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五章
六十四話
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「北条大雅!」
遠くから大雅を呼ぶ声がする。
大雅は構えた拳銃をそのままに目だけを器用に動かし、声のする方を見る。
薄暗くてよくは見えないが、女性の声であることは間違いなかった。
徐々に足音が近くなってきて、姿を視認することが出来るようになってきた。
燃えるように美しい赤髪がその人を象徴していた。
「春豊さん……どうしてここに?」
「美波ちゃんに、はあ、はあ、言われて、はあ、はあ」
走って来た春豊が息を切らしながら途切れ途切れに言う。
膝に手をついて息を整える。
「美波に、ですか?」
「そうよ。ただ一方的に思念だけを感じ取っただけ。だから、美波ちゃんは、もう……」
その後は言葉にしなくても自明の理だった。
「それなのに、あなたは何をしているのかしら?」
そう言って春豊が大雅を見る。
「こいつを……美波を殺したこいつを、殺すんです」
もし仮に、法律や道徳という枷がこの世になかったのならば、ここまで躊躇うことなく引き金を引いていたかもしれない。その枷が大雅をいまだ正常の域に留まらせていた。
「……はあー、急いで来てみれば……はあー、こんな馬鹿のために私は普段使わない筋力と体力を使って来たのかと思うと、自分が情けないわよ、はあー」
春豊がわざとらしく何度も溜息を吐く。
大雅はちらりと一度視線を向けるが、すぐに斎藤先生に視線を戻す。
大雅自身、斎藤先生、拳銃。
この三つの要素しか今の大雅には目に入っていなかった。
その他の事物、事柄は眼中の外だった。
「とりあえず、それを降ろしなさい」
「出来ません」
「あなたが持ってていいものじゃないの。分かるでしょう?」
「……僕は、こいつを殺します」
その回答に心底呆れつつ、聞き分けの無い子供を諭すような口調で春豊が言う。
「いいわ。じゃあ、そのまま聞きなさい」
春豊はそう言い、ベンチに座る。
斎藤先生は終始尻もちをついたまま、途中から来た春豊と大雅に視線を彷徨わせる。
「さっき、美波ちゃんの思念を感じ取ったって言ったでしょう。そこにはまだ続きがあるのよ」
春豊はポケットからおもむろに煙草の箱を取り出すと、慣れた手つきで一本取り出す。
それを口に咥え、金色のジッポ―ライターで火を点ける。
宙に煙を揺蕩たせると、それはすぐに溶けて消えていった。
春豊と煙草の組み合わせに違和感はなく、むしろ春豊の美しさが際立つようにさえ感じた。
「美波ちゃんから言われたことは三つ。一つ目は〝大雅を助けて〟。そして、二つ目は〝大雅を止めて〟よ。この意味、分かるわよね?」
その言葉に大雅の心臓が一度跳ねる。
それは徐々に速度を速め、リズミカルな動きへと変わる。
出来ることならば自分の犯した罪が理解できるくらいまで徹底的に苦しませ絶望を味合わせた後に、何の躊躇もなく人差し指に力を込めて殺したい。
その気持ちが完全に消滅したか、と言われると、それはないと言い切れる。
――……しかし、それをしてしまったら……美波は……美波の思いは……。
そう考えた時、大雅の手から力は抜けていた。
最初から自分に斎藤先生を撃つことが出来ないことくらい分かっていた。
そんな勇気もなければ、覚悟も大雅にはなかったのだ。
それでも大雅は拳銃を構えざるを得なかった。
そうしなければ、自分が自分でいられなくなる衝動に駆られたからである。
力の抜けた手から拳銃が落ちる。
それを春豊が煙草を口に咥えたままハンカチ越しで拳銃を拾い、持っていたビニール袋に入れる。
「た……助かった……」
尻もちをついたまま斎藤先生の中から緊張が抜ける。
途端、薄暗い公園に静けさが戻った。
「美波ちゃんはあなたのことが本当に好きなのね」
春豊が夜空を見上げながら漏らす。
大雅はそれに返す言葉を見つけることが出来なかった。
「あっ、それと、三つ目は〝お母さんをよろしく〟だったわ」
その言葉に大雅がはっとする。
前に言われた時は意味が分からなかったが、今はその意味が痛いほど分かる。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
それは同時に一連の事件の終結を示していた。
遠くから大雅を呼ぶ声がする。
大雅は構えた拳銃をそのままに目だけを器用に動かし、声のする方を見る。
薄暗くてよくは見えないが、女性の声であることは間違いなかった。
徐々に足音が近くなってきて、姿を視認することが出来るようになってきた。
燃えるように美しい赤髪がその人を象徴していた。
「春豊さん……どうしてここに?」
「美波ちゃんに、はあ、はあ、言われて、はあ、はあ」
走って来た春豊が息を切らしながら途切れ途切れに言う。
膝に手をついて息を整える。
「美波に、ですか?」
「そうよ。ただ一方的に思念だけを感じ取っただけ。だから、美波ちゃんは、もう……」
その後は言葉にしなくても自明の理だった。
「それなのに、あなたは何をしているのかしら?」
そう言って春豊が大雅を見る。
「こいつを……美波を殺したこいつを、殺すんです」
もし仮に、法律や道徳という枷がこの世になかったのならば、ここまで躊躇うことなく引き金を引いていたかもしれない。その枷が大雅をいまだ正常の域に留まらせていた。
「……はあー、急いで来てみれば……はあー、こんな馬鹿のために私は普段使わない筋力と体力を使って来たのかと思うと、自分が情けないわよ、はあー」
春豊がわざとらしく何度も溜息を吐く。
大雅はちらりと一度視線を向けるが、すぐに斎藤先生に視線を戻す。
大雅自身、斎藤先生、拳銃。
この三つの要素しか今の大雅には目に入っていなかった。
その他の事物、事柄は眼中の外だった。
「とりあえず、それを降ろしなさい」
「出来ません」
「あなたが持ってていいものじゃないの。分かるでしょう?」
「……僕は、こいつを殺します」
その回答に心底呆れつつ、聞き分けの無い子供を諭すような口調で春豊が言う。
「いいわ。じゃあ、そのまま聞きなさい」
春豊はそう言い、ベンチに座る。
斎藤先生は終始尻もちをついたまま、途中から来た春豊と大雅に視線を彷徨わせる。
「さっき、美波ちゃんの思念を感じ取ったって言ったでしょう。そこにはまだ続きがあるのよ」
春豊はポケットからおもむろに煙草の箱を取り出すと、慣れた手つきで一本取り出す。
それを口に咥え、金色のジッポ―ライターで火を点ける。
宙に煙を揺蕩たせると、それはすぐに溶けて消えていった。
春豊と煙草の組み合わせに違和感はなく、むしろ春豊の美しさが際立つようにさえ感じた。
「美波ちゃんから言われたことは三つ。一つ目は〝大雅を助けて〟。そして、二つ目は〝大雅を止めて〟よ。この意味、分かるわよね?」
その言葉に大雅の心臓が一度跳ねる。
それは徐々に速度を速め、リズミカルな動きへと変わる。
出来ることならば自分の犯した罪が理解できるくらいまで徹底的に苦しませ絶望を味合わせた後に、何の躊躇もなく人差し指に力を込めて殺したい。
その気持ちが完全に消滅したか、と言われると、それはないと言い切れる。
――……しかし、それをしてしまったら……美波は……美波の思いは……。
そう考えた時、大雅の手から力は抜けていた。
最初から自分に斎藤先生を撃つことが出来ないことくらい分かっていた。
そんな勇気もなければ、覚悟も大雅にはなかったのだ。
それでも大雅は拳銃を構えざるを得なかった。
そうしなければ、自分が自分でいられなくなる衝動に駆られたからである。
力の抜けた手から拳銃が落ちる。
それを春豊が煙草を口に咥えたままハンカチ越しで拳銃を拾い、持っていたビニール袋に入れる。
「た……助かった……」
尻もちをついたまま斎藤先生の中から緊張が抜ける。
途端、薄暗い公園に静けさが戻った。
「美波ちゃんはあなたのことが本当に好きなのね」
春豊が夜空を見上げながら漏らす。
大雅はそれに返す言葉を見つけることが出来なかった。
「あっ、それと、三つ目は〝お母さんをよろしく〟だったわ」
その言葉に大雅がはっとする。
前に言われた時は意味が分からなかったが、今はその意味が痛いほど分かる。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
それは同時に一連の事件の終結を示していた。
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