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第11章 規格外の「お礼」と、職人(マイスター)のジレンマ
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六本木のペントハウスに帰り着いたのは、日が暮れてからだった。 重厚な玄関ドアを開けると、リビングのソファに座る一ノ瀬玲奈の姿が目に入った。彼女はタブレット端末から顔を上げ、氷点下の視線を私に向けた。
「……お帰りなさいませ、柏木様」 「た、ただいま。……なんだ、その目は。俺はただ、迷子の観光客を案内してあげただけだぞ」
私が苦しい言い訳をすると、一ノ瀬はため息交じりに立ち上がった。
「『迷子の観光客』? 外務省のホットラインが鳴りっぱなしになるほどのVIPを、ですか? 堂島様からの連絡がなければ、今頃、貴方は国際指名手配犯としてニュースのトップを飾っていたところです」
「……すまん。ちょっと魔が差したというか、彼女の『普通を知りたい』という願いを叶えてやりたくなってな」 「その『魔が差した』行動が、国家レベルのリスクを招くのです。……全く、貴方の『豪運』は、トラブルを引き寄せる磁石のようでもありますね」
彼女は呆れつつも、どこか楽しそうでもあった。私が持ち込む予測不能な事態を、彼女なりに楽しんでいる節がある。
「まあ、無事だったのですから良しとしましょう。それより、オリオン社の件ですが……」
彼女はすぐに仕事モードに切り替えた。さすがだ。
*
数日後。 ペントハウスに、差出人不明の小包が届いた。 厳重な梱包を解くと、中から出てきたのは、古めかしい木の箱に入った一本のワインと、封蝋(ふうろう)がされた手紙だった。
「……これは?」
一ノ瀬がワインのラベルを見て、息を呑んだ。
「シャトー・マルゴー……それも、1900年のヴィンテージ!? 柏木様、これは市場価格で一本数百万円は下らない、国宝級の逸品です。一体誰から……」
私は手紙の封蝋を割った。中には、流麗な筆記体で書かれたメッセージカードが入っていた。
『親愛なる柏木様へ。先日は、私の人生で最も刺激的で、忘れられない「冒険」をありがとうございました。あのソースの味は、宮廷料理長にも再現できませんでした。これはほんの感謝の印です。いつかまた、あの狭い部屋で、あなたと語り合える日を夢見て。――E.V.』
「E.V.……エレナ・ヴァーミリオン……。あの王女様からですか!?」
一ノ瀬が愕然としている。
「カップ焼きそばの代金が、数百万円のヴィンテージワインに化けたというのですか……? 投資対効果(ROI)がバグっています……!」
彼女は震える手で眼鏡の位置を直した。私の「豪運」がもたらす規格外のリターンに、改めて戦慄しているようだ。
「……まあ、ありがたく頂いておこう。今度、堂島さんが来た時にでも開けるか」
私はワインをセラー(これも最近設置した)にしまった。四百円のデートの対価がこれとは。やはり、私の人生の「確率」はどこかおかしい。
*
翌日。私たちは京浜工業地帯の『オリオン・テクノロジー』を訪れた。 工場の外観は見違えるほど綺麗になっていた。傾いていた看板は新調され、錆びついていたトタン屋根も塗装し直されている。何より、工場の中から聞こえてくる機械の音が、以前のような悲鳴ではなく、力強い鼓動のように感じられた。
「柏木社長! いらっしゃい!」
作業着姿の六郷社長が、満面の笑みで迎えてくれた。以前の疲れ切った表情はどこにもない。
「どうですか、新しい設備の調子は?」 「ええ、最高です! 一ノ瀬さんが手配してくれた最新のマシニングセンタ、あれはすごい。今までの十倍の精度で加工ができる!」
一ノ瀬の再建計画は順調に進んでいるようだ。彼女は工場のレイアウトを根本から見直し、ボトルネックとなっていた旧式の機械を入れ替え、生産効率を劇的に向上させていた。
「ですが……問題が一つ」
六郷社長の表情が曇った。彼が案内してくれたのは、工場の奥にある特別な試験室だった。そこには、あの青い金属板――ナノコーティングの試作品が並んでいた。
「例のコーティング技術ですが、手作業で一枚一枚やる分には、完璧なものができるんです。ですが……」
彼が指さしたのは、新しく導入された自動コーティング装置だった。そこから出てきた金属板は、表面の青い輝きがムラになっており、一部が剥がれ落ちていた。
「……量産化の壁、ですか」 「はい。このコーティング液は非常にデリケートで、温度や湿度のわずかな変化で性質が変わってしまう。私の長年の『勘』で微調整しながら塗れば成功するんですが、機械に同じことをやらせようとすると、どうしても……」
職人の勘と経験。それを数値化し、機械に落とし込むことの難しさ。日本のモノづくりが直面する永遠の課題だ。
「データは取っています。温度、湿度、塗布スピード、電圧……あらゆるパラメータを解析していますが、六郷社長の『手作業』の再現には至っていません」
一ノ瀬も悔しそうに唇を噛んだ。論理(ロジック)が、職人の感性(センス)に敗北している状況だ。
「……このままでは、大口の受注が来ても対応できません。宝の持ち腐れだ」
六郷社長が肩を落とす。工場の空気も重くなった。
私は腕組みをして、不良品の金属板を見つめた。 理屈はわからない。だが、私の直感が告げていた。この問題の「正解」は、既存のデータの延長線上にはない、と。
「一ノ瀬。パラメータの設定を、少し変えてみてくれないか?」 「はい? どのようにですか?」
「……温度を、今の設定より一度下げて、湿さを五パーセント上げてみてくれ」
「えっ? ですが、データ上では、その設定は最も品質が安定しない領域ですが……」 「いいから。やってみてくれ」
私の根拠のない指示に、一ノ瀬は戸惑いながらも、操作盤に向かった。彼女はもう、私の「勘」を無視できない身体になっているのだ。
設定が変更され、機械が再び動き出す。 ウィィィン……という駆動音の後、一枚の金属板が排出された。
全員が息を呑んで覗き込む。
「……!」
そこにあったのは、六郷社長の手作業による最高傑作と寸分違わぬ、完璧な青い輝きを放つ金属板だった。
「な、なぜだ!? この設定じゃ、コーティング液が分離してしまうはずなのに……!」
六郷社長が驚愕の声を上げる。一ノ瀬も、信じられないという顔でデータを凝視している。
「……なるほど。今日のこの工場の『気圧』と『風向き』……それが、この設定と奇跡的に噛み合った、ということですか……?」
彼女の呟きが聞こえた。どうやら、私の豪運は、工場の環境そのものを味方につけてしまったらしい。
「……柏木さん。あんた、本当に何者なんだ?」
六郷社長が、畏怖の念を込めて私を見た。 私は肩をすくめた。
「言ったでしょう。ただの、運が良いおじさんですよ。……さあ、これで量産化の目途は立った。次は売り込みだ。世界中を驚かせてやろうじゃないか」
工場の窓から差し込む夕日が、青い金属板を黄金色に染めていた。 俺たちの快進撃は、まだ始まったばかりだ。
「……お帰りなさいませ、柏木様」 「た、ただいま。……なんだ、その目は。俺はただ、迷子の観光客を案内してあげただけだぞ」
私が苦しい言い訳をすると、一ノ瀬はため息交じりに立ち上がった。
「『迷子の観光客』? 外務省のホットラインが鳴りっぱなしになるほどのVIPを、ですか? 堂島様からの連絡がなければ、今頃、貴方は国際指名手配犯としてニュースのトップを飾っていたところです」
「……すまん。ちょっと魔が差したというか、彼女の『普通を知りたい』という願いを叶えてやりたくなってな」 「その『魔が差した』行動が、国家レベルのリスクを招くのです。……全く、貴方の『豪運』は、トラブルを引き寄せる磁石のようでもありますね」
彼女は呆れつつも、どこか楽しそうでもあった。私が持ち込む予測不能な事態を、彼女なりに楽しんでいる節がある。
「まあ、無事だったのですから良しとしましょう。それより、オリオン社の件ですが……」
彼女はすぐに仕事モードに切り替えた。さすがだ。
*
数日後。 ペントハウスに、差出人不明の小包が届いた。 厳重な梱包を解くと、中から出てきたのは、古めかしい木の箱に入った一本のワインと、封蝋(ふうろう)がされた手紙だった。
「……これは?」
一ノ瀬がワインのラベルを見て、息を呑んだ。
「シャトー・マルゴー……それも、1900年のヴィンテージ!? 柏木様、これは市場価格で一本数百万円は下らない、国宝級の逸品です。一体誰から……」
私は手紙の封蝋を割った。中には、流麗な筆記体で書かれたメッセージカードが入っていた。
『親愛なる柏木様へ。先日は、私の人生で最も刺激的で、忘れられない「冒険」をありがとうございました。あのソースの味は、宮廷料理長にも再現できませんでした。これはほんの感謝の印です。いつかまた、あの狭い部屋で、あなたと語り合える日を夢見て。――E.V.』
「E.V.……エレナ・ヴァーミリオン……。あの王女様からですか!?」
一ノ瀬が愕然としている。
「カップ焼きそばの代金が、数百万円のヴィンテージワインに化けたというのですか……? 投資対効果(ROI)がバグっています……!」
彼女は震える手で眼鏡の位置を直した。私の「豪運」がもたらす規格外のリターンに、改めて戦慄しているようだ。
「……まあ、ありがたく頂いておこう。今度、堂島さんが来た時にでも開けるか」
私はワインをセラー(これも最近設置した)にしまった。四百円のデートの対価がこれとは。やはり、私の人生の「確率」はどこかおかしい。
*
翌日。私たちは京浜工業地帯の『オリオン・テクノロジー』を訪れた。 工場の外観は見違えるほど綺麗になっていた。傾いていた看板は新調され、錆びついていたトタン屋根も塗装し直されている。何より、工場の中から聞こえてくる機械の音が、以前のような悲鳴ではなく、力強い鼓動のように感じられた。
「柏木社長! いらっしゃい!」
作業着姿の六郷社長が、満面の笑みで迎えてくれた。以前の疲れ切った表情はどこにもない。
「どうですか、新しい設備の調子は?」 「ええ、最高です! 一ノ瀬さんが手配してくれた最新のマシニングセンタ、あれはすごい。今までの十倍の精度で加工ができる!」
一ノ瀬の再建計画は順調に進んでいるようだ。彼女は工場のレイアウトを根本から見直し、ボトルネックとなっていた旧式の機械を入れ替え、生産効率を劇的に向上させていた。
「ですが……問題が一つ」
六郷社長の表情が曇った。彼が案内してくれたのは、工場の奥にある特別な試験室だった。そこには、あの青い金属板――ナノコーティングの試作品が並んでいた。
「例のコーティング技術ですが、手作業で一枚一枚やる分には、完璧なものができるんです。ですが……」
彼が指さしたのは、新しく導入された自動コーティング装置だった。そこから出てきた金属板は、表面の青い輝きがムラになっており、一部が剥がれ落ちていた。
「……量産化の壁、ですか」 「はい。このコーティング液は非常にデリケートで、温度や湿度のわずかな変化で性質が変わってしまう。私の長年の『勘』で微調整しながら塗れば成功するんですが、機械に同じことをやらせようとすると、どうしても……」
職人の勘と経験。それを数値化し、機械に落とし込むことの難しさ。日本のモノづくりが直面する永遠の課題だ。
「データは取っています。温度、湿度、塗布スピード、電圧……あらゆるパラメータを解析していますが、六郷社長の『手作業』の再現には至っていません」
一ノ瀬も悔しそうに唇を噛んだ。論理(ロジック)が、職人の感性(センス)に敗北している状況だ。
「……このままでは、大口の受注が来ても対応できません。宝の持ち腐れだ」
六郷社長が肩を落とす。工場の空気も重くなった。
私は腕組みをして、不良品の金属板を見つめた。 理屈はわからない。だが、私の直感が告げていた。この問題の「正解」は、既存のデータの延長線上にはない、と。
「一ノ瀬。パラメータの設定を、少し変えてみてくれないか?」 「はい? どのようにですか?」
「……温度を、今の設定より一度下げて、湿さを五パーセント上げてみてくれ」
「えっ? ですが、データ上では、その設定は最も品質が安定しない領域ですが……」 「いいから。やってみてくれ」
私の根拠のない指示に、一ノ瀬は戸惑いながらも、操作盤に向かった。彼女はもう、私の「勘」を無視できない身体になっているのだ。
設定が変更され、機械が再び動き出す。 ウィィィン……という駆動音の後、一枚の金属板が排出された。
全員が息を呑んで覗き込む。
「……!」
そこにあったのは、六郷社長の手作業による最高傑作と寸分違わぬ、完璧な青い輝きを放つ金属板だった。
「な、なぜだ!? この設定じゃ、コーティング液が分離してしまうはずなのに……!」
六郷社長が驚愕の声を上げる。一ノ瀬も、信じられないという顔でデータを凝視している。
「……なるほど。今日のこの工場の『気圧』と『風向き』……それが、この設定と奇跡的に噛み合った、ということですか……?」
彼女の呟きが聞こえた。どうやら、私の豪運は、工場の環境そのものを味方につけてしまったらしい。
「……柏木さん。あんた、本当に何者なんだ?」
六郷社長が、畏怖の念を込めて私を見た。 私は肩をすくめた。
「言ったでしょう。ただの、運が良いおじさんですよ。……さあ、これで量産化の目途は立った。次は売り込みだ。世界中を驚かせてやろうじゃないか」
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