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005.残業禁止
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先日、やっと転職先が決まった。
以前働いていた会社が倒産してからはや半年。心が折れそうにもなったが諦めなくてよかった。
「本日からよろしくお願いします!」
私が入社したのは中規模の会社であった。別段実績がある訳でもない、どこにでもある会社だ。言ってしまえば有象無象である。
以前と同じ職種とはいえ、入社してすぐは教育係がついた。三十二歳独身男性の木村さんだ。
特筆すべき特徴など何も無い彼である。社内での実力も立場も中堅といった感じで、あくまでも会社についての規則などを教えてくれるらしかった。
何故か、最初に教えてもらったのは残業についてであった。別に、サービス残業が――とか言うことではない。むしろその逆だ。
「この会社、基本的に残業禁止なので気をつけてください。どうしてもやらなければならないことがあっても、遅くとも二十一時には帰るようにしてください」
超ホワイトであった。残業禁止という予想外のルール。私の転職先はどうやら当たりであったようだ。
その後も、この会社について教えてもらったが、最初の残業禁止以外は以前務めていた会社とあまり変わらない。
とりあえず、ホワイト企業であったことに安堵しながら、この会社に貢献しようと思った。
入社から数ヶ月、何不自由なく新たな生活を送っていたある日、『残業禁止』の理由を知ることとなった。
その日は大きな商談を終え、同僚と飲みに行った。
そろそろお開きにしようかという頃、私は自分のスマートフォンが行方不明になっていることに気づいた。
商談の後に会社に一度戻っているため、恐らく自分の机の上に置いてきたのだろう。
「すみません、会社にスマホ置いてきてしまったみたいなので、取りに戻ります。先に帰っててください」
私がそう言うと、同僚は少し考えたあとに私に言った。
「それ、明日じゃダメなの? もう少しで二十一時になるから戻るのはやめた方がいいと思うんだけど……」
現在の時刻は二十時四十五分。たしかに今から戻ると二十一時になってしまうかもしれない。
だが、サッと行ってパッと取って帰ればいいじゃないかと私は思った。
正直なところ、この時は彼がなぜやめた方がいいと言ったのか、私はわからなかった。
「いえ、ないと困るので、スマホだけ取って直ぐに帰ります」
同僚は「そっか……気をつけてね」と複雑そうな顔をして先に帰った。
一人会社に着いたが、当たり前のように電気はついていない。
残業禁止というルールがある以上仕方の無いことだが、以前いた会社と比べると違和感を感じてしまう。
スマホだけ取って帰ろうと、自分の机へと向かう。しかし、悲しいことに私が作った資料が地面にち散らばっていた。
さすがにこれを見つけてしまっては、スマホだけ取って、はいさよなら、というわけにはいかない。
直ぐに帰宅するという選択肢は諦め、散らばった資料を集める。私以外誰一人いないという状況は初めてで、少し新鮮だった。
しかし、そんな呑気なことを考えている余裕はすぐに無くなった。
カタカタ……カタカタ……
急に社内で物音が鳴り始めた。私以外いないはずなのに、私から遠い場所で音が鳴っていた。
カタカタ……ガタガタ……
音は鳴り止まず、私は下を向いて集めた資料を眺めるしかなかった。
音の鳴り方が異常だったのだ。家鳴りだったりしたらすぐに分かるが、これはそうではなかった。人為的に鳴らされているのだ。
ガタガタ……コツコツ……
聞こえてくる音の質はどれも違う。どこから音が鳴っているのかがわからない。しかし、音はだんだん近づいて来るのがわかる。
この異常な状況に頭はついていかず、体も動かない。
フフフ……
耳元で聞こえた。幻聴ではない、確実に聞こえた。
私はこの瞬間、ここにいてはマズいと感じ、走り始める。会社から出なければ。
アレはなんなのか? そんなのどうでもいい。ひとまず外に、ここから外に。
そうして覚束無い足取りで、会社から脱出した。そのまま近くのコンビニへと駆け込み、少し頭を冷やした。
すると、先程の出来事が思い出され、恐怖よりも疑問が生じた。なぜ誰もいないはずなのに物音がしたのか、最後の声は何だったのか。
こういった現象――いわゆる霊現象のようなものとは無縁出あったが故、疑問と困惑が入り交じって訳がわからなくなった。
とりあえず、明日誰かにアレはなんだったのか聞こう。私は心にメモをして帰路に着き、眠った。
翌朝、昨日のことを聞くべく少し早めに出社した。
課長は当たり前のように自分の席に着いており、なにか作業をしていた。申し訳なさもあるが、意を決して話しかける。
「あの、課長。今更なんですけど、なぜこの会社は残業禁止なのですか?」
私がそう言うと、課長はニッコリと笑った。
「ああ、ダメだよ。二十一時以降に来ちゃったの? 体に不調はない?」
質問には答えて貰えず、体の心配をされた。隠していると言うよりも、心配しているから質問を無視した感じだ。
「はい、体は大丈夫です。それで、その、アレはなんなのですか?」
先程よりも少し突っ込んだ質問をすると、課長はゆっくりと語ってくれた。
曰く、アレはこの会社ができた以前からいたらしい。課長はその存在を感じたことはなく、『残業禁止』は伝統であるとされていたという。
今から十年ほど前まで、なぜ残業禁止であるかは上層部しか知らなかった。
しかし、とある社員がそのルールを破り、二十一時過ぎまで残っていたことで、残業禁止の意味が明るみに出たそうだ。
昔からいる、この世ならざる存在。
今までこの会社で危害を加えられたものは一人もおらず、その十年前の出来事以降は誰も遅くまで残らずに過ごしていたことで、私に詳細を教えなかったらしい。
誰ものルールを破っていないから詳細を教えないとは奇妙な話だが、霊現象が好きな人間が聞いたら、わざわざ残業してしまう可能性があるから、ということだろうか。
結局、アレの存在自体は一部の人の間では認知されているが、一体何なのかはわかっていないというのが現状だそうだ。
別段知りたいとも思わないし、関わったことで何かあっても困るのでそれからは決して終業後には会社には入らないようにしようと誓った。
この会社はまだまだ潰れそうには無いので、興味がある方は是非とも私が退社してから真相を探って欲しい。
私がいる間に事件なんて起きたら面倒だから。
以前働いていた会社が倒産してからはや半年。心が折れそうにもなったが諦めなくてよかった。
「本日からよろしくお願いします!」
私が入社したのは中規模の会社であった。別段実績がある訳でもない、どこにでもある会社だ。言ってしまえば有象無象である。
以前と同じ職種とはいえ、入社してすぐは教育係がついた。三十二歳独身男性の木村さんだ。
特筆すべき特徴など何も無い彼である。社内での実力も立場も中堅といった感じで、あくまでも会社についての規則などを教えてくれるらしかった。
何故か、最初に教えてもらったのは残業についてであった。別に、サービス残業が――とか言うことではない。むしろその逆だ。
「この会社、基本的に残業禁止なので気をつけてください。どうしてもやらなければならないことがあっても、遅くとも二十一時には帰るようにしてください」
超ホワイトであった。残業禁止という予想外のルール。私の転職先はどうやら当たりであったようだ。
その後も、この会社について教えてもらったが、最初の残業禁止以外は以前務めていた会社とあまり変わらない。
とりあえず、ホワイト企業であったことに安堵しながら、この会社に貢献しようと思った。
入社から数ヶ月、何不自由なく新たな生活を送っていたある日、『残業禁止』の理由を知ることとなった。
その日は大きな商談を終え、同僚と飲みに行った。
そろそろお開きにしようかという頃、私は自分のスマートフォンが行方不明になっていることに気づいた。
商談の後に会社に一度戻っているため、恐らく自分の机の上に置いてきたのだろう。
「すみません、会社にスマホ置いてきてしまったみたいなので、取りに戻ります。先に帰っててください」
私がそう言うと、同僚は少し考えたあとに私に言った。
「それ、明日じゃダメなの? もう少しで二十一時になるから戻るのはやめた方がいいと思うんだけど……」
現在の時刻は二十時四十五分。たしかに今から戻ると二十一時になってしまうかもしれない。
だが、サッと行ってパッと取って帰ればいいじゃないかと私は思った。
正直なところ、この時は彼がなぜやめた方がいいと言ったのか、私はわからなかった。
「いえ、ないと困るので、スマホだけ取って直ぐに帰ります」
同僚は「そっか……気をつけてね」と複雑そうな顔をして先に帰った。
一人会社に着いたが、当たり前のように電気はついていない。
残業禁止というルールがある以上仕方の無いことだが、以前いた会社と比べると違和感を感じてしまう。
スマホだけ取って帰ろうと、自分の机へと向かう。しかし、悲しいことに私が作った資料が地面にち散らばっていた。
さすがにこれを見つけてしまっては、スマホだけ取って、はいさよなら、というわけにはいかない。
直ぐに帰宅するという選択肢は諦め、散らばった資料を集める。私以外誰一人いないという状況は初めてで、少し新鮮だった。
しかし、そんな呑気なことを考えている余裕はすぐに無くなった。
カタカタ……カタカタ……
急に社内で物音が鳴り始めた。私以外いないはずなのに、私から遠い場所で音が鳴っていた。
カタカタ……ガタガタ……
音は鳴り止まず、私は下を向いて集めた資料を眺めるしかなかった。
音の鳴り方が異常だったのだ。家鳴りだったりしたらすぐに分かるが、これはそうではなかった。人為的に鳴らされているのだ。
ガタガタ……コツコツ……
聞こえてくる音の質はどれも違う。どこから音が鳴っているのかがわからない。しかし、音はだんだん近づいて来るのがわかる。
この異常な状況に頭はついていかず、体も動かない。
フフフ……
耳元で聞こえた。幻聴ではない、確実に聞こえた。
私はこの瞬間、ここにいてはマズいと感じ、走り始める。会社から出なければ。
アレはなんなのか? そんなのどうでもいい。ひとまず外に、ここから外に。
そうして覚束無い足取りで、会社から脱出した。そのまま近くのコンビニへと駆け込み、少し頭を冷やした。
すると、先程の出来事が思い出され、恐怖よりも疑問が生じた。なぜ誰もいないはずなのに物音がしたのか、最後の声は何だったのか。
こういった現象――いわゆる霊現象のようなものとは無縁出あったが故、疑問と困惑が入り交じって訳がわからなくなった。
とりあえず、明日誰かにアレはなんだったのか聞こう。私は心にメモをして帰路に着き、眠った。
翌朝、昨日のことを聞くべく少し早めに出社した。
課長は当たり前のように自分の席に着いており、なにか作業をしていた。申し訳なさもあるが、意を決して話しかける。
「あの、課長。今更なんですけど、なぜこの会社は残業禁止なのですか?」
私がそう言うと、課長はニッコリと笑った。
「ああ、ダメだよ。二十一時以降に来ちゃったの? 体に不調はない?」
質問には答えて貰えず、体の心配をされた。隠していると言うよりも、心配しているから質問を無視した感じだ。
「はい、体は大丈夫です。それで、その、アレはなんなのですか?」
先程よりも少し突っ込んだ質問をすると、課長はゆっくりと語ってくれた。
曰く、アレはこの会社ができた以前からいたらしい。課長はその存在を感じたことはなく、『残業禁止』は伝統であるとされていたという。
今から十年ほど前まで、なぜ残業禁止であるかは上層部しか知らなかった。
しかし、とある社員がそのルールを破り、二十一時過ぎまで残っていたことで、残業禁止の意味が明るみに出たそうだ。
昔からいる、この世ならざる存在。
今までこの会社で危害を加えられたものは一人もおらず、その十年前の出来事以降は誰も遅くまで残らずに過ごしていたことで、私に詳細を教えなかったらしい。
誰ものルールを破っていないから詳細を教えないとは奇妙な話だが、霊現象が好きな人間が聞いたら、わざわざ残業してしまう可能性があるから、ということだろうか。
結局、アレの存在自体は一部の人の間では認知されているが、一体何なのかはわかっていないというのが現状だそうだ。
別段知りたいとも思わないし、関わったことで何かあっても困るのでそれからは決して終業後には会社には入らないようにしようと誓った。
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