バズる間取り

福澤ゆき

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30.赦し

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廃劇場は、立ち入り禁止の看板が立っており、鍵がかかっていた。鍵の開いている窓を探してみたが、なかなか見つからない。

悠長なことをしている時間はなかった。四ノ宮の目的が分からないが、常軌を逸していることは確かだ。飛鳥井衛士は、四ノ宮は伊織を殺すつもりだと言っていた。
伊織と連絡がつかなくなってからもう随分時間が経つ。一刻の猶予もない。

狗飼は伊織の部屋の窓を割ったときと同じ要領でガムテープを貼って音を押さえ、窓ガラスの一部を割って中に侵入した。

中は埃だらけで、ひどく暗い。
懐中電灯を点けながら手探りで進んでいくと、ホールのレセプションの跡地らしき場所に、幸いにも館内案内図がまだ残っていた。

狗飼は案内図からホールの場所を確認すると、足早に、だが音を立てないように慎重に向かった。

やがて、ホールへと続く扉は中から鍵がかかっているのか開けられない。客席の方からは中に侵入できそうになかった。
耳を澄ませてみても、防音扉越しでは、何も聞こえてこない。

壁伝いに開いているドアがないか手探りで探していたが、やがて、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉が唯一鍵がかかってないことに気づいた。

そこから中に侵入し、楽屋や通路を抜け、音響設備などが置かれた舞台袖へと向かう。ようやくそこで、何か音が聞こえてきた。

「やだ、見たくない! いやだああ!」

伊織の、悲痛な悲鳴だった。
慌てて舞台袖から舞台の方を覗くと、四ノ宮はちょうど、こちらに背を向けており、何やら夢中で伊織に舞台上に置かれたモニターを見せているようだった。

モニターには、古い動画が映っていた。

画質が粗くてよく見えないが四ノ宮の舌が、ナメクジのようにまだ幼さの残る伊織の体を這いまわっている。

(なんだ、これ……)

見ただけで吐き気がこみ上げてくるような映像に、狗飼は思わず呆然としてしまった。
伊織がそれを見て、えずきながら俯くと、四ノ宮は前髪を掴まれて無理やり顔を上げさせていた。

「ここからが一番楽しいところなんだから、ちゃんと見て」

だが、動画の中、四ノ宮はニヤニヤと笑いながら伊織の両足を持ち上げた。

(え……)

「嫌だ! やめろ!! 何も無かったんだ! 衛士が助けてくれたんだ!! 見たくない! 消せよ! 消せーー!!」

顎を押さえられて上を向かされたまま伊織は叫んだ。
一体、このおぞましい動画が何なのか、狗飼は瞬時に判断が出来なかった。
三浦が、伊織は昔四ノ宮に襲われそうになったことがあったと言っていた。

その時の動画だろうか。

だが、その時は、飛鳥井衛士が寸前のところで助け、幸いにも何事もなかったはずだ。

(まさか……)

とにかく、この先を伊織に見せてはいけないと本能的に思った。
舞台の上に飛び出していきたかったが、四ノ宮は伊織の体をがっちりと抱きかかえており、まだこちらの存在を明かせなかった。
狗飼は、スクリーンから伸びたコードが舞台袖の装置に繋がっていることに気づくと、滅茶苦茶に引き抜いた。
すると、その瞬間、ぷつりとスクリーンから映像が消えた。
舞台上の四ノ宮が、動揺した様子で辺りを見回している。

「なんだ……?」

四ノ宮が、伊織を置いて立ち上がり、機材の様子を見るためこちらに近づいてくる。狗飼はそれに気づくと、舞台の裏側通路を通って、反対側の舞台袖に移動した。
そして、四ノ宮が、舞台袖に引っ込んだのを確認すると、舞台上にいる伊織に駆け寄った。
肩に手を添えると伊織はそれを四ノ宮の手だと思ったのだろうか。
怯え切った様子で、「嫌だ、見たくない」と譫言のように言って顔を覆っていた。

「三笠さん、俺です! 狗飼です!」


すると伊織は信じられないというように、涙の痕だらけの顔をこちらに向け、目を見開いた。

「狗、飼……? なんで……」
「話は後にしましょう。とにかく、ここを出ないと」

伊織は必死に頷いたが、緩慢な動作だった。何か薬を投与されているようでうまく体を動かせないようだ。
ステージの中央には、首吊台のような不気味な装置が置かれている。

これまでの人生で感じたことのないような激しい怒りの念を感じながら、伊織の体を抱き上げて歩き出すと、舞台袖から四ノ宮が現れた。

「……誰かと思ったら、君はあの部屋の隣人の〝元〟ファンの子じゃないか」

四ノ宮は狗飼のことも調べていたようだった。
この妨害は想定外だなぁと、企画書と書かれた本を捲りながら、四ノ宮は不気味に笑った。狗飼は胸ポケットから、ナイフを取り出してそれ以上近寄らないよう牽制するように四ノ宮に向けた。

「元、じゃなくて〝現〟ファンです」

きっぱりとそう言い切ると、伊織が腕の中で、少し驚いたように顔を上げた。
四ノ宮は少し驚いたように目を見開いた後、ニヤニヤと醜い笑みを浮かべた。

「嘘を吐くな。昔の伊織を好きだった君が、今そんな醜く劣化した〝ソレ〟を受け入れられる訳がないだろう」
「お前みたいな病気のヤツと一緒にすんなよ。変化するのは生きてるからだろ。成長したら一切受け入れられないっていうなら、幽霊でも推してろ、クズ野郎」

伊織を腕に抱えていなければ、このまま殴りかかっていたかもしれない。
いや、それどころか。

(殺してやりたい)

その殺意をどうにか堪えながら、伊織を連れてとにかくホールを出ようと出口へ向かうと、背後から四ノ宮が言った。

「まあいいよ。企画は仕切り直しだ」
「……企画は中止だろ。警察を呼ぶ。お前はもう終わりだよ。キ〇ガイ野郎」

だが、四ノ宮はそれを聞いても動揺を見せず、それどころかニヤリと笑った。

「警察を呼んだら、伊織は被害者として事情聴取を受けるだろうね。そこで、確認のためにあの動画の先を見せられる。それを見たらきっと……いずれにしろ、僕の本懐は遂げられるっていう訳だ」
「………」

その言動から、薄々勘づいていた先ほどの動画の先がどのようなものなのか、なんとなく想像がついた。

そのあまりにおぞましい事実に気づくと、狗飼はナイフを握る手に力が籠った。その時、不意に背後に強い霊の気配を感じ、まるで金縛りにあったように体が動かなくなった。

(なんだ……)

先ほどまで目の前の男を「殺したい」だったのが、明確に「殺す」に変わり、思考がぐちゃぐちゃに散らばっていく。

──シノミヤ、コロス、コロス、コロス、コロス

(やば、い……)

この感覚は、何度か体験したことがある。霊に、乗っ取られる感覚だ。
強い主張がある霊だと、油断している時にたまにやられるが、大抵は、自我をしっかり持っていれば完全に乗っ取られることはない。

それなのに今は、体ごと全て乗っ取られていくようで、自分の意思がまるで役に立たなくなっていく。

いや、乗っ取られていくというよりは、まるで溶けるように同化していく感覚だった。

この霊に、飛鳥井衛士の霊に、自分の感情がシンクロしているからだ。
人生を棒に振っても、この男を殺したいと思う程、憎しみに駆られていた。

伊織は恩人だ。交通事故で一転してしまった自分の視界と人生。
人生に絶望した時、その笑顔で救ってくれた。

今度は自分が、この悪魔から伊織を守るときだ。それが、最善の選択だ。

抱きかかえていた伊織をその場に下ろして寝かせる。

「い、狗飼……? 何を……」

伊織の戸惑いの声に応えず、狗飼は四ノ宮に向かってナイフを向け、そのまま突進した。

「なっ……」

四ノ宮はまさか狗飼が本当に自分を刺すとは思わなかったのだろう。
慌てて逃げようとしたが、ナイフは腕を掠めた。

血がぽたぽたと、埃まみれの劇場の床に垂れて広がっていく。

「次は間違いなく殺す」

そう言って逃げようとする四ノ宮の胸倉を掴むとその場に押し倒し、ナイフを振りかざした。
すると彼は両手を上げて自分の顔を庇うように両手を上げながら、叫んだ。

「待ってくれ! そんなヤツに、将来有望な君が人生棒に振ることないだろう!」
「そんなヤツ? 俺にとってはなぁ、三笠さんは命の恩人なんだよ! 人生賭けて推してんだ! それをこんなになるまで追い詰めやがって! 醜いのはどっちだ! ぶっ殺してやる!」

その時、「狗飼!!」と悲痛な伊織の悲鳴が上がった。彼はクスリで自由の利かない体を引きずって、傍に張って来て、ナイフを持つ狗飼の手を掴んだ。

「やめろよ、やめてくれ……っ」
「離してくださいよ。こいつ殺さないと、貴方を救えないんです」

荒い息を吐きながら、ギラギラとした殺意に満ちた目を四ノ宮にぶつけたまま言うと、「違う!」と伊織は叫んだ。

「俺……ファンに笑顔になって欲しくて、アイドルやってたんだよ。辛いときも、苦しい時も笑ってたんだよ。そんな顔させるために、やってたんじゃねーよ……頼む。本当にファンなら、お願いだからやめて……お前にそんなことをされたら、俺……もう二度と笑えないよ。立ち直れない」

涙ながらに懇願するようにそう言われた時、ふっと全身を支配していた力が抜け、手からナイフが滑り落ちた。

自分の中から、何かが出て行く感覚がして、それからすぐ後ろで、飛鳥井衛士の声がした。

──ゴメン、ゴメン、イオリ、ゴメン

黒い影のような微かな姿が見える。
伊織にはその姿が見えているのだろうか。クスリの影響でぼんやりとした顔のまま、彼は心底不思議そうに呟いた。

「なんで……衛士がここに……?」

──ゴメン、イオリ、ユルシ、ユルシ、テクレ、ユルシテクレ、オレ、ユルシテクレ、オマエノコト、ユルシテクレ、ワカッテナカッタ……、ゴメン……

壊れたテープレコーダーのように繰り返される声。すると伊織は、ふっと笑い、目に涙を浮かべて言った。

「もうとっくに許してるよ。ずっと、意地張っててごめん」

その笑顔を見て、黒い影は、まるで蝋燭の炎のように揺れ、フッと消えてしまった。
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