からも【吸収】ってできるの……?」
そう聞いてみたら。「やったことない」ってぶっきらぼうに答えて目を逸らすから。「やってみて」そう答える代わりに雨の中、ヒューの首筋に巻き付いてみた。背の高いヒューだから、それはうんと背伸びをしなければならなかった。
ヒューの胸が思ったより広くて頼もしくて心強いなと思った。
私の頬から耳へ流れるように触れてきたヒューの指先に、私は絡め取られてもう一度、ただただくちづけを受け入れるしかなかった。
私の頭の後ろを支える大きなヒューの手のひらが、勢いで少し震えた感じがして、なんだかとても可愛いと思ってしまった。そしてとても心地がよかった。
さっき手首から感じた澄んでいくような感覚が、唇からぐんぐん伝わってくるような気がした。
唇がゆっくりと離れると、はぁ……と溺れる少し前のような熱い息をヒューが漏らすように吐いた。
九年前を除けばまだ会って二日目だよねと、その軽さに呆れた気持ちに全くならないかったのは。ヒューの赤くなった頬と、慣れてなさそうな息遣いがあったからかもしれない。
雨を降らせる黒い雲に覆われた空のせいで、辺りはいつもより薄暗くて。
傘もささずにずっと雨に濡れ続けていることが非現実すぎて、いつもと自分が違うような気がした。
それだけのこと。
何かが始まりそうとかスイッチが入るとか、そういうのは今はどうでも良かった。
嬉しそうに喜んだ人が、もっと喜んでくれたらそれだけでいいと思った。
「だいぶ濡れちゃったね、大丈夫?」
ヒューが私の髪を手にとって、雨の中でそう言った。
「うん、大丈夫。泊まっているホテルここから近いし、着替えもあるから。ヒューは大丈夫? そろそろお姉さんも仕事終わった頃じゃない……?」
「……うん。中に入ろうか」
そう言って階段を駆け上がり、もうとっくにずぶ濡れだったけれど屋内まで並んで走った。
扉の前で濡れた雫を払おうと試みたけど、払いきれないほどに服はずぶ濡れで。二人でどうしようか考えていると、廊下の向こう側からホルヴァートさんとフィーが歩いてきて
「ちょっと、びしょ濡れじゃない……! 何やってるのよ!」
またしても私はフィーに怒鳴られた。
ホルヴァートさんが慌てて取りに行ってくれたタオルで髪を拭きながら、ヒューと二人だけの秘密をヒューと二人だけでこっそり笑いあった。
私はホルヴァートさんに傘を借りてまだまだ強い雨の中を濡れた服のままホテルへ戻ると、すぐに着替えて借りたタオルと濡れた服を洗濯して。
遠方と話ができきる魔導具の通信機に魔力を流し込み、北の本家に居るラディ兄さんに連絡をした。
その答えを聞いて、明日ヒューに私の魔力を起こして貰うことにした。
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