リストラされた42歳、確率の向こう側へ。~なぜか俺の選択肢がすべて正解になる件~

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第10章 包囲網と、四百円の外交問題

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「これが……『プリクラ』ですか。光の洪水ですね!」

 新宿のゲームセンター。けたたましい電子音とBGMが渦巻く中、エレナは目をキラキラさせていた。深紅のドレスにスカーフという奇妙な出立ちは周囲の注目を集めていたが、彼女は全く気にしていない様子だ。

「ええ。日本の女子高生たちの必須科目ですよ。さあ、入ってください」

 私は彼女を狭い撮影ブースへと促した。四十二歳のおじさんが一人で入るには勇気がいる場所だが、今日は姫のエスコート役だ。恥は捨てよう。

「柏木様、どうすれば? 機械が何か言っています!」 「『盛れる角度』を探せと言っているんですよ。とりあえず、カメラを見て、目を大きく見開いて……そう、ピースサインです」

 パシャ、パシャ、とフラッシュが焚かれる。  狭い空間で、高貴な香水の香りが鼻をくすぐる。彼女の肩が触れるたびに、私は平静を装うのに必死だった。

 撮影が終わり、落書きコーナーへ移動する。

「まあ! 私の目が、宇宙人のように大きくなっています! 肌も陶器のようです!」 「最新の画像処理技術です。……さて、なんと書きますか? 日付と、名前と……」

 彼女はタッチペンを不器用に握り、考え込んだ後、たどたどしいひらがなで文字を書いた。

『はじめての、ふつうのいちにち。かしわぎさまと』

 その文字を見て、私は胸の奥が少し熱くなった。  彼女にとって、今日のこの数時間は、それほど特別なものだったのだ。

 シールが排出口から出てくる。私はそれをハサミで半分に切り、一枚を彼女に渡した。

「今日の記念です。……そろそろ、時間(タイムリミット)のようですね」

 私が静かに告げると、エレナの動きが止まった。  彼女の優れた聴覚も、それを捉えたのだろう。

 ゲームセンターの入り口付近の空気が、変わっていた。  楽しげな若者たちの喧騒に混じって、異質で、硬質な気配が近づいてくる。

「……見つかったのですね」 「ええ。さすがに日本の警察と外務省を本気にさせたら、これ以上は逃げ切れません」

 堂島さんからの情報では、すでに新宿一帯に厳戒態勢が敷かれているらしい。これ以上連理回せば、私の方が「誘拐犯」として全国ニュースになりかねない。

「行きましょう。私がついています」 「……はい」

 彼女はスカーフを深く被り直し、覚悟を決めたように頷いた。

 ゲームセンターを出て、大通りから一本入った裏道へ。  そこは、すでに「封鎖」されていた。

 前方の路地を塞ぐように、黒塗りのセダンが二台。後方からも二台。  車から降りてきたのは、屈強な男たち――ホテルで撒いたSPたちと、さらにその上司らしき、冷徹な目をしたスーツの男たちだった。総勢十名以上。完全に包囲されている。

「――そこまでだ。動くな!」

 先頭に立った男が、低い声で警告した。懐に手を入れ、いつでも何か(おそらく拳銃だろう)を抜ける態勢をとっている。  空気が張り詰める。路地裏のゴミ箱の陰から、野良猫が慌てて逃げ出していった。

「エレナ様! ご無事ですか!?」

 ホテルで転んだあのSPが、悲痛な叫びを上げる。

「そこの男! 貴様、エレナ様に何を……!」 「待ちなさい! 彼は私を助けてくれただけです!」

 エレナが私の前に出て、両手を広げて彼らを制した。

「乱暴は許しません! 私は自らの意志で、彼と行動を共にしていたのです!」 「しかし姫! そのような素性の知れぬ男と……万が一のことがあれば、国際問題になります!」

 リーダー格の男が、私を睨みつける。その目は、私を「薄汚い誘拐犯」と断定していた。  まずいな。言葉が通じそうにない。  私の背中を冷たい汗が伝う。ここで彼らが実力行使に出れば、私はただでは済まないだろう。

 だが、不思議なことに、私の「直感」は警報を鳴らしていなかった。  むしろ、私の内なる声は、こう囁いていた。    ――堂々としていろ。ただ、立っていればいい。

 私は大きく息を吐き、ポケットに手を突っ込んだまま、リーダーの男を真っ直ぐに見つめ返した。  リストラ宣告の時とも、街金の取り立ての時とも違う。これは国家権力との対峙だ。  だが、なぜだろう。今の私には、彼らがそれほど恐ろしい存在には思えなかった。

「……素性が知れない、か。確かに私はただの中年男だが、彼女に危害を加えるつもりは毛頭ない。少し、東京の『B級グルメツアー』を楽しんでいただけだ」

 私が落ち着き払った声で言うと、リーダーの男は眉をひそめた。  私の態度が、予想外だったのだろう。普通の市民なら、この状況ではパニックになるか、腰を抜かすはずだ。

「……貴様、何者だ? ただの一般人ではないな?」

 男が警戒心を強め、ジリジリと間合いを詰めてくる。

 その時だった。

 プルルルルル……!

 張り詰めた静寂を切り裂いて、間の抜けた着信音が鳴り響いた。私のスマホだ。  あまりのタイミングの良さ(悪さ?)に、SPたちの動きが止まった。

 私は「失礼」と一言断って、ゆっくりとスマホを取り出した。  画面には『堂島剛』の文字。

「……はい、柏木です」

『おう、柏木! お前まだ生きてるか? 今、外務省の知り合いに連絡して、お前がただの『お人好しの民間人』だってことを伝えておいたぞ。現場の責任者に、俺の名前を出せ』

 ……この人は、本当にどこまで顔が利くんだ。  私は思わず苦笑した。

「ありがとうございます、堂島さん。助かります」

 私は電話を切り、呆気にとられているリーダーの男に、スマホの画面を見せた。

「……堂島剛氏からの電話です。『現場の責任者に俺の名前を出せ』とのことですが」

 男の顔色が変わった。  堂島剛。その名は、表社会だけでなく、裏社会や政界の影の部分にも影響力を持つ「怪物」の名として、彼らの間でも知られていたようだ。

「……まさか、堂島氏の……?」

 男の態度が、微かに、しかし決定的に軟化した。私を見る目に、「得体の知れない不審者」から「触れてはいけない何かの関係者」という色が混じる。

 それが、私の「豪運」が引き寄せた「正解」のタイミングだった。

「……下がってください」

 エレナが、凛とした声で命じた。  それは、ゲームセンターではしゃいでいた少女の声ではなく、一国の王族としての威厳に満ちた声だった。

「彼は私の友人です。これ以上の無礼は、私が許しません。……ホテルへ戻ります。道を開けなさい」

 SPたちは顔を見合わせ、やがてリーダーが無念そうに頷き、包囲を解いた。  黒塗りのセダンのドアが開けられる。

 エレナは車に乗り込む直前、振り返って私を見た。  スカーフの下の碧眼が、少し潤んでいるように見えた。

「柏木様。……今日は、本当にありがとうございました。あの『ペヤング』の味、一生忘れません」 「ええ。またいつか、機会があれば。今度はもっと美味いB級グルメを紹介しますよ」

 私が微笑むと、彼女は袖口から、先ほどのプリクラの半券を取り出し、大切そうに胸に抱いた。

「……これは、私とあなたの外交機密ですね」

 彼女は悪戯っぽく微笑み、車の中へと消えた。  重厚なドアが閉まり、車列は走り去っていった。

 路地裏に一人残された私は、大きくため息をついた。ドッと疲れが出た。

「……やれやれ。とんだ休日だった」

 私は財布を確認した。カップ焼きそば二つと、プリクラ一回分。締めて四百円ちょっと。  四百円で国際問題の中心に立つなんて、どんな確率だよ。

 私は空を見上げた。新宿の狭い空が、少しだけ広く見えた気がした。  さあ、帰ろう。私の城へ。きっと、優秀な側近(一ノ瀬)が、私の帰りを怖い顔で待っているはずだ。
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