2 / 70
一章
二話
しおりを挟む
今から一か月前の九月某日。
〝彼女が車にはねられて、危篤状態である〟
その知らせを聞いたのは大雅がコンビニで夜勤のバイトをしている時だった。
「北条、お前に電話だぞ。友達だって言ってるけど、どうせ下らない内容なんだろ。緊急でもないのに職場に電話させるなよな。忙しくなってたらどうすんだよ。だいたいな……」
「はい。すみませんでした。あいつにはよく言っておきます。すみません、すみません……」
先輩からいつものように小言を言われながら、職場の電話を耳に当てる。
「もしもし」
「やっと出た! 大雅、今すぐ○○病院に来い!」
電話の相手は先輩の言う通り、大雅の旧友古橋守(ふるはしまもる)だった。
「何だよ、急に。それにここにはかけるなって」
「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」
守の息は妙に荒れており、いつも以上に語気は強かった。
その並々ならぬ雰囲気に大雅は気圧されていた。
「ど、どうしたんだよ?」
「いいか、落ち着いて聞けよ……」
そう言って守が一度、唾液を飲み込む。異様に大きく聞こえたその音は電話越しの大雅の耳にも届いていた。
「美波ちゃんが、車にはねられた!」
守の声が耳介から外耳道、鼓膜、耳小骨、蝸牛、側頭葉に伝わっていく経路全てを無視して直接語り掛けるかの如く、何の障害もなく入ってくるが、その言葉の一音一音を大雅は理解することが出来なかった。いや、正確に言うのであれば、理解するのを無意識に拒否していたのだ。
突然のことに頭が上手く働かない。
真っ白になるというよりは真っ黒になるといった方が近かった。
赤やら青やら黄やら緑やらの色全てがぐちゃぐちゃに混ざり合い、ハーモニーを通り越し真っ黒に染められているというような表現が一番分かりやすいかもしれない。
――美波ちゃんが車にはねられた、美波ちゃんが車にはねられた、美波ちゃんが車にはねられた…………。
頭の中で繰り返されるエンドレスリピートに目が回る。
肺に送る酸素の量が圧倒的に足りない。
せり上がってくる胃液が喉を刺激しひりひりと痛い。
「――い、おい! 大雅! 聞いてるか! おいって!」
耳から守の声が聞こえてきてようやく大雅は現実に戻ってきた。
「……あ、ああ」
短く相槌を打つが、心はここになかった。
信じられない気持ちと信じなくてはいけない気持ちが同時に湧き上がり、脳内を圧迫する。行動しなくてはと思えば思うほど、絡まった結び目が固くなるように体が硬くなる。
寸でのところで自我を保ってはいるが、脈は速くなり手足の震えは止まらなかった。
「とにかく、今すぐ来い! いいな!」
「あ、ああ。分かった!」
大雅は受話器を乱暴に置き、スタッフルームに戻る。
着ていた制服を脱ぎ捨て、スマートフォンと財布をズボンのポケットに突っ込む。
そのまま先輩の前に行き告げる。
「すみません! 急用で早退します! 失礼します!」
「っんな! おま」
先輩が何かを言おうとしていたが、それを最後まで聞くことはせずにコンビニを飛び出した。
生温かい空気が大雅の顔を襲う。
九月の夜だというのに外は熱気でいっぱいだった。
守から伝えられた病院はそこまで遠くはないが、近くもない。
走って行けない距離じゃないけど、それでは遅い。
急ぐならばタクシーを捕まえて向かうのが最善だが、生憎大きな道に出ないとタクシーは捕まえられない。
――そんな時間はない! 一秒でも早く行かないと!
大雅はふと目についた自転車に跨り、勢いよく漕ぎ出す。無論、自分の自転車ではないが、そこに構っている余裕が大雅にはなかった。
どこをどんな経路で向かったかは全く覚えていない。
途中、曲がり角で車にぶつかったり、マンホールで滑って転んだりしたが、そんなことはどうでもよかった。
息を切らし、額から溢れる大粒の汗が顎先から落ちる。膝と肘から滲む血が赤黒い染みを作る。買ったばかりの長袖のシャツは雨にでも降られたかの如くぐっしょりと濡れ、ところどころ擦り切れていた。
〝彼女が車にはねられて、危篤状態である〟
その知らせを聞いたのは大雅がコンビニで夜勤のバイトをしている時だった。
「北条、お前に電話だぞ。友達だって言ってるけど、どうせ下らない内容なんだろ。緊急でもないのに職場に電話させるなよな。忙しくなってたらどうすんだよ。だいたいな……」
「はい。すみませんでした。あいつにはよく言っておきます。すみません、すみません……」
先輩からいつものように小言を言われながら、職場の電話を耳に当てる。
「もしもし」
「やっと出た! 大雅、今すぐ○○病院に来い!」
電話の相手は先輩の言う通り、大雅の旧友古橋守(ふるはしまもる)だった。
「何だよ、急に。それにここにはかけるなって」
「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」
守の息は妙に荒れており、いつも以上に語気は強かった。
その並々ならぬ雰囲気に大雅は気圧されていた。
「ど、どうしたんだよ?」
「いいか、落ち着いて聞けよ……」
そう言って守が一度、唾液を飲み込む。異様に大きく聞こえたその音は電話越しの大雅の耳にも届いていた。
「美波ちゃんが、車にはねられた!」
守の声が耳介から外耳道、鼓膜、耳小骨、蝸牛、側頭葉に伝わっていく経路全てを無視して直接語り掛けるかの如く、何の障害もなく入ってくるが、その言葉の一音一音を大雅は理解することが出来なかった。いや、正確に言うのであれば、理解するのを無意識に拒否していたのだ。
突然のことに頭が上手く働かない。
真っ白になるというよりは真っ黒になるといった方が近かった。
赤やら青やら黄やら緑やらの色全てがぐちゃぐちゃに混ざり合い、ハーモニーを通り越し真っ黒に染められているというような表現が一番分かりやすいかもしれない。
――美波ちゃんが車にはねられた、美波ちゃんが車にはねられた、美波ちゃんが車にはねられた…………。
頭の中で繰り返されるエンドレスリピートに目が回る。
肺に送る酸素の量が圧倒的に足りない。
せり上がってくる胃液が喉を刺激しひりひりと痛い。
「――い、おい! 大雅! 聞いてるか! おいって!」
耳から守の声が聞こえてきてようやく大雅は現実に戻ってきた。
「……あ、ああ」
短く相槌を打つが、心はここになかった。
信じられない気持ちと信じなくてはいけない気持ちが同時に湧き上がり、脳内を圧迫する。行動しなくてはと思えば思うほど、絡まった結び目が固くなるように体が硬くなる。
寸でのところで自我を保ってはいるが、脈は速くなり手足の震えは止まらなかった。
「とにかく、今すぐ来い! いいな!」
「あ、ああ。分かった!」
大雅は受話器を乱暴に置き、スタッフルームに戻る。
着ていた制服を脱ぎ捨て、スマートフォンと財布をズボンのポケットに突っ込む。
そのまま先輩の前に行き告げる。
「すみません! 急用で早退します! 失礼します!」
「っんな! おま」
先輩が何かを言おうとしていたが、それを最後まで聞くことはせずにコンビニを飛び出した。
生温かい空気が大雅の顔を襲う。
九月の夜だというのに外は熱気でいっぱいだった。
守から伝えられた病院はそこまで遠くはないが、近くもない。
走って行けない距離じゃないけど、それでは遅い。
急ぐならばタクシーを捕まえて向かうのが最善だが、生憎大きな道に出ないとタクシーは捕まえられない。
――そんな時間はない! 一秒でも早く行かないと!
大雅はふと目についた自転車に跨り、勢いよく漕ぎ出す。無論、自分の自転車ではないが、そこに構っている余裕が大雅にはなかった。
どこをどんな経路で向かったかは全く覚えていない。
途中、曲がり角で車にぶつかったり、マンホールで滑って転んだりしたが、そんなことはどうでもよかった。
息を切らし、額から溢れる大粒の汗が顎先から落ちる。膝と肘から滲む血が赤黒い染みを作る。買ったばかりの長袖のシャツは雨にでも降られたかの如くぐっしょりと濡れ、ところどころ擦り切れていた。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~
水無月礼人
恋愛
私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!
素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。
しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!
……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?
私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!!
※【エブリスタ】でも公開しています。
【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】
remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。
地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。
水村ゆい、23歳、シングルマザー。
誰にも言えないけど、愛息子の父親は、
今人気絶頂バンドのボーカルなんです。
初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。
待っている…
人生で、一度だけの恋。
【完結】ありがとうございました‼︎
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる