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6話

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「千晶……っ?」
 部屋から出ると、千晶の膝から力が抜けてがくり、と崩れ落ちた。
立ち上るあまい香り。
「すいませ……今日発情期だから……ちゃんと抑制剤飲んだ……はず……なんですけど……」
 息が乱れて途切れ途切れにしか話すことが出来ない。
 苦しくて、躯が熱い。体液が溢れて下着を濡らすのが不快でたまらない。
「……何か飲んだり食べたりした?」
 崩れ落ちた千晶の目線と合わせるために相馬も膝を床に突く。
 火照った頬に大きなてのひらがそっと添えられた。
「シャンパンみたいなのを、ひと口飲みました……」
 相馬の問いに千晶が答えると、相馬は小さく舌打ちをした。
「多分、何か入れられたな」
 そう苦々しく言って床に崩れた千晶を相馬は抱き上げようとする。
「だ……大丈夫ですっ……自分で歩けますからっ……」
 慌てて相馬の腕を押し止めると千晶は震える脚で何とか立ち上がった。
 ここまで散々みっともない姿を曝して、これ以上情けなくなりたくなかった。
 まだ自分で歩ける。歩きたい。
「急いで営業車で来たから、地下の駐車場に車停めてある。そこまで行ける?」
 相馬の優しい声が染みて泣きたくなるが、泣いたらもっとみっともないと思い、ぐっと耐えて頷く。
「せめて肩を貸すくらいならいいよね? それくらいは頼ってくれる?」
 この台詞さえも千晶の自尊心を傷付けないように言ってくれているのだ。 
 苦しくてふらふらで、意地を張ったところでどうせ一人で歩くのは厳しい状況だ。千晶は静かに頷いて相馬の肩を借りて地下駐車場に向かった。



*****
 ホテルの地下駐車場に辿り着くと見慣れた会社の営業車が止まっていた。
 相馬に助手席のドアを開けてもらうと促されるままに車に乗り込んだ。
 相馬も運転席に乗り込みドアを閉めると二人の空間は密室になる。
 荒い息が漏れてしまうのが恥ずかしくて堪えようとするも、沸き上がる茹だるような熱を吐き出さなければ気が狂ってしまいそうで、千晶のくちびるからは絶え間なくはぁはぁと吐息が零れて車内は瞬く間に千晶の甘い香りで満たされる。
「千晶、少しはクスリが薄まってマシになるかもしれないから。飲める?」
 差し出されたミネラルウォーターのボトルに満足に礼を言うことも出来ずに受け取ると、冷たい水をごくごくと喉を鳴らして飲んだ。
 飲んでも、飲んでも冷えるのは水が喉を通過する一瞬で、それが胃に落ちる頃には体温でぬるく温まっている気さえする。
 熱くて堪らなくて口の横から零れ落ちる雫さえもそのままに飲み続けていると、そっと傍らから手が伸びてきた。
「ゆっくり飲んだ方がいい」
 相馬の言葉に千晶は首を横に振った。
「だ……だって……熱い……っ」
 苦しい呼吸の中必死で告げる。苦しさから目が潤み、相馬の心配そうな顔が滲んで見えなくなったと思ったそのとき。
「んっ………」
 相馬は助手席に座る千晶に覆い被さるようにしてそのくちびるを塞いだ。
 今まで、触れる寸前のところで逃がしてくれていたくちびるが、重なった。
 驚きでやや開いたままのくちびるの中に相馬の舌がそっと差し込まれる。熱く火照った千晶の舌に狂おしい想いを告げるように相馬の舌が絡みつく。柔らかく舐められて、それから、じゅると音を立てて舌を吸われた。相馬の舌の感触がたまらなく気持ちよくて気持ちよくて頭がおかしくなってしまいそうだった。
 躯はきつく抱きしめられて逃げることもできない中、濡れた舌が絡む感触に背中も腰も痙攣したように震えた。
「千晶……っ」
 くちゅ、と音を立てるキスの隙間から狂おしい相馬の声が聞こえて、腹の奥からどろりと体液が溢れた。
「そ……相、馬さん……っ」
 苦しい、苦しい、苦しい。 
 あつい、あつい、あつい。
 相馬に抱かれたくて抱かれたくて気が狂いそうだった。
 濡れた穴を埋めてもらって掻き回してもらいたい。
 それでぎゅっと抱き締めて安心させてもらいたい。
 どうしようもないほどの欲望で気が狂いそうだった。
 でも、でも、でも。
「や……っ相馬さんっ、止めて下さ……っ」
 本能と心と躯が全部ばらばらだけど、
「なんで……?俺じゃやだ?」
 相馬が嫌なわけない。嫌どころか、相馬がいいに決まってる。
 心の底から惚れ込んでいる。
 こんな風に何度も助けられた。多分千晶が気が付かないところでも今まで何度も救ってくれていて、心の底から尊敬している。
 でも、だからこそ。怖かった。心も躯も掻き回されて自分を見失いそうだった。
 認められて一人前でいたい。番ではなく、頼れるパートナーでありたい。
「いや、です。ごめんなさい……っ」
 ここまではっきり断ったのは初めてだった。
 はっきり示した拒絶が伝わったのか、いつもポーカーフェイスで穏やかな相馬の顔が、ひどく傷ついた表情に変わったのがわかって、千晶の胸もナイフで抉られたように痛い。
「……俺、千晶のこと好きだよ。千晶の全部が好きだ。オメガであることも愛してるけど、オメガだから愛してるわけでもない。一生懸命頑張って一人で立とうとしている千晶だから愛してるんだよ。それでもだめか?」
 心底好きな相手にこんな風に愛を告白されているのに。
 千晶はどうしても受け入れられなかった。
 今相馬を受け入れて、心も躯も繋がってしまったら、きっと千晶はみっともないほどに彼に夢中になる。
 自分自身を守ることもできない弱くて、みっともない自分は彼には釣り合わなくて、彼が今愛してると言ってくれた一人で立とうとする千晶ではなくなる気がした。
 そうして相馬の愛が千晶から無くなったとき、母よりもみっともなくぐちゃぐちゃになる自分しか千晶は想像できなかった。
 心も躯も狂おしいくらいに相馬を求めているからこそ、抱かれるのが怖い。
「……ここで無理に迫ったら御山さんと同じだよなぁ……」
 腕の中の躯は熱く火照って相馬を求めてるくせに、震える手で必死に拒もうとする千晶の姿に、相馬は片手で自らの顔を覆って天を仰ぐしかなかった。
「……すみません……」
 絞り出すように千晶が謝ると、相馬は静かに、長く息を吐いた。
 それからややして、躯を運転席に戻して、くしゃり、と千晶の髪をかきまぜる。
「謝らないで……家まで送るよ……それぐらいなら許してくれる?」
 優しい物腰でも、相馬はどんなときでも自信に溢れている。
 それなのに。
 今はひどく傷付いているように見えて、千晶の胸も裂かれるほどに痛む。
 千晶が静かに目を逸らして頷くのを見ると、車も静かに地下駐車場を走り出した。

    
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